4期生の図斉氏が、2名の副会長を含む70名余の所沢の幹部諸氏
に送られた、教学要綱についての「質問会開催」
を求めるメールに対し、賛同を表する意味で、
私が一斉送信した文面(読み易くする為、若干、修正・
加筆筆しました)を、以下ご紹介いたします。
図斉さま、皆さま
メール拝受いたしました。女性部Tさまのメールも拝読いたしました。
私からも5回目の賛同メールとなりますが、少々申し上げたいと思います。
図斉氏は役職が無くなったとはいえ、創価学会員であることに今も変わりはありません。
それなのに、70名余の幹部諸氏からは、叱咤激励はおろか、何の接触もないとのこと。
この状況は何を意味するのか?を私なりに以下考えますと・・
①図斉氏をたしなめるご指導をなされたい場合:図斉氏の主張が三代会長のご指導・ご指南に反していること、間違っていることを明らかにする必要がございます。
②図斉氏を励ます為に接触されたい場合:図斉氏の、教学要綱の誤りについての主張が、三代会長のご指導に照らして「その通りである」と理解する必要がございます。
③組織の決定には従うべきだから、図斉氏には接触しないことが正しいと思っている方々の場合はどうか?
主に上記3パターンに分類しますと、①②の場合は、いずれにしても「教学要綱」に何が書かれていて、その内容は「正」なのか「邪」なのか、自らが判別しなければ行動に移せません。皆さまがご認識を深められ、ご自身の結論を持たれる事を祈るばかりです。
また③については、現在の創価学会に於いて、非常に大切なテーマを含んでいるのではないかと思います。
我思うに、創価学会は「究極のボランティア団体」であり、「軍隊組織」とは違わなければなりません。軍隊では上官の命令は絶対だとされます。しかし広宣流布の団体、人権を護るべき創価学会においては、その次元は全く異なるのではないでしょうか?
10数年前のことになりますが、ある壮年幹部が「上が決めたことだから・・」と、ご本人が納得しないまま、一つの打ち出しを地区協議会参加の皆さんに押し付けるような場面に出くわしました。
私は、「上とは誰か?」と問いました。そして、あなたのその言は、先生の嫌われる「官僚主義そのものではないのか?」と、指摘させていただきました。「組織が決めた?」組織は口を利きません。物事は人が決めるのです。
翻って今回の図斉氏の役職解任についても、いったい誰が、どういう責任の下決めたのでしょう?図斉氏は①金銭問題を起こしていません。②男女問題も起こしていません。③共同事業もしていません。
そして、図斉氏の影響で、信心をやめたり、創価学会を退会した人がいたのでしょうか?また具体的に何らかの被害を被った方がいたのでしょうか?勿論、実害などありません。
一部の最高幹部と位置付けられる者が、ある面、恣意的に会員を処分する。そんなことが横行すれば、先生が命がけで築かれた創価学会は、どうなってしまうのでしょうか?
先生は「世界の一流の方々は、物事を自分の目と耳でしっかりと確かめる」旨、ご指導されています。
日蓮仏法の教義の根幹は、三大秘法です。これを合すれば一大秘法となり、それは「本門の本尊」に集約されます。しかるに、創価学会教学部は一大秘法を「お題目の南無妙法蓮華経」に変更してしまいました。日蓮宗身延派と同じになってしまったのです。
現在の学会教学では、種脱相対を用いず、したがって「文底仏法」の立場は取れなくなっています。また、日蓮大聖人は本来の根源仏としての本仏ではなくなり、限定された意味での「末法のご本仏」、釈迦の使いとしての存在に貶められています。
さらに、男子部教学室なる者は、日蓮大聖人は拝むべき存在ではないとまで言い、「人本尊」「人法一箇」も使われなくなっています。(詳しくは、図斉氏の今期の論考「諸法実相抄の解説の不正を糺す」をご参照下さい。)
いずれにしましても、現在この所沢の地で起きていることは、決して他人事ではないのです。皆さまお一人お一人の覚醒をお祈り申し上げます。そして最後に、正々堂々の教学要綱についての質問会(所沢問答)の開催を、重ねて念願するものです。
:メールの引用ここまで
創価学会の公式教義書として、教学要綱が発刊されて、来たる11月で早3年となります。
教学要綱P158に「創価学会は、大聖人が覚知し説き示された一大秘法である「南無妙法蓮華経」を法宝として尊崇し・・」とあります。
そもそも、皆さま方は、一大秘法が御本尊からお題目(南無妙法蓮華経)に変わったなどという説明を受けた記憶があるでしょうか?
また、根本教義を変えておきながら、これを周知するための、説明会や勉強会などが一切持たれないなどということが、許されて良いのでしょうか?宗教団体として、あり得ないことだと私は思います。
「そんなことは嘘だ!」または「組織の決めたことに間違いはない!」とおっしゃるのなら、「教学要綱」を読んで、正しい認識をしてからにしていただきたい。
(個人的には「創価学会教学要綱」\2,545+税よりも、「創価学会教学要綱と日蓮本物論の考察」\1,800+税、須田晴夫著 鳥影社の方が分かり易いので推奨いたします)(元副教学部長の須田氏は「法華経の智慧」全6巻に於ける、池田先生との鼎談者のお一人です)
終わりに、御書を拝します。
生死一大事血脈抄の結句に「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」とあります。信心の血脈とは何でしょうか?それは「正しい教義」のことです。言うまでもなく、日蓮大聖人⇒日興上人⇒日寛上人と継承され、三代会長が護持された日興門流の教学以外に正しい教学はありません。これを改変することは「法華経を持つとも無益なり」に通じてしまうことになるのです。
この意味において、創価学会教学部(執行部)は、会員に対し、教学要綱の内容について、「なぜ改変したのか?」を、真摯に説明する責任があるのではないでしょうか?