安房国清澄寺に関する一考 5

清澄寺大衆中 ②

本文

日蓮が度々殺害せられんとし、並びに二度まで流罪せられ、頚を刎られんとせし事は別に世間の失に候はず。生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん。明星の如くなる大宝珠を給ひて右の袖にうけとり候し故に、一切経を見候しかば八宗並びに一切経の勝劣粗(ほぼ)是を知りぬ。

其上、真言宗は法華経を失ふ宗也。是は大事なり。先づ序分に禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思ふ。其故は月氏・漢土の仏法の邪正は且らく之を置く。

日本国の法華経の正義を失ふて、一人もなく人の悪道に堕つる事は、真言宗が影の身に随ふがごとく、山々ごとに法華宗に真言宗をあひそひ(副)て、如法の法華経に十八道をそへ、懺法に阿弥陀経を加へ、天台宗の学者の潅頂をして真言宗を正とし法華経を傍とせし程に、真言経と申すは爾前権経の内の華厳・般若にも劣れるを、慈覚・弘法これに迷惑して、或は法華経に同じ或は勝れたりなんど申して、仏を開眼するにも仏眼大日の印・真言をもって開眼供養するゆへに、日本国の木画の諸像皆無魂無眼の者となりぬ。

結句は天魔入り替って檀那をほろぼす仏像となりぬ。王法の尽きんとするこれなり。此の悪真言かまくら(鎌倉)に来りて、又日本国をほろぼさんとす。

意訳

日蓮が何度も殺されかかり、二度までも流罪となり首を刎ねられようとしたことは、別に世間の罪によるものではなかった。日蓮は、生身の虚空蔵菩薩より大智慧を賜わったことがあった。「日本第一の智者にしてください」と祈ったことを不憫に思われたのだろう。明星のような大宝珠を賜わり、右の袖で受け取ったために一切経を学んだところ、八宗並びに一切経の勝劣をほぼ知ることができたのである。

その上、真言宗は法華経を失わせる宗である。これは大事なことで、まず序分に禅宗と念仏宗の誤りを責めてみようと考えたのである。その理由は、インド・中国の仏法の邪正はしばらく置くとしよう。

日本国が法華経の正義を失ってすべての人が悪道に堕ちてしまうことは、真言宗が、人の動きに影が随うように、寺院ごとに法華宗に真言宗を合わせ添えて、法華経の経文に18種類の印契を使い行う密教の修法・十八道を添え、法華経を読み罪を懺悔して滅する・法華懺法に阿弥陀経を加へ、天台宗の学者らは自宗の灌頂に際して真言宗を正とし法華経を傍としこのようなことを続ける程に、真言の経典というのは爾前権経の中の華厳経や般若経にも劣っているものを、慈覚や弘法がこれに迷惑して、あるいは真言は法華経に同じ、あるい真言は法華経よりも勝れているなどといって、仏像を開眼するのにも大日経で説かれる仏眼尊と大日如来の印・真言をもって開眼供養する故に、日本国の木画の諸像は全て無魂無眼のものとなってしまったのである。

結局は天魔が入り替わってしまい、檀那を滅ぼす仏像に成り果てたのである。日本の王法が尽きようとしているのは、真言の悪法のためなのだ。このような悪法たる真言が鎌倉に来たりて、またも日本国を滅ぼそうとしている。