【投書】「養分」のような存在。

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投書者:カナリア


分かりたくない話ではあるが、50歩譲って、宗教法人職員が根本教義の改悪に従うのはわかる。何故なら彼等にとっては保身が第一であり、反論しないことが自分達の生活を守ることになるのだろうから・・。

一方、地域の役職者である、多く民間幹部が「師敵対」の教義変更であることを知ってなお、現状の組織を肯定・維持しようとするのは何故なのだろう?・・・わからない。

正しい批評に耳を貸すことなく何も学ばない。こうした無自覚で「組織の養分」ともいえる存在が、悪を助長させ、組織や社会を悪くしているのではないか?

例えば20~30年前から贔屓にしていたレストランがあったとする。その頃に比べると味もスタッフのサービスも劣化、値段も高かい場合、それでも通い続けるであろうか?

先代からの馴染みだから、何とか魅力を取り戻して欲しいという気持ちはあっても、無理をして来店し続ける義務はない。

ある宗教団体が特定の政党を支援し、その政党が与党の場合、組織的な政党支援は、その国の在り様に大きな影響を及ぼす。権力側に立つ政権与党は、国の政策に、直接関与する事になるからである。宗教団体が本来持つ、理念・哲学に反する政策が行われていても、「惰性」と「無思考状態」で、支援活動を続けてきたことによって、国民生活にどんな結果をもたらしたのか?組織の一員として各々は、政治状況を監視し、その結果に向き合わねばならない。

レストランに来店するかしないかは、好き嫌いの問題なので、したいようにすればいい。

しかし政治は、社会や一人一人の国民生活に大きな影響を与えるものである。したがって盲目的に選挙権を行使することは、取り返しのつかない害になることもある。

日蓮大聖人の御書「諸経と法華経と難易の事」には以下、《仏法ようやく顚倒しければ、世間もまた濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影ななめなり。》とある。(御書全集P992)

思想・宗教は、人間社会を動かす、根本である。誤った思想・宗教は人を不幸にする。反対に、正しい思想・宗教は人間を幸福に導く。このことを教えて下さったのが日蓮であり、牧口・戸田・池田の三代会長だったのではないのか?三代会長の解釈を離れて、正しい仏法はない。

組織の「養分」のような存在として、知らず知らずに、「師敵対」となり、人生の最後を迎えるのは、余りにも悲しく寂しいと、私は心から憂うるのである。

【投書】「養分」のような存在。” に対して1件のコメントがあります。

  1. 負け魂三四郎 より:

    心ある皆様に教えていただきたいのですが。『教学要綱の内容は、謗法にあたるか、謗法でないか』いかがでしょうか?。もちろんスルーしたくださってけっこうです(笑)
    私は謗法と思っております。その理由は、「顕謗法抄」には、『謗とは背(そむく)なり等と云々。法に背くが謗法にてはあるか・・もし憎むは背くなり等云々。この文の心は正法を人に捨てさせるが謗法にてあるなり』(全集p448)
    日興上人を僧宝からはずし、法宝をご本尊ではなく、南無妙法蓮華経の題目に改変し、日寬上人を無視し、三代にわたる師匠が確立された教学をないがしろにしている教学要綱は、法に背いていると私は思います。また教学要綱を今のまま存続させて、その内容をもとに会員の皆様に現学会教学を伝えていくとなりますと、三代にわたる師匠が確立された教えを捨てさせることになるので、謗法にあたると考えます。さらに、須田晴夫さんが教学要綱についての誤りを正す行為に対して、それを理解せず、反対に論破しようとする学会青年部教学室の行為は、顕謗法抄で大聖人様が仰せのように、相手の正しいことを理解せず、反対に相手を論難することである「能破」にあたり、これまた謗法であると考えます。
     以上の観点から、『教学要綱』の内容は謗法を犯していると考えますが、いかがでしょうか?。ご指南よろしくお願い申し上げます

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