座談会御書 「種種御振舞御書」 2021年(令和3年)2月度
御書
種種御振舞御書
□御書全集 910㌻17行目~911㌻1行目
〈本 文〉
仏滅後、二千二百二十余年が間、迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、南岳・天台等、妙楽・伝教等だにも、いまだひろめ給はぬ法華経の肝心、諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろませ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり。わたうども二陣・三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ、天台・伝教にもこへよかし
〈通 解〉
仏滅後二千二百二十余年の間、迦葉・阿難等の釈尊の弟子や、馬鳴・竜樹等の論師や、南岳大師・天台大師・妙楽大師・伝教大師等でさえも、未だに弘められなかった法華経の肝心であり、諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字(御本尊)が、末法の始めに一閻浮提へ弘まっていく瑞相として、日蓮は先駆けしたのであります。
我が一門の者どもは、日蓮の後を二陣・三陣と続くことによって、迦葉・阿難にも勝れ、天台大師・伝教大師をも超えていきなさい。
〈講 義〉
「種種御振舞御書」全体のことについて、まず述べます。この御書が建治二年に、誰宛に書かれたのかは、分かりません。
光日房宛とされていましたが、安房の国、清澄寺周辺の人々宛という説もあります。
少しこの本文の前後にも目を通しながら学んで行きたいと思います。
「種種御振舞御書」には、「わたうども二陣・三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ、天台・伝教にもこへよかし」とあります。日蓮大聖人が弟子たちに、私に続いてくれ、私の跡を継いでくれ、と訴えられた一文です。では、どのような跡を継げばええの?
「種種御振舞御書」には次のようにあります。
「わたうども二陣・三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ、天台・伝教にもこへよかし。わづかの小島のぬしらがをどさんををぢては、閻魔王のせめをばいかんがすべき。仏の御使となのりながらをくせんは無下の人人なりと申しふくめぬ」
「わとう」は、「和党」「我党」で、辞書的意味で言えば、
「親しみ、時には軽蔑の意を込めて、『お前たち』」
という感じだと思います。まあ、ここでは「軽蔑の意」ではありません。親しみと、そして負けて欲しくない、生き抜いて欲しいという、門下への切実な思いです。
大聖人の御書のいくつかは、当時の「軍記物語」の影響を色濃く受けています。
そう言えば、なにか、「大聖人の御金言をそんな文学作品と比べるとは!」とおしかりを受けるかもしれませんが、
まさに当時は「軍記物語」が、琵琶法師などの、路上の放浪芸の「語り」で広まっていきつつある時代でした。つまり、大聖人の語りが、「放浪芸」の影響を受けていたのは、まさに大聖人が「殿上人」ではなく、「路上の人」、「人々の雑踏の中に飛び込んだ人」であることの証左です。
京都本国寺には、「種々御振舞御書」と同時期のものと推定されている断簡が発見されています。
(真筆と思われますが、創価学会版御書には未収録)
難申之未驚天聴欺。今可止諌暁 。勿至後悔(『未驚天聴御書』)
鎌倉幕府へは諌暁をなしたが、まだ天皇の耳には入れていない。後悔なきようにしよう、というような意味でしょう。
実際、天皇には送っていないので、鎌倉幕府への諌暁(それによる当然の弾圧を覚悟のうえ)を以て、最終的な目的と考えたのでしょう。これは余談です。
さて、「わたうども」との呼びかけの前には、このような言葉が記されています。
各各我が弟子となのらん人人は、一人もをくしをもわるべからず。をやををもひ、めこををもひ、所領をかえりみることなかれ。無量劫よりこのかたをやこのため、所領に命すてたる事は大地微塵よりもをほし。法華経のゆへにはいまだ一度もすてず。法華経をばそこばく行ぜしかども、かかる事出来せしかば退転してやみにき。譬えばゆをわかして水に入れ、火を切るにとげざるがごとし。各各思い切り給へ。此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり。
仏滅後、二千二百二十余年が間、迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、南岳・天台等、妙楽・伝教等だにも、いまだひろめ給はぬ法華経の肝心、諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろませ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり。
ここでヒントになる他の御書の記述を紹介します。
弘長三年ですから、大聖人の弘教のまだはじめのころの著作、「持妙法華問答抄」に、注目すべきこんな記述があります。
創価学会版御書のp.466〜467。
「生涯幾くならず思へば一夜のかりのやどりを忘れて幾くの名利をか得ん。又得たりとも是れ夢の中の栄へ、珍しからぬ楽みなり。只先世の業因に任せて営むべし」
世間の事は、前世の宿業が出るに任せろ、というのです。
もっとだいじなものは、「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧めんことこそ今生人界の思出なるべき」(p.467最後の行)なのです。
世間的な名聞冥利などはなるに任せて、仏法者としてはすべきは、ただひたすら、信仰に生きることであるというのです。
逆に、信仰に生きる事は、「世間的(つまり、「蔵の財」「身の財」的な)宿命転換」とやらではなく、
そのようなものがどうなっても、なるに任せて、それに動じないこと
――これがほんとの意味の、「宿命転換」なのではないでしょうか。
「種種御振舞御書」に記述される大聖人のご生涯は、世間的に言えば、「宿命の嵐」のように見えます。しかし、それに大聖人は動じない。
それどころか迫害に会っても笑い飛ばし、そんな状況でも大聖人を心配し思い、お手紙する信徒に心から感謝し心を寄せて涙を流しさらに激励する。
そのような生き方、つまり、「小島のぬし」らの恫喝や弾圧などいうものに、動じないことこそ、「宿命転換」なのではないでしょうか。
そういう人生を生きて欲しい、そういう人生を我が人生の模範として生きて欲しい、と大聖人は訴えられていると思います。
その心で妙法蓮華経を先頭に立って広め、人々の幸福を願い寄り添う姿を我々は池田先生を通じてよくよく見てきましたね
我々もその心と行動で師とともに生きて生き抜いて参りたいとおもいます。
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