座談会御書「諌暁八幡抄」2021年(令和3年)4月度
御書
諌暁八幡抄
御書全集585㌻1行目~3行目
〈本 文〉
今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より、今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。
〈通 解〉
今、日蓮は、去る建長5年4月28日から今年弘安3年12月に至るまで、28年の間、他事は一切ありませんでした。ただひたすらに、妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切衆生の口に入ようと励むばかりであったのです。これを例えていうならば、母親が赤ちゃんの口に乳をふくませようとする慈悲と同じなのです。
〈講 義〉
今回、学習する範囲は、日蓮大聖人の仏法は、人の幸福、世の安穏を願い、祈り、語り、励まし続ける慈悲の仏法である、ということが端的に示された御文であると思います。
諌暁八幡抄は弘安3年(1280)12月の執筆で、門下一同、または南条時光あてと推測されます。題名には八幡大菩薩を諫めさとすという意味が込められていますが、同年11月に鎌倉の鶴岡八幡宮寺が火災となり、これについて日蓮大聖人は本抄で次のように、指摘されています。
「八幡大菩薩等は、法華経の行者を怨む、即ち日蓮大聖人を迫害する国主・鎌倉幕府や国の人々を対治・諫めることなく、逆に守護してきた罪によって、梵天や帝釈天等から罰せられたのであろうか。このことは一大事であり、秘すべきである、秘すべきである」と。
さらに、「今、八幡大菩薩は法華経の大怨敵・幕府を守護して、天の火に焼かれたのであろう」と。
弘安3年10月28日、鎌倉で火災が起こり、この時は、鎌倉幕府を創建した源頼朝の廟所(墓所 はかば)が焼失。さらに承久の乱により、武家政権による支配体制を確立した北条義時の墓も燃えてしまいます。11月14日、再び大火事となり、鶴岡八幡宮寺が焼け落ちます。
第二次蒙古襲来という弘安の役の前夜、異国調伏の祈祷の声が満ちていた鶴岡八幡宮寺、鎌倉の守護神であった八幡大菩薩を祀る社寺が焼けたということは、人心を大いに不安にさせたことでしょう。
それに対して、この頃の、鎌倉における日蓮大聖人一門は、活発な布教を展開して、相当数の人々が集っていたことがうかがわれます。
弘安3年11月、日蓮大聖人が日昭に授与した曼荼羅本尊は、縦が197.6㎝、横が108.8㎝で、12枚の紙をつなぎ合わせた巨大なものでした。今日では、伝法御本尊と呼ばれていますが、これほどの大きな御本尊が安置されるところといえば、法華堂などの寺院規模の拠点であり、文永8年(1271)の法難で一旦は壊滅状態となった日蓮一門が再び結集され、妙法弘通も進んでいたことが理解されます。
本文に戻りますが、日蓮大聖人が28年間、妙法弘通のみに心を砕かれていたこと、それは、なんとしてもみんなに妙法を唱えさせて幸せにしたい、との一念であったことには、心を打たれます。
「みんなを幸せにしたい、そのために届けたいものがある、それが妙法です」ただ、この一心だけで大難を乗り越えて題目を弘めてきたのです。
日蓮仏法の法門でも、時代に応じて表現を変えること、変えねばならないことはあると思いますが、諌暁八幡抄に示された母親が我が子を慈しむように妙法を弘めゆく、という慈悲の心は、いかなる時代の変化にも揺るぎなく継承していかなければならない、日蓮大聖人の心であると思います。
そのような、日蓮大聖人の心が、具体的なかたちとなって顕れたのが曼荼羅本尊であります。
日蓮大聖人が顕した曼荼羅本尊で、現存しているのは百数十幅ですが、日興上人の現存する書写本尊との比率から、大聖人は生涯に900幅以上の曼荼羅本尊を図顕された、との試算があります。
大聖人が曼荼羅を顕したのは晩年の約10年間ですから、おおよそ一週間に一幅以上の曼荼羅を顕した計算になりますが、いずれにしても、相当数の曼荼羅を書かれたことは間違いなく、そこには「妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ」慈悲があったことを思う時、日々、我が家の大御本尊を拝する姿勢も、改まるものがあるのではないかと思います。
大聖人は「二十八年が間又他事なし」と言われますが、日々、仕事をして生活を営む私たちは、ややもすれば多忙さに流されがちになります。また、コロナ禍も続いており、ワクチンの接種も遅れていて、先が見通せるような見通せないような、なんとも不安定な社会状況ではないかと思います。このような時代だからこそ、私たちは、我が家の大御本尊に向かい、妙法を唱えて、先生の言葉に触れ、日蓮大聖人の御書を開き、信心の血脈が流れかよう、純粋な信仰を全うしていきたいと思います。
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