静岡県在住 元壮年部
数年前、理不尽な処分を受けて、自活信仰になりました。そんな中、昨年、待望の初孫が生まれました。産後、四日ほどで母子ともに退院して、育児が開始しましたが、母乳の飲みが悪いと、母親である娘が訴えはじめました。念のため、一度小児科に診てもらおうということで、診察を受けましたら、こちらではよくわからないので、大きな病院で診てもらった方が良いと、総合病院を紹介されました。そのまま紹介された病院に行きますと、即入院というとになり、よく訳も分からぬまま、あたふたと入院の支度をし、娘が昼夜付きそうことになりました。病院側は、「なぜか受乳がうまくできていません。肺に入ってしまってるようです。」とのことで、その日から、鼻から胃へ直接管を入れて、点滴で授乳することになりました。以降、一週間ほど精密検査を行いましたが原因が解らず、もう一週間「検査を続けます」と言われたのでした。一週間後、娘(母親)と私が主治医に呼ばれ、告げられました。
「原因となる障害が見つかりません。これは大変重大な問題です。唯一考えられるのは、脊髄性筋萎縮症という難病です。これはごく稀にある遺伝子の病気です。今、最終確認のために、東京女子医大に血液を送り、DNAを検査しております。この病気であればどんな延命処置をしても一歳の誕生日は迎えられません。覚悟をして下さい。」と言われて、よく読んでおくようにと脊髄性筋萎縮の詳しい説明を書いた紙をわたされました。家族は愕然としました。納得のいかなかった私は、その夜、ネット上でこの病気に関する記事を徹夜で調べましたが、読めば読むほど絶望的なものでした。生まれた子供は当然何も分からず眠っていますが、初めて母親になったはずの娘の心痛を思うと、胸が締め付けられました。真剣な題目をあげながら、「必ず意味がある。それを確信する強い自分になりたい」と願いました。また、最愛のご次男を、若くして亡くされた池田先生の御心に思いをはせました。妻も泣き腫らした目で、必死に娘を励ましておりました。そんな地獄の数日が過ぎた頃、娘が子供を抱きながら言いました。「お父さん、血液検査の結果が出たら、退院したい。機械での延命処置なんかしないで、最後まで自分が一緒に苦しみながら見とってやりたい。先生にそう言って欲しい」と。私も同感でした。家族の覚悟が決まりました。皆で題目をあげながら、検査結果が出ると言われた日を翌日に控えた日、外来で診察に来ていた他病院の小児科の先生が、たまたま孫の容体を聞きつけ、念のため私も診てみましょうと、診察をし始めた途端、「あっ、これは喉頭軟化症だよ!」と。その言葉の響きに、何か一縷の望みを直感しました。具体的原因が見つからないところにこの病気にの怖さがあると聞いていたからです。そこに初めて新たな病名が告げられたのでした。そして、その病気のことを詳しく聞くと、大概は半年ぐらいで自然に治る。もし治らなくても、手術で治すことができると言われたのです。地獄から天国へ移されたような気分でした。そしてその翌日、女子医大から検査結果が届き、脊髄性筋萎縮ではないことが判明しました。その後、無事退院し、暫くは点滴授乳が続きましたが、6ヶ月を過ぎた今では喉頭軟化症も完治し、元気よく離乳食を食べれるようになりました。振り返れば、単なる誤診だったわけですが、私たち家族の信心が試された出来事でした。幸い、誤診で済んだ我が家族ですが、実際に難病にかかり、苦労をされてる方やそのご家族がいることを忘れることができません。その方達に少しでも幸福が訪れることを祈りながら、ご本尊への確信をさらに深める今日この頃です。