座談会御書 妙一尼御前御消息 2022年(令和4年)3月度
〈御 書〉
御書新版 1696㌻1行目~3行目
御書全集 1253㌻16行目~17行目
〈本 文〉
法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかずみず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。
〈通 解〉
法華経を信ずる人は冬のようなものです。冬は必ず春となります。いまだかって冬が秋に戻ったなどということは、聞いたことも見たこともありません。
同じように、いまだかって法華経を信ずる人が凡夫のままでいる、ということも聞いたことがありません。法華経方便品第二には「もし法を聞くことができた者は、一人として成仏しない者はない」と説かれています。
〈講 義〉
今回の学習範囲は、日蓮大聖人の仏法は人生のどんな困難をも乗り越えていく力の源泉となる仏法である。また、万人を成仏させる、即ち万人を使命に目覚めさせる力ある仏法である、ということが端的に示されているのではないかと思います。
本抄は日蓮大聖人が54歳の時、建治元年(1275)5月に、身延において認められ、妙一尼に与えられたお手紙になります。
文永8年9月の竜口法難の後、妙一尼の夫は法華経信仰のために所領を没収され、大聖人が佐渡へ流されている間に亡くなっています。
本抄では、妙一尼が大聖人へ衣を御供養したことに対し、病弱な子供や女の子たちを育てている妙一尼の苦労を思いやりながら、心から激励をされています。
信仰故の領地の没収、夫との死別、子育てという大変な状況の中で、妙一尼は純粋な信仰を貫き、大聖人へ御供養の誠を捧げただけではなく、大聖人の身の回りの世話をする人を、佐渡へ、身延へと遣わしました。
人生の艱難辛苦にあるときの「冬は必ず春となる」との励ましは、妙一尼の信仰の、大いなる支えになったことと思います。
日蓮大聖人の門下・弟子檀越(でしだんのつ)の人数ですが、御書と御本尊の授与書きに示された人名を総合すると、約190名であり、その内、女性信者の数は50名ほどになります。
このような少人数の日蓮一門ではありましたが、大聖人の国主諌暁、死身弘法の妙法弘通、弟子や檀越(だんのつ)の活発な布教により、その存在は鎌倉時代の宗教界の中でも大きなものであったことと思います。
このような日蓮一門の勢いを支えたのが、四条金吾の妻や日妙尼、富木常忍の妻や妙一尼などの、女性信者でありました。
◇別の御書で大聖人は言われております。
「矢が飛ぶのは弓の力により、雲のゆくのは竜の力であり、男の働きは女性の力によるのです」
富木尼御前御返事
この御書を引用されて、池田先生は言われています。
第39回本部幹部会(1991.3.4)
夫が思う存分、その力を発揮し、正しい方向に進んでいくには、妻の信心が大きな力となる。その影響力は、想像する以上に大きい。これは、私が長い間の体験をとおして見つめてきた一つの結論である。
◇また、「女性となることは、ものにしたがうことによって、かえってものをしたがえる立場なのです」
兄弟抄
との御書もあります。
この御書を引用しながら、池田先生は次のように言われています。
随筆「私の人間学」
夫と妻は互いに向き合った相対的な関係だけであってはならないと思う。ともに人生の大いなる目標に向かって進む共同の主体者であり、建設者であるはずだ。夫婦という人生飛行の極意もここらへんにあるのかもしれない。そうした夫婦の深き絆と汗と労苦の共同作業で得た凱歌は、豊かなそして確かなる人生の実像の世界を築いていくにちがいない。
◇日蓮大聖人は佐渡の女性門下に、次のように優しく語られています。
日蓮を恋しく思われるならば、常に朝に出る日、夕に出る月を拝みなさい。何時であっても、日月に影を浮かべている身なのです。
また、後生には、霊山浄土へ行って、そこでお会いしましょう。
国府尼御前御書
日蓮大聖人の教示、法門は、多くの人々を慈しみながら、まさに「言葉と生きていく」世界、そのものであると思います。
思えば、日蓮大聖人の妙法弘通は「冬は必ず春となる」どころか、「冬のち冬」のような、寒風の連続のような厳しいものでありました。
建長5年春の立教の後、「立正安国論」を以て北条時頼を諫めて以降、難に難を重ねる忍難弘通の日々。鎌倉の草庵を襲撃され、伊豆へ流され、安房の国東条の松原では襲撃を受け額に傷を負い、竜口では首の座に据えられ、極寒と不自由な佐渡での毎日、更には人里から離れ、夏は暑く冬は寒さも厳しく、衣食も乏しい身延山での生活・・・・
「少少の難はかずしらず大事の難四度なり」(開目抄)以降も、衣食住に難儀しながらの後半生でありました。
ですが、そのような環境の中であればこそ、発迹顕本があり、御本尊の図顕があり、各地の門下への休むことなき励ましがあったのだと拝察いたします。
「よし、春が来ないのなら、春を呼んできてやろう。また、自分だけではなく、みんなに春を届けてやろう」力強い生命力に満ち溢れた大聖人の振る舞いであったと思います。そのような、大聖人の生きる力の漲った言葉が、今回の「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」との、門下へのメッセージとなったのではないでしょうか。
2022年も早3月、春の季節となりました。
今月も対話に、励ましに、頑張ってまいりましょう。
■御書講義 動画サイト
3月の広布史
――広宣流布祈念の日――
1958年(昭和33年)3月16日
■小説・人間革命
第12巻 後継の章
■今日より明日へ
№84
3・16 永遠の3・16を記念-愛する青年部諸君に贈るメッセージ 魂の炎のバトン」を君たちに
■池田大作全集
第139巻 随筆 人間世紀の光 師弟の宝冠「316」大法戦で受け継げ! 広宣流布の闘士の魂
――小樽問答 記念日――
1955年(昭和30年3月11日)
■小説・人間革命
第9巻 小樽問答
■池田大作全集
第132巻
随筆 新・人間革命 北海道の大闘争
3月度座談会御書履歴
座談会御書 「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)」2001年(平成13年)
座談会御書 「法蓮抄」2002年(平成14年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2003年(平成15年)
座談会御書 「松野殿御返事」2005年(平成17年)
座談会御書 「報恩抄」2006年(平成18年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事」2007年(平成19年)
座談会御書 「異体同心事」2008年(平成20年)
座談会御書 「曾谷殿御返事」2009年(平成21年)
座談会御書 「曾谷殿御返事」2010年(平成22年)
座談会御書 「阿仏房御書(宝塔御書)」2010年(平成22年)
座談会御書 「異体同心事」2011年(平成23年)
座談会御書 「諸法実相抄」2012年(平成24年)
座談会御書 「転重軽受法門」2013年(平成25年)
座談会御書 「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」2014年(平成26年)
座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2015年(平成27年)
座談会御書 「一生成仏抄」2016年(平成28年)
座談会御書 「経王殿御返事(土餅供養御書)」2017年(平成29年)
座談会御書 「寂日房御書」2018年(平成30年)
座談会御書 「聖人御難事」2019年(平成31年)
座談会御書 「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」2020年(令和02年)
座談会御書 「乙御前御消息(身軽法重抄)」2021年(令和03年)