僣聖増上慢・私論
投稿者: 鬼滅の言
妙楽云く「第三最も甚し後後の者転(うたた)識(し)り難きを以つての故に」等云云
開目抄下 御書p.228
三類の強敵の中で三番目に説かれる僣聖増上慢は極めて悪質である。-理由は-
その正体を見破ることができないからである(意訳)
妙楽大師が僣聖増上慢について説いた法華文句記の文です。
僣聖増上慢とは世間的には聖者と思われている人が、内心は慢心を抱き法華経の行者を迫害する人のことです。
私が三類の強敵について学んだのは多分、学生部の時代です。
当時、私は僣聖増上慢の「僣」の字を「潜」の漢字であると思っていました。
聖者の心の奥に潜む慢心であると考えたからです。
男子部になって開目抄を学んだ時、妙楽大師のこの言葉を知りました。
「第三最も甚し後後の者転(うたた)識(し)り難きを以つての故に」
僣聖増上慢は見破ることができない。
そして思ったのです。
「僣聖増上慢とは幹部のことではないか?」
と。
幹部は目標を打ち出し、号令をかけ、組織を動かすことができる立場にあります。その号令が信心より発せられたものか、成果に対する見栄から出たものか、私には分からないと思ったからです。
信心を無くした幹部、それが僣聖増上慢ではないかと思いました。
「自ら真の道を行ずと謂つて人間を軽賤する者有らん」「利養に貪著するが故に」
開目抄下 御書p.224
名聞名利に執着し、人を見下し、人間主義を否定する。これが僣聖増上慢の本性です。
開目抄ではこの文の少し後に般泥洹経の文が引用されています。
六巻の般泥洹経に云く「阿羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行ず、一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん羅漢に似たる一闡提有りとは是の諸の衆生方等を誹謗するなり、一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰し広く方等を説くなり衆生に語つて言く我れ汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何ん一切皆如来の性有る故に然も彼の衆生一闡提なりと謂わん」等云云
開目抄下 御書p.224
現在に当てはめて、私はこのように読んでいます。
弟子に似た反逆者がいて悪事を為す。逆に反逆者に似た弟子がいて人間主義を実践している。弟子に似た反逆者は人間主義を批判するのである。
反逆者に似た弟子は一人を大切にし、人々のために活動している。しかし人々は人間主義の彼らを反逆者扱いするのである。
2〜3年前、私は初めて「僣」の文字を職場にあった国語辞典で調べてみました。
「僣」とは「まねをする」「ふりをする」となっていたと記憶しています。
今回、ネットで「僣」の字を検索しました。
「おごる」「なぞらえる」「身分の低い人が身分の高い人のまねをする」とありました。
「僣」の意味すら理解しないまま何十年も過ぎましたがそれでも、今もって私は思うのです。
僣聖増上慢とは信心を無くした幹部であると!