【投書】誰何!?-『動物農場』の豚とは?(後半)

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投書者:滝山城址に立ちて


〈池田大作全集第76巻p246の4行目~〉

特権階級になると権力闘争が起こるのは歴史の常である。学会のように、リーダーが本当に責任と苦労の立場であれば、だれも好んでなりたがるはずがない。
豚たちも権力を争って仲間割れし、一頭のオス豚がライバルを追い出して、絶対的権力をにぎった。彼は「ナポレオン」と名乗っていた。彼は“批判”を許さない。命令に従わない者は、徹底的に迫害され、追放された。彼のやり方を疑うこと自体が、不遜な悪とされるにいたった。

「皆の幸せ」が目的であり、そのためのリーダーであったはずなのに、いつのまにか「リーダーの権威と権力」が目的になってしまっていた。しかし、それでもお人好しの無知な動物たちは、豚たちを信じていた。

やがて食糧不足と重労働で動物たちは希望を失っていった。一番の働き者で“革命”を支え続けてきたロバのボクサーも、とうとう体をこわした。彼の口癖は「ナポレオンにまちがいはない!」と「わしがもっと働けばよいのだ!」であった。彼なくして動物農場の建設はあり得なかった。しかし、だれよりも頑健な彼も、無理に無理を重ねてついに倒れた。すると-
「ナポレオン」は、彼の大功労をねぎらうどころか、皆をだまして彼をさっさと“食肉処理”の業者に引き渡してしまった。
もはや「自由と平等の世界」の理想は完全に消えうせた。権力による恐怖の支配だけがあった。ついに「ナポレオン」は“敵”のはずの「人間」と手を組んだ。仏法の世界でいえば、仏法破壊の謗法者と密謀し結託するようなものである。
酒を酌み交わしながら“動物たちを利用して儲ける”相談をする豚と人間。窓の外から、この様子を見ていた動物たちには、もはや人間と豚の区別がつかなかった。
-かくして動物たちの“革命”は失敗した。暴君を追い出しても、追い出した者のなかから、新たなより巧妙な暴君が出現する。この歴史の“宿命”をわかりやすく描き出した現代の寓話である。

〈中略〉p248の7行目~

そのうえで、もっとも民主的な日蓮大聖人の仏法の世界にあっても、「権威的人間」に支配される可能性はつねにある。そうなれば「広宣流布」の理想は実現できない。
民衆が賢明になる以外になる以外にない。そして悪とは戦わねばならない。民衆の率直な疑問や希望を権威で抑えつけ、納得も信頼も与えようとしない人々。そうした存在と戦いぬかれたのが大聖人の御生涯であられた。門下の私どもが同様に、正義を訴えるのは当然である。横暴な権威・権力と一生涯戦ってこそ、真の「民主的人間」となる。

以上です。追放すべき豚は誰何!?。今、どこに!?

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