【投書】我らにとっての、法華経「良医病子の譬え」とは?

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投書者:カナリア

月刊誌「選択」の12月号に、「創価学会はどう衰退していくか」という記事が掲載されている。聖教新聞や公明党の行く末について論じられ、文章の最後は以下のように結ばれている。

〈池田の死去を創価学会が伝えたネット上の動画には、会長の原田と、主任副会長を務める博正が並んでいた。{原田がこだわった}(大手メディア政治部デスク)演出だという。自らの正当性をアピールするためなら、原田の地位が盤石ではないことを示唆する。統治の仕組みが確立した創価学会が直ちに瓦解する可能性はないだろう。ただ、池田不在の間に溜まった歪みが徐々に組織を蝕んでいけば、早晩、弱体化は避けられない〉

と。
本質をつかんだ、なかなか渋い見立てと認めざるを得ない・・。

話は変わって、法華経七喩の中に、「良医病子の譬え」というものがある。(以下創価ネットを参照して概略を示すと)

『法華経如来寿量品に説かれる譬え。智慧があり聡明で医薬に通じた良医には、大勢の子どもがいた。良医が他国に行って留守の間に、子どもたちは毒薬を飲んでしまい、地に転げ回って苦しんでいた。そこに父の良医が帰ってきて、直ちに良薬を調合して与えた。子どもたちのうち、本心を失っていない者は飲んですぐに治ったが、毒気が深く入り込んで本心を失った者は、良薬を見ても疑って飲もうとしなかった。そこで良医は方便を設けて「是の好き良薬を、今留めて此に在く。汝は取って服す可し」と言い残して他国に行き、使者を遣わして「父は死んだ」と伝えさせた。本心を失っていた子どもたちは、父の死を聞いて嘆き悲しみ、本心を取り戻し、ついに良薬を飲んで病気を治すことができた。』

良医とは釈尊(仏)を意味し、病子とは私たち衆生のことを指している。さらに学会員のおかれている現在に当てはめれば、以下のようになろうか。原田学会(執行部)の振りまく「お元気な先生、奥様!」との呪文に騙され、毒が回り、本心を失ってしまっている多くの学会員諸氏。

しかし、池田先生はご逝去され、今はもう、いらっしゃらない。先生は自らの「死」までも、会員(弟子)を覚醒させるための機会として、使って下さっているのだろうか。

先生の残された仏法を基調とした平和主義・人間主義の哲学が根本であるべきなのである。一人一人の学会員は「組織」に繋がるのではなく、「先生の思想・哲学」と直接繋がらねばならない。

日本の政界も、大混乱の様相を呈してきている。価値創造を目指す会員諸氏は、まず、「毒気」から、脱却しなければなるまい。

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