【投書】現場の教学力に愕然

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投書者:負け魂(まけだま)三四郎

 先日、地区座談会で私に話をするように要請があり、皆様への啓蒙活動のつもりで、楽しい雰囲気をつくり、皆様が発言しやすいように話を組み立てて教学クイズをしました。以下にそのときの私の話したおもな内容と、地区の皆様の様子をお伝えいたします。

(私)「教学の問題を出しますので、おわかりになりましたら、手あげていただいてご回答をお願いいたします。正解者には賞品としておせんべいをお渡しします」

(参加者)<拍手で盛り上がる>

(私)「第一問 仏法者が帰依し、南無し奉る存在が三つありますが、この三つをまとめて何と言いますか?。三択です。①三宝 ②三光 ③猪鹿蝶(いのしかちょう)

(参加者)<大爆笑し、全員①に挙手。おせんべいを全員にお配りする。全員笑顔>

(私)そうですね。三宝ですね。仏宝、法宝、僧宝ですね。では第二問。この三宝のうち、法宝はなんでしょうか?

(参加者)<一同シーン。約20秒後、私がレジェンドしている折伏の達人の62歳の地区副女性部長さんが、自信がなさそうな声で、「南無妙法蓮華経・・かな?」>

(私)「(笑顔で)違います!。南無妙法蓮華経のご本尊様ですね。ご本尊様が法宝にあたります。

では第三問。この法宝を南無妙法蓮華経だけとしている宗派があります。どこの宗派でしょうか。三択です。①真言宗 ②日蓮宗 ③勝海舟

(参加者)<爆笑。全員②に挙手。>

(私)「そうですね。日蓮宗各派です。日蓮宗は大聖人様を御本仏とみなさずに、釈迦を本仏とみて、大聖人様は、あくまでも上行菩薩であるとしかみていません。大聖人様は御本仏ではなく、釈迦の使いであるとしています。

では第4問。三宝のうちの僧宝はどなたでしょうか。おわかりになった方がお答えください。

(参加者)<一同シーン。しばらくして50歳代の支部女性部長さんが、「日寛上人・・」とこれまた自信なさげに回答。私が「違います」と伝えましたら、60歳代後半のブロック長さんが首をかしげながら「日興上人?」と回答>

(私)「そうですね。日興上人ですね。日興上人がおられたからこそ、大聖人様の教えが今日まで正しく伝えられたのです。2002年に発刊された[教学の基礎]には、僧宝について述べられています」

 以上のように、参加者の皆様とクイズでやりとりしながら、正しい三宝観をお伝えし、その後の話では、教学要綱の名前は伏せて、「もし、法宝がご本尊様ではなくなったら、僧宝が日興上人でなくなったら」どうなるのかという視点で、参加者の皆様にお伝えいたしました。

 座談会で上記のような取り組みをして実感しましたことは、「これほどまでに学会員さんの教学力が衰退しているのか!」ということでした。これでは、教学要綱の誤謬を、最前線の現場の会員さんたちは、見抜くことはできないという危機感を持ちました。大聖人様が諸法実相抄で『行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず』と仰せですが、まさに、会員の皆様の教学力の衰退が、組織内に教学要綱の浸透を加速させ、大謗法に知らず知らずのうちに会員の皆様が加担していき、行学たへなば仏法はあるべからずという大聖人様のご危惧が現実となってしまうことを畏れます。

 この投書を閲覧してくださった同志の皆様も、私の教学クイズの内容をご参考にしていただき、現場の地区や支部の皆様に、一度、お試ししてくださると幸甚です。

【投書】現場の教学力に愕然” に対して1件のコメントがあります。

  1. 1979 より:

    負け魂(まけだま)三四郎さま

    ご投稿を拝見し、楽しい座談会の様子が目に浮かびました。素晴らしいアイデアですね!
    答えを間違えた方のほうが、正解がより強く印象に残り、現在の変質した学会教学に気づくきっかけになりそうですね。
    私も機会あれば負け魂(まけだま)三四郎さまのように楽しく正しい教学を学べる企画に挑戦してみたいと思います。いつも素晴らしい投稿をありがとうございます!

    1. 負け魂(まけだま)三四郎 より:

      1979様
       あたたかい励ましのご返信、ありがとうございました。力が湧いてきました!感謝申し上げます。
       草莽崛起のときまで、組織の中では、「静かなること林の如く」、最前線の現場の中で、教学要綱の誤謬を大切な会員の皆様に「うまく」伝え、天魔から排除されないように戦ってまいります。これからも智慧をお貸しください。よろしくお願い申し上げます。

  2. いっこく堂 より:

    賢い啓蒙方法ですね。
    高い所から偉そうに指示する人より、現場に貼り付いて知恵を働かす人の方がはるかに強く、影響力があります。このような知恵者が増えれば、天井桟敷のお公家さんたちの気づかぬ間に、静かだけど確実な会員覚醒が成し遂げられるかも知れませんね。
    「勝海舟」には笑えました。「アリゾナ州」とか「腐敗臭」てのもありかも。

    1. 負け魂(まけだま)三四郎 より:

      いっこく堂様
       あたたかい励ましのお言葉、ありがとうございました。さらにがんばります!
       面白いご提案ありがとうございます。おかげさまで教学要綱撤回運動が盛り上がってきた場合の教学クイズ問題ができました。「大謗法の教学要綱をもとにしている宗派は何宗でしょうか?。三択です。①腐敗臭 ②加齢臭 ③身延臭」
       大聖人様も二度火を出した良観を『両火房』と名付けて揶揄されておられましたね。痛快です。

      1. いっこく堂 より:

        加齢臭! 爆笑
        気をつけよっと。

  3. 道弘方四 より:

    私の居た支部(解任・出禁につき過去形)でも、忘れた頃に教学クイズをしていました
    問1 智慧第一の舎利弗と三人寄れば文殊の智慧の文殊では、どちらが賢いか
    問2 五百塵点劫の昔と三千塵点劫の昔では、どちらが遠い昔か
    問3 大聖人の「出家の動機」は、日本一の智者になりたかったのか、それとも四人の天皇が悲惨な最期遂げた理由を知りたかったのか、いずれか
    問4 大聖人は立正安国論を宿屋入道を通じて北条時頼にいきなり送りつけたのか、それとも出す前に面談して内容を伝えていたのか、いずれか
    みたいな問題です
    何度かするうちに、全員が正解する様になりました

  4. 負け魂(まけだま)三四郎 より:

    道弘方四様
     貴重な情報をありがとうございます。御書学習会の際に関連する問題を使わせていただきます。そういえば、昔の御書学習会では、担当していた方が、道弘方四様の問題のような内容を、講義の中で教えてくださり、「へぇー!」とか「なるほど!」とか、気づきを与えていただきました。そう考えますと、現在の衛星中継での御書講義は、味気ないもので、「○リープを入れないコーヒーなんて」という感じでしょうか。問題のご提供、ありがとうございました。
     

  5. 藤原 玄一 より:

    「若し善比丘法を壊(やぶ)る者を見て置いて
    呵責(かしゃく)し駈遣(くけん)し挙処(こしょ)せずんば
    当に知るべし是の人は仏法の中の怨(あだ)なり、
    若し能く駈遣し呵責し挙処せば
    是れ我が弟子真の声聞なり」
    この涅槃経の文は『立正安国論』や『開目抄』等の多くの御書で
    大聖人が引用しておられます。
    この事と
    「組織の中で」「天魔から排除されないように」振る舞う事とは
    相反する事のように思いますが、
    ご自身、どの様に折合いを着けられておられるのでしょうか。

    また「草莽崛起のとき」とはどの様な状況になった時を
    想定されておられるのでしょうか。

    或いは「草莽崛起のとき」を待つのではなく、
    「草莽崛起のとき」を誘発すべく
    自らが「創価の吉田松陰」となる、
    と言う方法もあるのではないでしょうか。

  6. やけのやんぱち より:

    負け魂(まけだま)三四郎 さま

    最近、ある「たこ焼き屋」で先輩と歓談している時に、このサイトのことを教えていただきました。その先輩は私が青年部時代から大変尊敬している方で、20年ほど前に私の住んでいる支部の隣の支部のエリアに一軒家を購入した際、幹部の方たち(特に婦人部の区幹部)から「指導も受けずになぜ勝手に家を買う?」と叱責されて落ち込んでいた時に「まずは一軒家を買えたことの大功徳に拍手!おめでとう!」と唯一人喜んでくれた方です。個人の功徳より、組織の人事の心配しかしていない人たちに囲まれて悔しい思いをしていたなかで本当に嬉しかったです。そんな方がこのサイトを教えてくださり、最近ずっとモヤモヤしていたことがスッキリしてきています。
    そして負け魂(まけだま)三四郎 さんの現場の教学力の投稿を読み、私も教学からかなり離れていることを痛感するものでした。

    私もその昔、私が青年部時代、住んでる地域に法華講の連中が公明党のポスターを貼っている家へ訪問し、脱会・脱講をかけて法論をけしかけている情報が入り現場に駆けつけたことがありました。その頃は血気盛んで宗門問題の際に寺院へ乗り込んで住職と師弟観について論じ合ったりしていましたし、追っ払ってやりましたが、その連中が今、会員さんたちのところに訪問して会員の教学力の無さを指摘されると思うと、郡狐に笑わるる危機感を抱きます。

    やはり選挙中心、聖教新聞推進だけの目的を見失った目標達成ためだけの結果至上主義では歓喜も湧きません。戸田先生が牢獄で刑事たちに「学会の教学力の無さ」を指摘され、出獄後に教学をもって学会を再建されたように、いまの学会には絶対に教学力を深める必要を痛感しますし、私も学ばねばと気づかせていただけました。

  7. 負け魂(まけだま)三四郎 より:

    藤原玄一様
    貴重なご意見、心より感謝申し上げます。藤原様の全くおっしゃる通りです。ただ現時点では組織内で大々的に現執行部の謗法を呵責しますと、間違いなく、反抗分子として見られ、活動停止や排除の処置をされると推察します。実際に私の先輩の中にも複数人、そうなった方々がおられます。そうなりますと、先生が法華経の智慧の中で、須田さんが先生に『学会の中にも悪の増上慢がいますが…』と問われた際に、先生は『だからこそ、学会の中で善の連帯を築いていっていただきたい』とおっしゃいましたことをできなくなってしまいます。今は組織の中で、大謗法の連中たちの誤謬にだまされない、惑わされない善の連帯を築く時期であると定めて、「うまく」やっていこうと思っております。
     大聖人様も立正安国論の中では、法然の念仏を対告衆として破折を展開されておられ、禅宗への破折を展開されておられません。その理由は、禅宗のパトロンであった北条時頼への配慮をされていたことと、立正安国論ご提出前に、あらかじめ北条時頼と面会をして、対面で時頼に禅宗への破折をされていたというように、「うまく」されておられたことをお手本にしております。
     草莽崛起のときとは、具体的な状況をご説明申し上げるのは、現時点では難しいと思っております。ただ藤原様に一つお答えできることは、藤原様がおっしゃる通り、『創価の吉田松陰』が時を同じくして、燎原の火の如く、踊り出るときではないかと思索しております。もちろん、自分自身も創価の吉田松陰であらねばならないと思っております。

  8. 負け魂(まけだま)三四郎 より:

    やけのやんぱち様
    先輩との心あたたまる交流のエピソードをお伝えくださり、ありがとうございました。
    やけのやんぱち様と同じように辛い経験をされた方々がたくさんおられるでしょうね。まさに先生が最も忌み嫌われる組織至上主義、官僚主義、権威主義ですね。おそらく、その先輩はやけのやんぱち様のことを本年に大切に思っておられたのでしょうね。先生のお心を基準にされていたと推察します。
     現場の教学力の低下への危惧とその克服への前向きなやけのやんぱち様のご姿勢に、私も励まされております。宗門問題のときの武勇伝もすばらしいですね。このサイトを通じて、共感の同志の連帯が広がっていくことは本当にうれしく思います

  9. 藤原 玄一 より:

    「日蓮御房は師匠にておはせども余りにこはし。我等はやはらかに法華経を弘むべし」
    『佐渡御書』
    ご意見は、まるで、この御文の様に聞こえます。

    他の投書で「謗法への供養は如何に」と題して
    【財務の再考】を呼掛けられてましたが、
    お立場を考慮すると、ご自身は財務継続されていると推測致します。
    何故なら【公布部員辞退】の瞬間、「天魔から排除され」る端緒を開く事になるから。

    もし上記推測通りとすると、
    自活サイトでの【財務の再考】の呼掛けと
    ご自身の組織での在り様との間で
    倫理的矛盾を抱え込む事になりませんか。

    同じ『佐渡御書』には、
    「悪王の正法を破るに 邪法の僧等が方人をなして 智者を失はん時は
     師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし 例せば日蓮が如し」
    とあり、また、池田先生のスピーチにも、
    [牧口先生は「下から上を動かせ」と言われた。
     一番大切なのは「法」であり「学会精神」である。
     それを守り抜くためには、上の人間を厳しく誡めることが必要な場合がある。
     何も恐れる必要はない。]
      (第1回青年部「」記念大会)1998-3-13
    とあります。

    「善の連帯を築く」ためを理由にされてますが、
    式次第で制限された会合への参加を続けられても
    「善の連帯を築く」ことには結びつかないと思います。

    私も含めて自活参加の多くの方々が「会合参加禁止」を宣告されています。
    それでも、一人一人の会員さんには会えるのです。
    皆さん、そのようにされています。
    勿論、組織からは「会員との接触禁止」とは言われてますが、
    相手が会ってくれるなら、会って良いのです、基本的人権ですから。

    池田先生のスピーチに、こうあります。
    [一対一の人間の連帯――これほど強いものはない。
     創価学会が強いのも、一対一できたからである。]
      (全国青年部幹部会)1999-1-15

    [そこには牧口先生の「布教革命」があった。
     それは「一人一人と語る」「一軒一軒を回る」ということであった。
     「これしかない」し、「こうあらねばならない」と、牧口先生は結論されたのである。]
      (中略)
    [先生は、そこで自ら出向いて、一人一人と語り合い、
     「少数の同志を見出す外に方法がない」という結論に達したのである。]
      (中略)
    [「一軒一軒回る」「一人一人に会う」。地道にそれを貫いている人が「本物」である]
      (第12回本部幹部会)1997-6-16

    「善の連帯を築く」道はこれ以外にない、
    と先生がご指導されている様に思えてなりません。

    「組織の中で「うまく」やっていこう」と言い切られるのを聞いて、
    次の御書を思い浮かべました。

    「一谷入道のこと、日蓮が檀那と内には候えども、外は念仏者にて候ぞ。後生はいかんとすべき。」
    『阿仏房尼御前御返事(畷堅固御書)』

    一方、同じ御書の中で、千日尼には、次のように仰せです。

    「仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ
     法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし」
      (中略)
    「相構えて相構えて力あらん程は謗法をばせめさせ給うべし」
    『阿仏房尼御前御返事(畷堅固御書)』

    現代の我々にとっては、
    大聖人と牧口・戸田・池田の三代会長の「金言に身をまかす」べき
    ではないかと思います。

    なお、『立正安国論』のご解釈には、誤りがございますので、
    別途、コメント致します。

  10. 藤原 玄一 より:

    投稿のご回答で述べられている『立正安国論』のご解釈には、誤りがございます。

    1.史実として
     史実としては、北条時頼と大聖人が直接対面したという確実な記録は、御書も含めて、残っていません。
     大聖人は文応元年に、鎌倉幕府の実力者であった北条時頼に『立正安国論』を提出しましたが、
     それが実際に時頼の手に渡ったか、あるいは面会が実現したかについては不明です。
     つまり、大聖人が時頼に強く働きかけたことは確かですが、
     実際に会ったという証拠はなく、伝説や後世の創作の可能性が高いと考えられています。

    2.『撰時抄』より
     『撰時抄』に「三度の高名」の一つ目として、次の様にあります。

     「去にし文応元年太歳庚申七月十六日に、立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿屋入道に向かって云わく
     『禅宗と念仏宗とを失い給うべしと申させ給え。
      このことを御用いなきならば、この一門より事おこりて他国にせめられさせ給うべし』」

     「禅宗のパトロンであった北条時頼」にしてみれば「罰が当たるぞ」と威嚇されている様な伝言です。
     しかも、これが『立正安国論』上奏の際に添えられた伝言なのです。
     さてこれが、「うまく」しようと考えている人のすることでしょうか。

     大聖人にとっては「北条時頼と面会」など二の次であったように思えるのです。

     もし本当に「立正安国論ご提出前に、あらかじめ北条時頼と面会をして、対面で時頼に禅宗への破折をされていた」のであれば、
     「対面で時頼に禅宗への破折」したと明言されている筈ですし、それこそ『撰時抄』の一つ目の高名はその事になっていたと思います。
     ところが、『撰時抄』始め、御書のどこにもそのようなご記述はありません。上記、史実の示す通りです。

    3.『阿仏房尼御前御返事(畷堅固御書)』より
     『阿仏房尼御前御返事』に、『立正安国論』について、次のように触れられています。

     「真言・天台宗等は法華誹謗の者、いたう呵責すべし。然れども大智恵の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし。
     然る間、まづまづさしをく事あるなり。立正安国論の如し。」

     北条時頼は、入道は言え、仏法の教理に暗く「禅宗のパトロン」などやってるようでは、とても「大智者」とは言い難い。
     であるとすると、真言・天台宗等は「いたう呵責」すべき所だが、却って混乱してしまい、
     大聖人の言いたかった事まで誤解しかねないので、『立正安国論』では差し控えた、
     と仰ってられます。

     なので、『立正安国論』提出時点で最も力点を置くべき「念仏破折」に絞られたのだと思います。

    4.『立正安国論講義』より
     まず、本投稿のご回答には「法然の念仏を対告衆」とされていますが、『立正安国論』の対告衆は、
     「別しては北条時頼」であり、「総じては仏法に無智の為政者であり、さらには日本の一切衆生のこと」です。
     「法然の念仏」は、「対告衆」ではなく、破折の対象です。

     次に、禅宗を含めた一切の諸宗についての破折について、池田先生の『立正安国論講義』によれば、
     「すでに第一段の問いにおいて、客をして「然る間或は利剣即是の文を専にして」から
     「万民百姓を哀んで国主・国宰の徳政を行う」まで、国じゅうのあらゆる宗教がそれぞれ力の限りを尽くして、
     災難の祈祷を行っているにもかかわらず、いっこうに効き目がないばかりか、ますます災難、不幸を増長する
     ばかりであると嘆かせていることに明白である。」
     ということです。

     では、主たる破折対象を「法然の念仏」に絞った理由について、『立正安国論講義』では、
     「この時代の宗教界の実態は、天台、真言、禅、律などの諸宗もかなりの勢力をもっていたが、
     浄土宗の発展ぶりに比べれば、天台、真言、律は停滞期にあり、法相、華厳等は没落期、
     禅宗は、まだ微々たる勢力でしかなかった。いわば念仏は開創以来数十年しか経っていなかったが、
     全国に広まり、旭日の勢いを示している新興宗教の覇者だったのである。それゆえにこそ、
     仏教破壊の影響は大きかった。立正安国論で法然を名指しされたのは、このため」
     と説明されています。

     更に、『立正安国論』本文にも、
     「悲いかな数十年の間百千万の人民魔縁に蕩かされ」
     と表現される程の有様であり、
     多くの人々が、現実逃避し、無気力化し、終いには死を望む、といった状況は、
     現代で言えば、市中に危険ドラッグが蔓延している様に等しく、
     その規制に、特に注力されたのは、当然かと思えます。

    以上、上記2~4により、『立正安国論』で、主たる破折対象を「法然の念仏」に絞られた理由を、
    「禅宗のパトロンであった北条時頼への配慮」などと言うのは、全くの誤りです。

    また、上記1~2より、
    [立正安国論ご提出前に、あらかじめ北条時頼と面会をして、対面で時頼に禅宗への破折をされていたというように、「うまく」されておられた]
    などと言う事実は、全く認められません。

    これは、大聖人の人物像を甚だしく毀損しうるものであり、
    それを広くネット上で、多数の人目に晒したのは、由々しき事態です。

    [禅宗のパトロンであった北条時頼への配慮をされていたことと、
    立正安国論ご提出前に、あらかじめ北条時頼と面会をして、対面で時頼に禅宗への破折をされていたというように、「うまく」されておられた]
    が、裏付けのある事実であると仰るのであれば、
    その証拠を、是非とも、ご提示ください。

    これが「現場の教学力に愕然」と投稿された方の教学力なのでしょうか。

    「人のつかひに三人あり、一人はきわめてこざかしき、一人ははかなくもなし・又こざかしからず、一人はきわめて・はかなくたしかなる、
     此の三人に第一はあやまちなし、
     第二は第一ほどこそ・なけれども・すこしこざかしきゆへに主の御ことばに私の言をそうるゆへに・第一のわるきつかいとなる、
     第三はきわめて・はかなくあるゆへに・私の言をまじへず・きわめて正直なるゆへに主の言ばを・たがへず、第二よりもよき事にて候
     あやまつて第一にも・すぐれて候なり。」
      『衆生身心御書(随自意御書)』

    どうか、「第二のつかひ」に成られません事を希望致します。

  11. 負け魂(まけだま)三四郎 より:

    藤原様
    一つ一つ、ご丁寧に、貴重なお時間を割いて、私の浅学無比な教学力をご指摘くださり、心より御礼申し上げます。おっしゃる通り、現場の教学力に愕然としていると伝えている自分自身が、浅い教学力であったと反省しております。教学に長けた方から学んできたことをもとにお伝えしましたが、その学んだことについての自分自身の検証を怠っていたことを、藤原様に教えていただいたと思います。
    『ネット上で、多数の人目に晒したのは、由々しき事態です。』
    まったくおっしゃる通りで、反論の余地はありません。閲覧される皆様は、私への藤原様の投書をお読みいただいて、私が投書した間違いを認識していただきますことをお願い申し上げます。間違いを犯してしまったことは後戻りできませんので、今後は投書を控えます。もし、私のこの間違った内容の投書を削除可能ならばお願い申し上げます。

    『どうか、「第二のつかひ」に成られません事を希望致します。』
    おっしゃる通り、中途半端な教学力で会員の皆様を惑わすことのないように、今後、精進してまいりますことをお誓い申し上げます。藤原様の真心に感謝申し上げます。ありがとうございました。

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