「神天上」と「八幡叱責」について

本論考は自活メンバーの御一人であるモッコス氏より寄せられた論考である。
悪書「教学要綱」の実の監修者である宮田幸一氏の、宗学に対する皮相で軽薄な思考を見事に暴いた秀逸な論考である。これまで余り向けられなかった視点からの鋭い指摘で、日興上人の正義を論証しています。是非ご一読を!

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「神天上」と「八幡叱責」について

「神天上」と「八幡叱責」について” に対して1件のコメントがあります。

  1. あのくだつ より:

    貴重な論考、ありがとうございます。
    先生のスピーチ、著作では、天照八幡は諸天善神とされています。
    これに対し、極めて個人的な見解ですが、私は「天照太神・正八幡宮のこの僧について、日本国のたすかるべきことを御計らいのあるか」(種種御振舞御書)とあることを手がかりに、天照八幡を、大聖人につき従う脇士、秘書、事務官、側衛の様にイメージしています。
    なので、大聖人を守らなければ、叱ることもあり得ると勝手に納得しています。

    https://x.com/i/status/2000826491010261252
    https://note.com/preview/nb43a540063c6?prev_access_key=11b66d450fbdf706f223a80b2102b056
    (【日蓮在御判、天照・八幡】の項を見て下さい)

    1. モッコス より:

      あのくだつ 様、

      コメント有難うございました。
      御本尊の相貌については、私自身 調べるべきことが多々ありますので、今回は割愛させていただきます。

      引用されている種種御振舞御書(新版1225頁)の
      「天照太神・正八幡宮のこの僧について、日本国のたすかるべきことを御計らいのあるか」 の解釈ですが、
      私は、あのくだつ さんが、「天照太神・正八幡宮のこの僧について」 を、天照太神・正八幡宮が 「大聖人につき従」って と解釈されている と理解しました。
      (間違っていましたら ひらに御容赦を)

      引用の前後を見ると:
      「国に賢人なんどもあるならば、
      『不思議なることかな。これはひとえにただ事にはあらず。天照太神・正八幡宮のこの僧について、日本国のたすかるべきことを御計らいのあるか』
      とおもわるべきに」
      とあるように、「賢人」 が 「おもわるべき」 内容について語られている箇所になります。
      話者である 「賢人」 は、「天照太神・正八幡宮」については「御計らい」 と 丁寧表現を使って敬意を示しています。
      それに対して大聖人については、丁寧な「この御房」といった敬意を示す呼び方ではなく「この僧」 と呼んでいます。
      話者「賢人」 が(敬意を示している)「天照太神・正八幡宮」 が (敬意を示していない)「この僧」 に 「つき従」う と思っている、とは考えにくいのではないかと思います。
      むしろ 「この僧について」 は〝この僧に憑いて” と考えられます。
      御書講義録の現代語訳も 上の部分を「天照太神と八幡大菩薩がこの僧に託宣して」としています。 「託宣」とは「神仏が人にのりうつったり夢の中に現れたりして、その意志を告げること。」(デジタル大辞泉) という意味ですから、〝天照太神・正八幡宮が、この僧(=日蓮)に憑いて” (=憑依して) という解釈になると思います。
                                       (モッコス)

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