【投書】「共戦」の脇書に思う
投書者:右馬介
昭和54年5月3日
神奈川文化にて池田先生は「共戦」の御揮毫をしたためられた。
4月24日に第三代会長を辞任された、その直後の5月3日である。
四面楚歌のなかでしたためられたこの「共戦」という御揮毫は、当時、師弟「共戦」とはとてもいえる状態ではなかったからこそ、先生はあえて「共戦」と揮毫されたのではないかと私は思った。
その思いは「脇書」に明確である。
「五十四年五月三日夜
生涯にわたり
われ広布を
不動の心にて 決意あり
真実の同志あるを 信じつつ
合掌」
(2009年4月14日 聖教新聞 全国代表協議会 池田先生スピーチより)
と、したためられている。
「真実の同志」が先生の周りにはいなかったのである。
さて、先日、会長就任60周年記念の冊子が配布されたが、開くと、「共戦」の揮毫の写真から「脇書」が削除されていた。
なぜ削除するのか非常に理解に苦しむ。
思えば池田先生がスピーチされていた頃は、54年のことを何度も語られていた。それは過去の総括にとどまらず、未来の創価学会のあり方、すなわち本当の師弟の「共戦」を教えられていたのではないかと思う。
しかし近年、54年のことを深く言及する言説を見聞きしない。それと同時に官僚主義や幹部に対する厳しい指導もほとんど見なくなった。
そこへ来て、この脇書の削除。54年の池田先生の思いが消え去ってしまうのではないか。
執行部は、あえて消そうとしているのだろうか。