【投書】未来に対する責任とは?

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投書者:カナリア

「辛(から)きことを蓼(たで)の葉に習い、臭(くさ)きことを溷厠(かわや)に忘る」

御書全集p24 新版p34

立正安国論の一節である。後半部分、今は水洗トイレが主流なので、トイレで匂いを感ずることは少ないかも知れない。かつては、汲み取り式だったので、入りたては臭かった。しかし、しばらくすると慣れてきて匂いを感じなくなる。人間は様々な環境に慣れてしまう事の譬えである。

個々が自立せず、「組織信仰」を長く続けていると、ましてや幹部という立場で、組織内で振舞っていると、おかしい事があっても慣れてしまう。臭い匂いを感じられなくなってしまう。

例えば、選挙が近づいてくると、宗教団体の組織にもかかわらず「選挙支援体制」に切り替わる。これが当たり前になっている。自公連立は20年続いてきた。友党として自民党を応援するのも当たり前。

「公明党は良くやっている」と思い込むのも当たり前。素朴な疑問は湧かなくなってしまう。神経が麻痺してしまった状態。実はこれが一番怖くて、タチが悪い。

「自分は生活に困っていない」。「社会の不条理は困ったことだが、差し当たって自分には関係ない」。「日蓮仏法は正しいし、創価学会は正しい団体なのだから、自分も恐らく間違ってはいない。だから何とかなる」。多くの会員諸氏は、漠然とそう思っているのではないか。

だが、未来はどうなのか?残念ながら、学会員諸氏の問題意識は、これ以上深まることはないのであろうか?

巷間言われているように、「創価学会は社会の縮図」。良しにつけ悪しきにつけ、学会員の動向は社会全般に影響を及ぼす。また創価学会の実態と社会一般のあり様は、確かに酷似しているのである。政治の世界ではなおさらなのである。

現在のように、個人が矮小化され、時代の生命力が弱った状態。これが末法の象徴的状況なのだ。ロシアのウクライナ侵攻を契機とした「ハードパワー」復活の兆しの中で、池田先生のご指導にあった「ソフトパワーの時代」を到来させるためには、何が必要なのだろうか?

多くのロシアの人達のように、国営放送だけを信じて、大事なことを判断してはいけない。

【投書】未来に対する責任とは?” に対して1件のコメントがあります。

  1. TAKIBI より:

    確かに、おっしゃる通りです。
    自分の頭で考えない。
    これが今の日本です。
    テレビの情報に無条件で理解を示す。
    学会も同じ。組織の打ち出しに無条件で理解を示す。

    テレビが悪いとは言うわない、組織が悪いとは言うわない。
    そこに自分の意志が必要なんですね。

    たった一つの正解を見つけるのではなく、自分に取っての正解を決める力が必要だと思います。

  2. 自活キング より:

    牧口初代会長は人生地理学で人間は世界の土地とつながっていることを学ぶため、自分の郷土の観察を始めるように提案しています。つまり、世界とつながるには、世界に思いを馳せること、我が事としていくことを教えられたのではないかと思います。
    未来に思いを馳せ、我が事とするとは、今この時に権威主義と戦うことであり、それがまた未来に対する責任ではないかと思いました。

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