産湯相承物語(8)

8・叡山、近江の湖水、富士


 産湯相承は、日蓮大聖人の母上である梅菊女が懐妊した時に見た夢として、梅菊女自身が比叡山の頂に腰をかけ、琵琶湖の水で手を洗い、富士山から昇る太陽を懐に抱く夢を見て妊娠したと記しているが、中世の一地方の女性が、比叡山と琵琶湖と富士山の位置関係を知っていることを前提とすること自体に、夢としてのロマンと同時に、意図的な創作性をも感じさせる。


 しかしながら、先に見たように、日輪懐妊の伝承は早期に存在していたと考えられることから、比叡山、琵琶湖、富士山の記述について、産湯相承の伝承の成立の当初の頃から存在していたとすれば、それが何を意味するかを考えるとき、これらが一定の事実を示そうとしている可能性も考えられなくはない。


 ここまでの推論では、梅菊女は7歳で両親に死に別れ、その後に遊女となったことになるが、その場所は明らかではない。しかし、仮に、比叡山と琵琶湖の位置関係を知る地に遊女としての活動拠点があったとすれば、その途中にある富士山について鮮烈な記憶に残っていることもあり得ることであり、梅菊女自身の夢物語として地名が出されることに説明がつくだけでなく、直接見て知っていることを前提とすれば、夢物語として語られる位置関係のリアリティさについても不自然ではないことになる。


 そして、このように考えることは、産湯相承の物語のストーリーとしての整合性と矛盾しないどころか、むしろ梅菊女が京都近郊において遊女であったことを傍証する物語として、重要な要素になるとも考える。

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