法宝の解釈から学会教学を破す

投稿者:石楠花


<要旨>
1.2023年の「教学要綱」発表までの23年間,法宝は常に御本尊であった
2.2016年のイタリアSGIの宗教協定における尊崇の対象は弘安二年の大御本尊である
3.創価学会は今極めて危険な方向に向かっていることを危惧する

本稿では三宝の中の法宝から学会教学の迷走を論じる。まず,三宝とは「仏教徒が敬うべき三つの宝で,仏とは,宇宙と生命を貫く根源の法を知り,一切衆生に対し主師親の三徳を具えた仏法の教主。法とは,その仏の説いた教説,また悟りそのもの。僧とは,この法を伝持し,広める仏弟子」(創価学会仏教哲学大辞典, 2000, p.611)とある。学会教学において,三宝の定義はどのように解釈されてきたか,以下に示す

1988年「教学の基礎」
仏-日蓮大聖人
法-本門戒壇の大御本尊
僧-日興上人

2000年「仏教哲学大辞典」,2002年「教学の基礎」,2015年「教学入門」
仏-日蓮大聖人
法-南無妙法蓮華経の御本尊
僧-日興上人, 広い意味では創価学会

2023年「教学要綱」
仏-日蓮大聖人
法-南無妙法蓮華経
僧-創価学会

「方便品寿量品講義」(池田大作1996)では,「法宝とは三大秘法の南無妙法蓮華経」となっており,御本尊の文字はない。しかし,その後の「池田大作全集35方便品寿量品講義」(2010)と「普及版方便品寿量品講義」(池田大作2013)においては「三大秘法の南無妙法蓮華経の御本尊」となっているので,訂正されたものと思われる。

1978年から2005年までの間,三宝について述べられた池田先生の指導やスピーチは6件あるが,「大曼荼羅を法宝、宗祖日蓮大聖人を仏宝、日興上人を僧宝」と一貫しているので,1996年の「方便品寿量品講義」の訂正は納得できるものであり,法宝は御本尊であるという解釈で間違いないだろう。

1点,疑問なのは,「仏教哲学大辞典」(2000)において,地の文で法宝を「南無妙法蓮華経の御本尊」と述べているにも関わらず,その文の隣にある表中では,末法の法宝として「事行の一念三千の南無妙法蓮華経」とあり,御本尊の文言はない。編集委員長は斎藤克司氏であるが,この理由はわからない。

いずれにしても,2023年の「教学要綱」までは,法宝は御本尊であった。それがなぜ急に御本尊の文字が消え,南無妙法蓮華経だけになったのだろうか。筆者はここに創価学会と文字曼陀羅御本尊との関係の複雑さと危うさを見るような気がしてならない。

1991年,創価学会は日蓮正宗を破門され,御本尊授与は停止となった。信徒にとって御本尊が下付されないというのは最も深刻な事態であったが,1993年,成田宣道師から浄円寺所蔵の日寛上人書写の本尊を形木本尊として会員に授与してはどうかという提案が学会本部にあり、本部としてその提案を受け、形木本尊の授与に踏み切った。日顕書写の御本尊を受持している会員には,日寛上人書写の御本尊にお取替えするよう組織で強く指導し,ほとんどの学会員はお取替えをしたはずである。なお,現在学会員に下付されている御本尊は十界具足していない。この点について,森中教学部長は「お題目の左右に配された十界の相貌は、全体として本有の十界という法理を表現しているものなので、必ずしも十界の衆生全てを記す必要は無い」(2012,教宣ハンドブック)と述べているが,もう少し丁寧な説明が必要ではないだろうか。

御本尊不下付の難局は解決できたが,大石寺に安置されている弘安二年のいわゆる戒壇御本尊をどのように解釈するかという大きな問題が残った。それまでは「お山」へ行き,「大御本尊様」にお目通りすることは,学会員にとって重要な宗教行為であったからだ。戸田先生の指導にも,池田先生の指導にも「大御本尊」は信心の要として何回も登場してきたし,その大御本尊とは大石寺の戒壇御本尊だと信じてきたからには,もはや参拝は叶わないということは極めて重大な問題である。

当時の創価学会上層部が戒壇大御本尊の意義づけについて,池田先生の指南を仰ぐことなく,むしろ池田先生の名前を利用しつつ紛糾をしていたことは,教学部レポート,遠藤文書で明らかになっている。御本尊に関する専門委員会は谷川事務総長、金沢組織総局長、秋谷議長、八尋弁護士、森田康夫氏の5名と教学部の遠藤氏、森中氏,宮地氏の3名で構成されていたが,教学部の進言は全く聞き入れられなかった。教学部レポートや遠藤文書の分析は本稿の目的ではないので,ここでは深く立ち入らないが,もし読んだことがない方がいれば, Googleなどの検索エンジンでいくらでも出てくるので,是非とも御一読頂きたい。

専門委員会に原田会長の名はないが,会長であるからには全権を握り最終決定をしたことは想像に難くない。会長以下執行部は「先生の御意志」を何度も繰り返したそうだが,先生は2010年に病に倒れられ表舞台には出なくなった。そのような状況下で,何度も先生の御指導を頂いていたとは考えにくい。

現執行部の体質が顕著に表れているのは,遠藤文書の以下の部分である。

公式には仏宝が日蓮大聖人、法宝が三大秘法の大御本尊、僧宝が日興上人だが変更するのかという議論になった際、谷川総長は「それも変えればいいんだ。何の問題ない」と。しかし「それでは歴代法主が僧宝であるという宗門に対して、僧宝は日興上人であると反論した学会の論拠が崩れてしまう」と申し上げると「それでもいいんだ。宗門とは別の教団なんだから」という返事でした。「過去との整合性などどうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。完全に独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ」と、谷川総長は何度も繰り返していました。何でも自分たちで決められるという全能感がにじみ出ていて、何を言っても取り付く島がありません。支離滅裂な不毛な会議となりました。囗では勇ましく「宗門と最終決着をつける」と言っていましたが,それを断行しようという覚悟や責任感や能力があるとは到底思えませんでした。また何より悲しかったのは、教学部以外の5人の方々の言葉に、会員の苦悩に対する慈悲が一かけらも感じられなかったことです。(遠藤文書2014年7月10日)
そして2014年11月,原田会長は全国総県長会議において「創価学会会則の教義条項改定」を発表し,「会則の教義条項にいう御本尊とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」(11月8日聖教新聞掲載)と発表した。

弘安二年の御本尊とは大石寺戒壇板本尊のことであるが,この御本尊については宗外からも疑義が指摘されており,様々な調査により,弘安二年十月十二日よりももっと後の時代に図顕されたものであることが明らかになっている。その決定打の一つは「日蓮と本尊伝承-大石寺戒壇板本尊の真実」(金原,2007)である。大石寺教学部長だった阿部日顕自らがこの件について述べていることもわかっている。原田会長も当然この件について報告は受けていただろうが,制作の疑義については全く触れていない。そして不可解なことに,創価学会はこの戒壇板本尊の来歴研究に最も貢献した金原氏を除名した。本来は最大の功労者であり,感謝こそされ除名処分など有り得ないと,思考が正常の者なら誰しも思うだろう。

弘安二年の作ではないとしても,この御本尊への参拝を目標に日々の折伏に励み,宿命転換を成し遂げた幾百万,幾千万の創価学会員がいることも事実である。また,戸田先生,池田先生が再三にわたって,この戒壇御本尊を根本にした信心指導をしてきたことも事実である。日蓮大聖人による弘安二年十月十二日の御図顕でなくとも,些かもその価値が劣るものでないことは言うまでもない。(阿部日顕は「偽本尊だ」「偽物だ」と言っていたという記録があるが,御本尊は御本尊であり,偽物はあんたの信心だと筆者は言いたい)

原田会長は「弘安二年の御本尊」を明確に否定し,「教義条項にいう御本尊とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊」と述べたが,そうであるならば,非常に不可解な点がある。イタリアSGIは2015年にイタリア共和国政府との間でインテーサ(宗教協約)に調印し、2016年に正式に発効となった。インテーサとはイタリア政府が認めた特定の宗教団体に対して国が支援や権利を保障する協定で,税制優遇措置,当該団体の会員が年に2日宗教的祭日を設ける自由,学校等の教育機関を設立する自由などの権利が保障されるものである。2015年に調印したということは,その前から(おそらく2014年も含め)当然ロビー活動は行われていたと考えられるが,申請書には,イタリアSGIの宗教的尊崇の対象はDai Gohonzon(弘安二年十月十二日の戒壇御本尊)となっている。さらに宗教的祭日を10月12日と2月16日としている。日本の創価学会はイタリアSGIがインテーサを締結したことに大喜びであったが,与えられた祭日の権利は5月3日や11月18日ではないのである。
参考:https://documenti.camera.it /leg17/dossier/pdf/ac0577.pdf

「大謗法の地にある弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません」(2014)と述べた原田会長にも当然この報告は行っているだろう。ローマ時代からカソリックの国となったイタリアにおいて,尊崇の対象が創価学会常住御本尊では通用しないと判断したからだろうか。もしも,会長が弘安二年の御本尊に疑義があるなどと公式に発言したら,インテーサ締結は絶望的だ。創価学会は寺院ではないので,当然,日蓮大聖人,日興上人,日寛上人の御真筆は所有していない。ここが学会のアキレス腱と言うべき点かもしれない。

先の疑問に戻る。なぜ法宝から御本尊の三文字を削除したのか。筆者はここに危険なものを感じている。まさか,まさか,まさかと思うが,近い将来創価学会は独自に拝む対象を制作しようとしているのではあるまいか。こんなまさかは実現してほしくないが,法宝から御本尊を削除した理由や必要性が見当たらない。僧宝から日興上人を削除したのは,日興門流の否定,謗法厳戒の日興上人が邪魔,創価学会こそが僧宝であると主張したいなどの戦略的理由がある。だが,御本尊を削除して,何の得があるのか。ここで思い出すのは「教義なんて後付けすればいい」という谷川の言葉だが,これがどれほどの危険をはらんでいるか,何を企んでいるのか,会員は注視し続けるべきであろう。

冒頭の三宝の定義の変遷を思い出して頂きたい。1991年に創価学会は日蓮正宗を破門になったので,2000年の「仏教哲学大辞典」では法宝から「本門戒壇」が削除され,日蓮正宗との決別が示された。そこまでは理解できる。しかし,2023年になって法宝から御本尊が削除されるのはどう考えてもおかしい。「男子部教学室論考『教学要綱』は創価ルネサンスの集大成」(2024)では,法宝について「仏教本来の定義のうえから、大聖人が覚知し説き示された一大秘法の南無妙法蓮華経」とし,これまでも説明してきたとあるが,それならば2000年からの23年もの間,なぜ法宝を御本尊としてきたのか。なぜ,今頃になって法宝は南無妙法蓮華経だけになったのか,説明すべきである。

同論考は,「『創価学会教学要綱』の考察: 仏教史の視点から」の著者である須田晴夫氏を「学会教学の伸展に追いついていない」と述べているが,教義,教学は進展するものなのだろうか。「人間革命」第2巻、車軸の章(1972)には「時代の進展によって変更しなければならない教義や、矛盾に満ちた宗教は誤れる宗教と断定すべきである」とある。そもそも,信徒の団体が教義を変えて良いはずがない。さらに姑息なことに,2013年度版の「人間革命」第2巻では,上記の部分が削除されているのである。同論考は,「30年かけて発展してきた創価教学」と述べているが,実際のところは,30年かけて池田先生の著作物の改竄,大御本尊から「大」を取った動画編集など,教義改定の準備を着々と進めてきたということだ。
また,「『教学要綱』の編集作業は2年ほどかけて行われたが、その間、原稿を何度も池田先生に報告し、その都度、御指導をいただいて作成された」と述べているが,教学要綱の発刊は2023年なので編集作業が2020年頃開始されたとして,御病状の良くない池田先生に御指導頂いたとは考えにくい。2014年の遠藤文書においてすらも,池田先生の指導,決裁は頂いていないことは明白で,さらに数年後にお身体の弱った先生に御指導頂けるとは思えない。また,「教学要綱」編集作業で,宮田幸一氏,菅野博史氏の関与は仏教史などの専門的知見の諮問のみと述べているが,宮田氏の個人SNSにおいて,氏が深く関わっていたことは明らかである。つまり,男子部教学室の論考は嘘だらけということだ。

今日の学会教学は矛盾だらけである。日寛上人書写の御本尊を下付しながら,日寛教学を否定,日興上人を僧宝から排除しながら,勤行本の御観念文で南無(帰命)している。30年かけてじっくりと,ゆっくりと行ってきたものは教義変更の準備だけでなく,会員の教学力を低下させ,会員に問題意識を持たせず,建設的批判をする者を排除し,知ある者を否定するということだったのではないか。昨今,近隣の学会員やSNS投稿を見ると,学会員の一般常識の欠如も含め知力の低下は悲惨なものである。考えない葦ばかりの会員もそろそろ選挙と財務だけの活動が本当に広宣流布への闘いなのか,考えてはどうだろうか。組織の上意下達で動くのは,地涌の菩薩の生き方と真逆の態度だと思う。すべてが魔に扇動されていることに気づいた人から立ち上がるしかないと思う。

注:文中に誤表記,筆者の記憶違い等がありましたら,ご指摘下さい

法宝の解釈から学会教学を破す” に対して1件のコメントがあります。

  1. いっこく堂 より:

    全く同感です。
    「謗法の地にあるから受持の対象にしない」
    とはなんとアホな言い草か。
    どこにあろうとも御本尊は御本尊である。
    他山にあるお真筆の御本尊も受持の対象でないというのなら、大聖人の御本尊は一切受持の対象でなくなる。
    御本尊が悪いのではない!それを所有する者の信心が問われるのである。
    所持する者の信心がおかしいから、与同を避けてそこへ参拝しないのである。
    身延にあろうと中山にあろうと、大聖人の御本尊にいささかも変わりはない。
    「御本尊様申し訳ありません。一日も早く広宣流布して正信の者の下に帰す様に致します。」
    と願うのが本当じゃないか!

  2. 石楠花 より:

    御高覧下さり,有難うございます。
    まさか,創価学会を破折しなければならない時がくるなどと,思いもよりませんでした。
    御本尊を削除して,どうすんだ,と思います。

  3. カナリア より:

    理路整然たるご投稿、誠にありがとうございます。
    お師匠様のご指導、御遺命にことごとく背きゆく、大慢心・大逆の執行部。その行きつく先は、御本尊様からも離れようとする、信仰とは無縁の暗黒の世界。

    先生から直接ご指導を受けられた「世代」が生きているうちに、悪を正さねばならぬと祈っております。一人でも多くの方に、気付いて欲しいと願うばかりです。

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