【投書】真っすぐに歪んだ学閥意識!

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投書者:カナリア

創価学会現会長、原田稔氏は東京「帝国」大学出身。2006年に会長就任以来17年が経過。今年11月に任期を迎えるが、多くの会員諸氏はこの事を知らないし、興味も持っていない。御年82歳になるこの男は、後進に道を譲るのではなく、さらにもう一期(4年)、会長職にしがみつこうとするのだろうか?

または以前から後継会長候補として名があがる、現在主任副会長の萩本直哉(70歳)又は谷川佳樹(67歳)に、ようやくバトンを引き渡すのであろうか。ちなみに両名はいずれも東京「帝国」大学の出身である。

翻って1971年に創立された創価大学。先生が大学を創立された理由は多々あろうが、まずは、日本及び世界中に、仏法の人間主義を持した有為な人材を送ることだったと思われる。そして推測だが、創価学会の永続性を担う、中核メンバーの輩出も念頭にお有りになったであろう。

創価大学は創立から52年。一期生は71歳になる。池田先生ご存命中に創価大学出身の会長が誕生することは全く不思議な事ではない。むしろ自然な流れだったかも知れない。

2006年に理事長に就任した正木正明氏(当時52歳)。創大3期生の彼が、有力な後継候補であることは、衆目の一致するところであった。

しかるに、原田稔氏は2015年11月、クーデターまがいの運営を強行し、「健康上の理由」を口実に、NO2の正木理事長を排除してしまったのである。池田先生がご病気でなく、健康でいらっしゃったら、決して行えない暴挙だったと私は思う。

ついでに触れておくと、公明党代表になって14年となる山口那津男氏。彼もまた東京「帝国」大学出身者。次期代表と目される石井啓一幹事長もまた、東京「帝国」大学出身である。

いつからか創価学会・公明党には「帝国大学出身者でなければ、人の上には立てず」との「真っすぐに歪んだ学閥主義」でも存在するのであろうか。

本来、創価学会には学歴主義も学閥主義もないはずである。仏法の人間主義に根差した、真の平等・実力主義があるばかりであろう。にもかかわらず、傲慢な差別意識の象徴である「学閥主義」などあっていいはずがない。

煽るようで恐縮だが、全国にあまたいる創大卒業生たちは、このままでいいのだろうか?この際、全国の会員の先頭に立って、「第七代会長推戴運動」をするのも一興ではないか?
否、もとい。そんなことをしようものなら、組織統制派幹部から査問され、仏敵の烙印をおされてしまうだけだろう・・

しこうして、学会の将来を展望するなら、真の弟子の道を歩もうとする「池田派」と、組織の維持を優先する「組織派」との相克が、顕在化していかざるを得ないのではなかろうか。

【投書】真っすぐに歪んだ学閥意識!” に対して1件のコメントがあります。

  1. SHG より:

     東京大学出身の創価学会の最高幹部と言えば、私が学生の頃、青木 享・当時副会長が よく「学生時代、私が駒場にいた頃 …」などと、「東大出身」アピールをしていたことを思い出す。 (「駒場」とは東大・駒場寮のこと)
    原田会長も、朝日新聞のインタビューで、
     「山口代表は後輩でもあり、意思疎通は図っています。」
     (『インタビュー 創価学会はどこへ 創価学会会長・原田稔さん』朝日新聞2016年9月22日)
    などと、東大卒の山口・公明党代表を引き合いに出して「東大出身」アピールを織り込むことを忘れない。

     東京大学出身の人の中には、たしかに立派な業績を残している優れた人たちもいる。 (私の学問上の師匠もそうだった)
    しかし、そういう人たちは普通、学歴には頓着しない。
    学歴にこだわり、「東大出身」アピールをするのは、大抵、自分と自分がやってきたことに自信が持てない連中である。 自信があれば、「東大出身」アピールなどする必要がないからだ。
     あるいは、日本社会の上層部・エスタブリッシュメントに根を張る東大閥などの学閥のコネクションに依存していて、自分の立場を優位に保とうとする連中である。
    彼らは「有名大学卒」の「印籠」、学歴の権威 への強い「信仰」を持っているように見える。 その「信仰」は、彼らにとっては 時に 仏法への信仰よりも強力のように見える。

     ここで想い起こされるのは、大聖人門下で最後に退転した三位房のことである。
                         (以下、引用中の「…」は中略)
    【引用】 > 三位房日行は、学もあり、門下の長老で … 弁も立つ人であった。 しかし、才知に慢ずるところがあり、また … 世間の権戚に弱く、一閻浮提第一の法門を持する誇りと自覚に欠けていた。
    … 京の貴族の権威よりも大聖人の仏法の存在を下にみる心があったようです。 <  「生死一大事血脈抄」講義 (池田大作全集第24巻)

    「京の貴族の権威」といった世間的な権威「よりも大聖人の仏法の存在を下にみる心があった」ということは、三位房に於いては 大聖人の仏法への信仰よりも 世間的な権威への信仰の方が勝(まさ)っていた、ということに他ならない。

    有名大学出身アピールをする創価学会の最高幹部も同じではないだろうか。

    池田名誉会長は次のように言われている:
    【引用】> 戸田先生は、「信心に学歴は関係ない」と断言された。
     当然、学問は大事にされた。 しかし、学歴などを鼻にかける人間が幹部になれば、会員はだれもついていかないぞ、皆がかわいそうだ、と厳しく言われた。
     御書の教えは厳正であり、公平である。…
     「持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし」と仰せである。…
     大変ななかで、歯を食いしばって、妙法のために戦う人が一番尊いのである。
     有名な学校を出たとか、社会的な地位があるとか、そんなことは、信心には、まったく関係ない。
     なかんずく、学会の庶民の力で偉くしてもらいながら、大恩を忘れ、傲慢になり、最後は裏切って、反逆していく──そんな畜生以下の人間が出たならば、断じて許すな、その大罪を未来永劫に糾弾し抜いていけ、と恩師は厳命されたのである。
     「私がいなくなった後が怖いぞ」「増上慢に勝手きままにやられるぞ」「それをさせないために、私は厳しく言うのだ」と。 <
    (首都圏代表協議会 2007年5月19日)

    われわれは今、まさに 師匠「がいなくなった後」を迎えている。

    (この件は正法滅尽の問題に関わるので改めて別に書いてみたい)

    1. カナリア より:

      本日、SHG様の投稿を拝見し、コメントをいただいていたことを知りました。遅ればせながらありがとうございます。
      日蓮大聖人・池田先生のご精神に立ち還らねばなりませんね。
      本当の戦いはこれからだ!と決めて行きたいと思います。
      引き続きよろしくお願いいたします。

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