座談会御書「弥三郎殿御返事」2023年(令和5年)3月度
〈御 書〉
新版御書 2085㌻7行目~9行目
御書全集 1451㌻10行目~12行目
背景と大意
対告衆の「弥三郎」については、詳しいことはわかっていません。
本状は弥三郎が念仏の法師との問答をいかにすればよいかを尋ねたのに対し、その要点を示された返状であります。内容としてはまず日本国の諸人にとって主師親三徳の仏は釈尊であり、阿弥陀如来はその一徳も有しないのであるから、阿弥陀如来を信仰することは日本国に住しながら自国の王を疎かにし、他国の王を重んじるようなものであること、そして念仏信仰を説く僧等は、善人の振りをして人々を堕獄せしめ、一国に災難をもたらす大悪人であると述べられています。更に、念仏者との問答のやり取りを具体的に示され、その法師に対し「親を捨てて他人をもてなす愚か者である」と責めなさいと指示されています。最後に弥三郎本人について、腹を決めた覚悟の信心に立つことを強く促されて本状を結ばれています。今日の講義箇所は、最後のところになります。
〈本 文〉
ただひとえに思い切るべし。今年の世間を鏡とせよ。そこばくの人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。これこそ宇治川を渡せし所よ、これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくたすかなり。
〈通 解〉
ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、自分が今まで生きながらえてきたのは、このこと(法華経ゆえの難やこの度の対決)に遭うためである。これこそ宇治川を渡す所であり。これこそ勢多川を渡す所である。名を揚げるか、名を腐すかである。
〈講 義〉
ともかくも偏に腹を決める覚悟が大事だと仰っています。「今年の世間の様子を鏡にしろ」というのは、本抄が書かれた建治3年(1277年)に、疫病が大流行して多くの人命が失われたことを指されています。
すなわち本抄に「諸人現身に大飢渇・大疫病・先代になき大苦を受くる」(新版P-2083・全集P-1450)とあるように、この年は深刻な飢饉があり、また疫病の大流行が見られました。
疫病は建治3年の春から翌・建治4年の2月中旬にかけて、社会の各層に広がりました。このことは建治4年2月の「松野殿御返事」にも次のように述べられています。
「去年の春より今年の二月中旬まで疫病国に充満す、十家に五家・百家に五十家皆やみ死し或は身はやまねども心は大苦に値へりやむ者よりも怖し」(新版P-1998・全集P-1389)
10軒に5軒、また100軒に50軒が、伝染病で家族を失い苦しんでいるというのですから、大変な状況でした。
日蓮大聖人は、このように多くの人が亡くなったり、苦しんでいる中で、生き永らえることのできた自らの使命を深く自覚すべきであると訴えておられます。
「このことにあわんがためなり」とは、たんなる世間の事ではなく、法華経の故に難に値い、また法華経の正義を証明する機会を得たことを指されています。そのように自覚すれば、苦難は単なる苦難ではなく、全て己が使命として起こるべきことであり、積極的に強く生きるべき根本的な意味をつかむことが出来ると教えられているのです。そして、今こそそれを体得す最大のチャンスであることを、宇治川の合戦や瀬田川の合戦に例えられ、勝負を決する時を決して逃してはならないと教示されています。
◆宇治・勢多の闘いについて
琵琶湖から流れ出る瀬田川とその下流の宇治川は、古来、東国と畿内の境界に当たり、そこにかかる瀬田橋と宇治橋の付近は軍事の要衝であった。例えば、寿永3年(1184年)、源範頼と源義経の軍勢が、京都に入っていた木曽義仲の軍勢と戦った「宇治川の合戦」でも、ここが勝敗の分かれ目になりました。
この時、義経軍に属する佐々木高綱と梶原景季の二人が先陣争いを演じたことは『平家物語』などに記されています。先に川を渡って先陣争いに勝った佐々木高綱は、優れた武士として、後の世まで名を残しました。
この時、宇治川を渡りきった義経の軍勢が義仲軍を破り、勝利を収めました。
また、鎌倉幕府と朝廷が戦った承久3年(1221年)の「承久の乱」の際も、北条泰時が率いる幕府の軍勢が、朝廷方の防戦をしのいで宇治川の渡河に成功し、勝利しました。幕府は、この乱に勝ったことで、全国各地に勢力を広げました。
このように宇治川・瀬田川は戦いの勝負を決する場所とされてきたのです。それと同じように、勝負の時を逃さず、その時には腹を決め、勇気を持って「覚悟」することが、勝利の要諦であり、加えて「成仏」の鍵であることを暗にご教示されたものと思われます。
「ただ偏におもいきるべし」
この一言に信心の核心が、人生の決定が秘められています。
勇気を持って決断する事、これこそ人生の最重要の鍵であり、
私の50年の信仰の結論、そして池田先生の数々のご指導の究極も、この「勇気と希望」にあると心得ます。困難は、逃げよう避けようとすれば恐ろしいばかりですが、心を決めて立ち向かった瞬間から恐ろしさは消えます。
勇気をもって挑戦を続ける心、ここに仏法と人生の勝利の鍵があると確信します。勇気ある挑戦には何一つ無駄もありません。
かつて、ネルソン・マンデラは言いました。
「私には『負け』はない、あるのは『勝つ』か『学ぶ』かのどちらかである」と、
「ただひとえに思い切るべし」。
龍ノ口を経験し、佐渡の留難を乗り越えられた、日蓮大聖人のこの一言を、今日はお互いに肝に銘じて、本日からまた、大きなことも、小さなことも合わせて、人生への勇気ある挑戦をしてまいりましょう。
御書講義 動画サイト
3月度座談会御書履歴
座談会御書 「聖人御難事」2000年(平成12年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)」2001年(平成13年)
座談会御書 「法蓮抄」2002年(平成14年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2003年(平成15年)
座談会御書 「松野殿御返事」2005年(平成17年)
座談会御書 「報恩抄」2006年(平成18年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事」2007年(平成19年)
座談会御書 「異体同心事」2008年(平成20年)
座談会御書 「曾谷殿御返事」2009年(平成21年)
座談会御書 「曾谷殿御返事」2010年(平成22年)
座談会御書 「阿仏房御書(宝塔御書)」2010年(平成22年)
座談会御書 「異体同心事」2011年(平成23年)
座談会御書 「諸法実相抄」2012年(平成24年)
座談会御書 「転重軽受法門」2013年(平成25年)
座談会御書 「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」2014年(平成26年)
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