師のもとに集い、祈り、学ぶ~身延の草庵にみる「信仰のかたち」
辧殿御消息 (建治2年7月21日)
紙なくして一紙に多く要事を申すなり。
「辧殿御消息」の最後の一行から、身延山中での日蓮一門の生活がうかがわれます。
わずかな紙、貴重な紙。故に紙一つに用件から思い、祈りに至るまで、多くを書き込まれています。
この書簡で目が引かれるのは、
ちくご(筑後)房・三位(さんみ)・そつ(帥)等をばいとま(暇)あらばいそぎ来るべし、大事の法門申すべしとかたらせ給え。
との一節です。
師匠が「大事の法門を語ります。急ぎ来なさい」と呼びかけ、弟子が直ちに駆けつける。ここに師弟の呼吸というものを感じると共に、今日、「御義口伝」「御講聞書」として伝えられるような、身延の草庵での法華経、経典の講義が事実としてあったことが確認、理解できるのです。
「大事の法門申すべし」ですから、まさに口伝で重要な法門を語り伝えたということでしょうし、日興上人はそれを「御義口伝」、日向は「御講聞書」として残したと伝わるのですが、文書化されていない大聖人の教示も当然考えられるわけで、それがいかなるものであったのかが気になるところですが、今は、これからの探求の課題ということにしたいと思います。
「忘持経事」(建治2年3月)には、
然る後深洞に尋ね入りて一菴室を見る、法華読誦の音青天に響き一乗談義の言山中に聞ゆ
とありますが、日蓮大聖人の講義と師弟が語らう法門研鑽の姿からは、『師の言葉に学ぶ求道の集いが日蓮仏法のかたちである』と教わる思いになります。
原点の原形をたずね求め、現在から未来へいかに伝えるのか?
今、それを考える時が到来しているように思います。
林 信男