座談会御書「経王殿御返事」2022年(令和4年)9月度

〈御 書〉

御書新版1633㌻5行目~6行目
御書全集1124㌻10行目~11行目

〈本 文〉

ただし御信心によるべし。つるぎなんども、すすまざる人のためには用いることなし。法華経の剣は、信心のけなげなる人こそ用いることなれ。鬼にかなぼうたるべし。

〈背景と大意〉

 本抄は、文永10年(1273年) 8月15日、日蓮大聖人が52歳の時、流罪地の佐渡・一沢で認められたお手紙です。かつては、四条金吾に与えられたお手紙であるとの説もありましたが、確かな根拠はありません。 また御真筆も残っていません。 宛名は経王御前となっていますが、経王御前はまだ幼かったため、実際には、その親である門下に送られたものと考えられます。本抄に「浄徳夫人・竜女の跡をつがせ給へ」とあることから、経王御前の母に与えられたお手紙かもしれません。
 本抄の前年に認められた「経王御前御書」には「経王御前を儲けさせ給ひて候へば」とあることから、経王御前は誕生間もなかったと思われます。その幼い経王御前が病魔に冒されてしまいました。親であるその門下は大きな悲しみと不安の中で、我が子の病状について佐渡におられる大聖人に御報告されたのでしょう。 大聖人は御本尊を認め、その門下に授与されました。本抄は、その後、その門下が使いの者を佐渡の大聖人の元に遣わし、ご供養するとともに、幼い経王御前の病気平癒の祈念をお願いしたことに対する御返事です。

 

〈講 義〉

 本抄の冒頭には「その後 便りを聞きたいと思っていたところに、わざわざ人を遣わしていただきました」とあります。今のように電話もメールもない時代です。大聖人は幼い経王御前の病状を心から心配されていたでしょう。 また、その親である門下のことも心配されていたに違いありません。「その後どうしたであろうとずっと気にしていたんだよ」との大聖人の優しい心に触れ、この門下はこのお手紙を開いた瞬間から涙・涙だったのではないでしょうか。 
 大聖人は経王御前のことを、生命を守りはぐくむ働きをする日天・月天等の諸天善神に一日中、祈っていると仰せになり、授与した御本尊をわが身から離さず持つよう教えられています。
 次に、何よりも御本尊への信が大切であることを教えるために、御本尊の意義を説かれています。
 正法・像法時代に誰も顕したことのない未曾有の本尊である。大聖人が獅子王の全生命を注いで顕した本尊である。その御本尊をあなたに授けたのだから、と。
 「この曼荼羅 能く能く信ぜさせ給うべし 南無妙法蓮華経は獅子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」 と強く激励されています。
 幼い我が子の身を案じ、絶望で真っ暗だったこの門下の心にパッと明かりが灯った瞬間だったのではないでしょうか。
 同じようにこの御文で我が生命を洗うように題目を唱えた人も多いのではないでしょうか。 750年近く経った今も、大聖人の慈愛にすっぽりと包まれた経験は私だけではないと思います。
 続いて、この御本尊の偉大な力を引き出すのは、持つ人の信心であることを教えられています。
 そして、今回学ぶ御文はこの部分です。

 ただし御信心によるべし。つるぎなんども、すすまざる人のためには用いることなし。法華経の剣は、信心のけなげなる人こそ用いることなれ。鬼にかなぼうたるべし

 池田先生は、次のように仰いました。

【師匠に何としてもお応えするのだと、私は命がけで戦った。 当時、時間を見つけては御書を拝し、日記に書き留めて心肝に染めていきました。戸田先生のもとで、私は、日々、御書を一文一文、心肝に染める思いで拝しました。その一節に、「つるぎなんども・すすまざる人のためには用(もちい)る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ 鬼に・かなぼうたるべし」 があります。
 これは、わが子の病と闘う門下を励まされた御聖訓です。信心の真髄は「けなげ」すなわち「勇気」です。私も戸田先生の弟子として、渾身の勇気を奮い起こし、病魔と死魔に挑みました。とともに、師匠と学会に襲いかかる一切の障魔を、信心の利剣で叩き切る決心で、祈り、戦いました。】(若き君へ 新時代の主役に語る) と。

 若き日より池田先生も心肝に染めてきた勝利の方程式を私たちも学んでいきたいと思います。御本尊を受持し、題目を唱えるということは、病魔だけでなく、あらゆる悩みを断ち切る「剣(つるぎ) 」です。御本尊は最強の剣です。 しかしどんなに最強の剣でも、持っている人が使わなければ役に立ちません。臆病や不信の人 つまり「すすまざる人」は、その剣の価値を知りません。反対に「信心のけなげなる人」  何があっても御本尊に祈り、勇気を奮い起こして祈り切る人。 簡単に諦めない人。不屈の信心の人。その人こそがこの剣の無限の力を発揮できます。信心さえ揺るがなければ、いかなる状況も、必ず打開でます。最後には必ず「頑張りぬいてよかった!!」と叫びたくなる時がきます。大聖人はそのことを、「鬼に金棒」とまで仰せです。心にストンと落ちる言葉です。 勇気が湧きます。 「よしっ!!」 と立ち上がりたくなる言葉です。
 この門下も「よしっ!!」と言ったかもしれません。しかし、私も身に覚えがありますが、燃え立つ決意で挑んだ祈りも、時が経つにつれ だんだんと薄れていきます。大きな大きな悩みの前では、あまりにも自分が無力に感じ、「この祈りだけは叶わないのではないか」「私には無理なのではないか」伸びたゴムが手を離した瞬間、元に戻るように 再び真っ暗な闇に戻ってしまう時があります。
 そんな時に出会った池田先生のご指導を学びたいと思います。

 【よく皆さんは、口では ”叶う” と言いながら、心の中では、あまり 思わない場合がある。願いは、心の奥底のものが叶うのです。”病気が治りますように” と、お願いしながら、心では “治らないかもしれないな” と思う。これでは御本尊に通じません。信心をキチッとしていれば、どんなことでも叶いますよ。 叶わないのは、そう願っていないのです。皆さんの心に聞けば、良くわかるでしょう。信心をしきっていけば、絶対、どんなことでも現証として現れます。ただ、宿業によって、時間がかかる場合がありますが、それでもキチンと分かるものです。何らかの形態で現証がでます。】(大白蓮華№773号17頁)

 そして今回学んだ御文のすぐ後には、 「日蓮がたましいをすみにそめながしてかきて候ぞ 信じさせまたえ」また、「あいかまえて御信心を出だし この御本尊に祈念せしめ給え 何事か成就せざるべき」と 更に深く、この門下を励まされています。
 これでもか、これでもか、というくらいに激励されています。「一度言ったから大丈夫だろう」 そんな冷たさはありません。鎌倉と佐渡。 顔が見えない距離にいるからこそ 大聖人はこのお手紙に心を染め流すような思いで書かれたのではないでしょうか。
 本抄の結びには、「佐渡流罪の大難が許されたならば、大急いで鎌倉に上がりお目にかかりましょう」「諸天に助けてくださいと強く強く祈っています」とあります。このお手紙を頂いた門下は、「絶対に元気になった経王御前と共に、勝利した姿で大聖人に会おう!」と。病気の経王御前とこのお手紙を抱き締め、そう決意したであろうこの門下の姿が目に浮かびます。仏とは、師匠とは まず「ともに苦しんでくれる人」 なのだと 改めて思いました。

 池田先生は仰いました。

 「仏法は「慈悲と智慧」の宗教です。そしてこの二つは一体です。真の智慧ある人とは、だれよりも慈悲ある人のことです。慈悲深き人こそ仏法の智慧を体現している人なのです。そして「慈悲」の「非」には、「うめき声」の意味があります。ともに苦しみ、ともに、うめき声をあげる。 それが慈悲です。」と。(永遠の教典「御書」に学ぶ)

 私達は今まで池田先生の言葉に何度、背中を押されてきたか数え切れません。病気になった時。 自分に自信が無くなった時。人間関係でつまずいた時。 大きな宿業の嵐に見舞われた時。何度も何度も 先生の言葉に励まされて 今の自分があります。
 「断じて病気なんかに負けてはいけない。乗り切った人は無数におります」
 「私だって体が弱かったけれども、立ち上がって、世界を駆けめぐってきた。決心ひとつだ。絶対に健康になりなさい。富士のごとく厳然と、偉大な人生の総仕上げをしていくのだ」「負けるな。断じて負けるな。あなたの生命の中に太陽がある」
 「希望をなくしてはいけない。人がどう言おうが、堂々と自分自身に生ききりなさい。何があっても強気で。楽しい人生を生きなさい」
 「仏法の眼(まなこ)で見れば、全部、意味がある。 何があっても、微動だにしてはならない。生命は永遠なのだから。妙法を唱えていて、かりに不幸に見えることがあっても、それは、最大に幸福になる意義をはらんでいるのだから。どんなことがあっても、信心だけは微動だにしてはならない」
 「御本尊に祈りきって、一歩も引かないで、悩みを突き抜けて進むのだ。どんな状況であっても、必ず幸福になれる信心だ。戦い続ける君に勝利あれ」
 自分に負けそうになる度に池田先生に励まされました。池田先生が教えて下さったこの「人間主義の仏法」を胸に、「鬼に金棒」の信心の確信で、更に成長していきたいと思います。
 最後になりますが、住んでいる場所も違う、組織も違う、この時代でなければ絶対に巡り会うことのなかった縁深き皆様と一緒に 三代会長として立たれ、学会本部の質素な執務室に掲げていらっしゃった池田先生の一首を読んで終わりたいと思います。

  わが運命(さだめ)
    かくもあるかと
        決意せば
    惑うことなし
        恐れることなし


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9月度座談会御書履歴

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 「原水禁宣言の日」に思う 平和へ! 魔性の生命との大闘争を

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