産湯相承物語(7)

7・日輪懐妊


 産湯相承は「叡山ノ頂ニ腰ヲカケテ 近江ノ湖ノ水ヲ以テ 手ヲ洗テ 富士ノ山ヨリ 日輪ノ出給ヲ 奉レ懐思テ後ニ 月水留ルト云々」として、夢の舞台を叡山と琵琶湖と富士に置いて、日輪(太陽)を手にする夢を見て懐妊したことを伝えている。


 これに類する伝承として『当宗相伝大曼荼羅事』は、「蓮師ノ母ノ夢ニ 日天子ノ蓮華ニ坐シタルヲ手ニ取ト御覧シテ懐妊シテ設ケ給ヘル故ニ 幼稚ノ時ハ日種トモ云 薬王丸トモ申セシ也」として、母が日天子(太陽)を手にした夢を見て懐妊したことを伝えている。


 産湯相承における夢の内容は、『当宗相伝大曼荼羅事』に比べスケールが大きくなっているものの、日朗門流と富士門流に同様の伝承があったことは重視されるべきと考える。つまり、生母が日輪を懐く夢を見て日蓮大聖人を懐妊されたことは、日興上人の身延離山 という門流間の対立よりも以前に遡ることのできる比較的早期に成立した伝承であるか、あるいは「ぜしゃうばう」という名前の伝承のように、各門下に広く知られていた事実である可能性が高いことが考えられる。


 これに対し、比叡山の山頂に腰を掛けるというような表現は、二十四番勝劣(全p875)とか「義道の落居無くして天台の学文す可からざる事」(全p1618)といった、富士門流の比叡山天台宗に対する事行としての優位性の意識を下敷きとした肥大化を窺うことができる。


 したがって、産湯相承の全てを否定してかかるのではなく、また、夢物語に込められた「何か」を感じ取ることで、実際に伝承を纏めた特定の方あるいは携わった人々が伝えようとした思いと、その背景にある事実を窺うことができるのではないかと考える。