創られゆく「信仰のかたち」~日本国の人々の賢父、聖親、導師

「真言諸宗違目」文永9年(1272)5月5日

法然が捨閉閣抛、禅家等が教外別伝、若し仏意に叶はずんば日蓮は日本国の人の為には賢父なり、聖親なり、導師なり。

法然浄土教の捨閉閣抛、禅家が説く教外別伝が仏意に叶わないならば(日蓮の教説が正しいのならば)、日蓮は日本国の人々の賢父、聖親、導師である。

同年2月の「開目抄」において、「我日本の柱(主)とならむ我日本の眼目(師)とならむ我日本の大船(親)とならむ等とちかいし願やぶるべからず」と、竜口で発迹顕本された日蓮大聖人は、その境地(主師親)を明かしていますが、3ヶ月後の「真言諸宗違目」では師徳と親徳を強調しています。

当書執筆の文永9年(1272)5月5日といえば、佐渡に配流された翌年です。どこの誰が、幕府より処断された流人を「日本国の主師親」であると理解できたことでしょう。

法華勧奨に励み国主を諫め、多くの門下を育んだ鎌倉、懐かしき人々が数多いる故郷の房総、青年時代の修学の地である京畿。それらは過去の記憶となり、今ここで眼にするのは北國佐渡の自然とわずかばかりの供の弟子。

第三者からすれば大聖人の「柱・眼目・大船」「賢父、聖親、導師」との言説を聞いたところで、「流人の世迷いごと」程度だったことでしょう。しかし、大聖人は認識と評価、現状と環境の前に停滞するのではなく、「自らのこと」「仏法のこと」を堂々と、明確に説き始め、それは今日に伝わる御書となり大御本尊として、「信仰のかたち」が創られていくのです。

「何もないところからが、真の始まりである」

「自らのことは自らが決める。それを書き、残し、伝えることは同時に未来への宣言となる」

御書の一行、二行から受け止めるメッセージは多々あると思います。

                      林 信男