座談会御書「四条金吾殿御返事」2022年(令和4年)7月度
〈御 書〉
四条金吾殿御返事(世雄御書)
御書新版1590㌻14行目~15行目
御書全集1169㌻8行目~9行目
〈本 文〉
日蓮は少より今生のいのりなし。ただ仏にならんとをもふばかりなり。されども、殿の御事をば、ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり。その故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり。
〈通 解〉
日蓮は若い時から今生の栄えを祈ったことはない。 ただ仏になろうと思い願うだけである。 しかし、あなた(四条金吾)のことは、絶えず法華経、 釈迦仏、日天子に祈っているのである。それは、あなたが法華経の命を継ぐ人だと思うからである。
〈背景と大意〉
建治3年(1277年)、日蓮大聖人 56歳の御時、四条金吾に与えられた御書。
徒党を組んで法座を乱したと同僚よりの讒言がなされ、念仏者の主君江間氏から「法華経の信仰を捨てる」との誓約書を書くように迫られ、所領没収という生活基盤を失いかねない状況に陥いりました。
大聖人は日本、中国への仏法伝来の歴史を引かれて、正法を信ずる者は必ず勝ち、背く者には厳罰があることを述べられました。
続いて、ご自身の今生の祈りはただ「仏になる」ことであるが、その上で弟子金吾の幸福はひたすら祈ってきたことを述べられています。
その理由は金吾が「法華経の命を継ぐ人」であるからであるとされ、日常の振る舞いに細かいご指示をされながら油断せぬよう激励されています。
〈講 義〉
1,信仰の真の目的のひとつは社会の指導者を目指すこと。
当該御書冒頭に「夫れ、仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり。故に、仏をば世雄と号し、王をば自在となづけたり」とあります。
この本文中の「仏法は勝負」とはただ単に信仰をもとに社会的に名声を得るとか、裕福になるという、いわゆる社会的「勝ち組」になることではありません。
何故ならば同じく四条金吾に与えられた八風抄には
「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり」
とあります。「八風」とは仏道修行を妨げる働きであり、「利(うるおい)、誉(ほまれ)、称(たたえ)、楽(たのしみ)」の四順と、「衰(おとろえ)、毀(やぶれ)、譏(そしり)、苦(くるしみ)」の四違があり、これら富や名声に一喜一憂する生き方を戒められ。
また同じく金吾に与えられたお手紙には
「一生はゆめの上・明日をごせずいかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給うべからず」
ともあり、儚い今生ゆえ、乞食に身をやつすようなこともあろうが、法華経にはキズをつけないように、とされています。
ではここで仰せの「仏法は勝負」とは何を意味されておられるのでしょうか。
それは、仏法はいずれの経(教え)が道理として優れているのか、どちらが勝りどちらが負けている(劣っている)のかが根本であるとの意で、他方、王法(権力者)の根本は信賞必罰で権力に与するか否かにある、ということです。
故に、最高の経(教え)を持った人を仏の十号のひとつである世雄、力ある正しい見識を持った指導者と言い社会や民衆への奉仕者貢献者とされ、他方、王は権力構造を支配するに自在というのである、と述べられております。
その上で同御書には「仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝つものなり」とも仰せです。鎌倉(王)の一門、江間氏からの理不尽な弾圧に対し、そのような自在たる権力者でさえも仏法の道理(文証理証現証という三証)の点から勝利していけるのである、とご教示されています。
これは研究者の間で「釈尊御領観」と言われる日蓮大聖人の世界観を表す一端で、『法華経』譬喩品の、「今、この三界は皆これ我が有なり。その中の衆生は悉くこれ吾が子なり」を依文とされ、法華経の教主釈尊は「大地・虚空・山海・草木」すべての存在を支配し、「三界の諸王」(『神国王御書』)の上に君臨する、霊山浄土所住の存在である、とする思想であります。
故に社会的にはたとえ身分の賤しい者であっても、法華経を受持し如説に実践する限り、その人は、いかなる世俗的な権勢を有した、高位にある人物にも勝る存在であるとなる訳です。
逆に本来仏が治める世界で如説修行の法華経の行者を迫害し悪政をほしいままにする悪王はその敵対者として必ず滅ぶことになります。
2,広布の命脈は「法華経の命を継ぐ」にあり。
大聖人は金吾を大切に思われておられる心情として「法華経の命を継ぐ」人であると表現されておられます。
「法華経の命を継ぐ」とはどういう意味でしょうか。
世雄御書を認められる前年の建治二年三月十八日、南条時光によるご供養の返信には「されば法華経を山中にして読みまいらせ候人をねんごろにやしなはせ給ふは、釈迦仏をやしなひまいらせ法華経の命をつぐにあらずや」とあります。その他のお手紙にも「命をつぐ」という表現は多用されており、主に大聖人ご自身になされるご供養に対する尊い行為をさされておられます。
故に「法華経の命をつぐ」という意味は、末法の法華経の行者、御本仏たる日蓮大聖人のお命を「法華経の命」と表現され、そのお命にご供養する行為を「つぐ」と表現されておられると拝せます。
また、それはとりもなおさずご供養者の成仏へと繋がり、一波が万波へと広がるように広宣流布への継承となるとも拝せましょう。
「世雄」であれ「法華経の命をつぐ」という表現であれ、日頃からご供養の品々を師匠にお届けし、龍ノ口の頸の座では「只今なり」と師匠の殉教の跡に続こうとされた、生命をも師匠に供養されようとした四条金吾の並々ならぬ赤誠に、置かれている苦境を案じ、信仰の目的の本意は成仏にあり、と心からの激励をされたお言葉でありました。
その様な金吾でしたが大聖人入滅後、権力構造の中で疲れたのか、また当時の武家社会の慣例に従ったのか入道した後は隠遁し、広布の表舞台から消えたことは大変に残念です。
師匠から広布後継に絶大な期待を寄せられた弟子が、師なきあとはひっそりと隠れるように鳴かず飛ばずという姿も「三世格別あるべからず」と申せましょうか。
熱原の法難で事実殉教されたのはそれこそ農民、野良に生きる人々でした。大聖人にも直接お会いすることなど一度もなく、日興上人が語られる師匠の姿を夢見、教えを信じて「法華経の命」を文字通りつがれたのでしょう。
私どもも物理的にではなく、「心こそたいせちなれ」と師匠にどれだけ心が近いのかを誉として、自身の広布の表舞台で舞いに舞いゆく日々でありたい、そう願いながら本日の拙い講義とさせていただきます。
■御書講義 動画サイト
7月度座談会御書履歴
座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2000年(平成12年)
座談会御書 「佐渡御書」2001年(平成13年)
座談会御書 「立正安国論」2002年(平成14年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事」2003年(平成15年)
座談会御書 「千日尼御前御返事」2004年(平成16年)
座談会御書 「三沢抄」2005年(平成17年)
座談会御書 「御義口伝」2006年(平成18年)
座談会御書 「祈祷抄」2007年(平成19年)
座談会御書 「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」2008年(平成20年)
座談会御書 「弥三郎殿御返事」2009年(平成21年)
座談会御書 「祈祷抄」2010年(平成22年)
座談会御書 「諸法実相抄」2011年(平成23年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2012年(平成24年)
座談会御書 「辨殿尼御前御返事」2013年(平成25年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(此経難持御事)」2014年(平成26年)
座談会御書 「上野尼御前御返事(嗚竜遺竜事)」2015年(平成27年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(世雄御書)」2016年(平成28年)
座談会御書 「佐渡御書」2017年(平成29年)
座談会御書 「種種御振舞御書」2018年(平成30年)
座談会御書 「辨殿尼御前御返事」2019年(平成31年)
座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2020年(令和02年)
座談会御書 「富木尼御前御返事(弓箭御書)」2021年(令和03年)
7月の広布史
――「大阪大会記念日」――
昭和31年7月17日
■小説「人間革命」11巻 第4章「大阪」
――男子部結成記念日(男子青年部部隊結成)――
昭和26年7月11日
――女子部結成記念日(女子青年部部隊結成)――
昭和26年7月19日
■小説「人間革命」第5巻「随喜」
■小説「新・人間革命」第22巻「新世紀」