【投書】人間革命と創価学会

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投書者:虹さん

「人間革命」とは何か――。

それは、組織のために人が変わることなのか。
それとも、一人ひとりが生命の尊厳に目覚め、その変革によって社会や組織も変わり続けていくことなのか。

今の原田会長を中心とした創価学会の姿を見ていると、その問いが私の生命の奥底から湧き上がってくる。

小説『人間革命』では、
「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。」
という言葉から始まる。

そこには、人間が人間を犠牲にする構造への深い悲しみと、かけがえのない一人の生命を守り抜こうとする強い決意が込められていると感じる。

そして、『新・人間革命』は、
「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。」
という言葉から始まる。

戦争の悲惨さを知るからこそ、平和の尊さを語る。

ここでいう平和とは、国家や組織が安定している状態だけを意味するのではない。
一人ひとりが人間らしく生き、その生命に秘められた可能性を存分に開花させられる状態を指しているのではないだろうか。

この二つの作品を貫く中心思想は、「一人の人間の尊さと可能性」にあると、私は池田先生から学んできた。

社会を変えたいなら、まず自分が変わる。
世界を変えたいなら、まず自分の生命を磨き抜く。

一人の人間革命が家庭を変え、地域を変え、社会を変え、やがて世界平和へとつながっていく。
ここれこそが、人間革命という思想の核心ではないだろうか。

だからこそ、一つの問いが生まれる。

もし組織を守ることが最優先となり、一人の苦しみや悲しみ、声なき声が後回しになるとしたら、それは人間革命の思想と緊張関係を生み、組織と個人(会員)の間に隔たりを生じさせることはないだろうか。

もちろん大きな組織には、中心者がそれを維持する責任がある。

多くの人々を守り、活動を継続し、社会に貢献していくためには、一定の秩序や安定も必要である。それ自体を否定することはできない。

しかし、組織が存在する本来の目的は何だろうか。

組織そのものを守ることなのか。
それとも、一人ひとりの幸福を実現することなのか。

もしその順番が逆転したならば、本来は人を守るために存在する組織が、人によって守られることを目的とする存在へと変わってしまう。

その瞬間、理念は制度へ、信念は形式へと変質する危険性を抱える。

歴史を振り返れば、多くの組織は、外部からの攻撃だけではなく、内部から揺らぎ、崩れてきた。

それは、権力を持つ人が悪意を持っているからとは限らない。

むしろ、責任感が強く、「組織を守らなければならない」という義務感が強いほど、全体の安定を優先するあまり、一人の苦しみが見えにくくなることがある。

一人の痛みが「創価学会のため」という言葉の陰に覆い隠され、声を上げられない人が取りこぼされていく。

これは宗教団体に限らない。
企業でも、行政でも、学校でも、家庭でも起こり得る、人間社会に共通する課題である。

だからこそ、組織に必要なのは、中心者だけではなく、一人ひとりが自らを問い続ける姿勢ではないだろうか。

「私たちは、本当に自他共に一人を大切にできているだろうか。」

「声を上げられない人の痛みに、耳を傾けられているだろうか。」

「組織の都合が、人間の幸福より前に出てはいないだろうか。」

この問いを持ち続けることこそが、組織の健全性を守る力になると私は考える。

日蓮大聖人の仏法は、人間を組織に従わせるためのものではない。一人ひとりが本来持っている人間らしさを取り戻し、生命に秘められた無限の可能性を開花させるための仏法であると、私は解釈している。

仏になる可能性は、特別な立場にある人だけに具わっているのではない。
無名の一人にも、悩みの中にいる一人にも、声を上げることのできない一人にも、等しく具わっている。

だからこそ、一人の涙を軽んじることは、その生命の尊厳を軽く見ることにつながりかねない。

もし一人を犠牲にして組織の安定を守るならば、一時的には秩序を維持できるかもしれない。

しかし、長い目で見れば、その一人の犠牲は組織への信頼を失わせ、組織そのものの生命力を少しずつ奪い、生きた宗教の命を削る。

権力を持つ者が組織を守ろうとし、そのために一人の苦しみや声を切り捨てたとき、そこには組織を内側から蝕む魔性が忍び寄る。

仮に幹部という立場にある人が、一人の幸福に妥協したとき、信仰は生きた実践ではなく、形式やドグマへと傾く危険を抱える。

民衆の幸福の上に組織が築かれることはあっても、民衆の不幸の上に組織の安定が築かれてはならない。

一人の苦しみに耳を傾け、一人の幸福を願い、一人の可能性を信じる。
そして、その一人の声によって、組織自身も変わり続けていく。

私は、その歩みの中にこそ人間革命の精神が脈打ち、創価学会が未来へ受け継ぐべき原理・原則が息づいているのではないか──そう信じている。

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