【投書】無慙とも申すばかりなし。

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投書者:カナリア

5月22日、袴田さんの再審が結審した。
1966年の事件以来、1980年死刑が確定。48年間にわたる拘留生活。昨年、「証拠捏造の可能性極めて高い」ということで、ようやく再審が認められた。袴田さんとお姉さまにとって、仮釈放後の10年を含めると58年間にも及ぶ「冤罪」との闘いとなっている。来たる9月26日に最終の判決が言い渡されるという。冤罪の可能性が極めて高い事案だが、検察は自らの面目にこだわって、あくまで「死刑」を求刑した。

「国家権力の象徴」とも言える検察の、人権など省みない所業。「権力の魔性」の冷酷さををまざまざと感じる。

「権力の魔性」とは、仏法でいう「第六天の魔王」と親戚・兄弟なのだろうか?はたまた同一の存在なのだろうか?

2010年に先生が倒れられて、それ以降の創価学会は「第六天の魔王」に食い破られていった。2014年の会則の変更によって、根本の「大御本尊」を受持しないことになった。
仏教2,500年の歴史の中で、日本で生誕された日蓮大聖人が、出世の本懐として残された「大御本尊」。宗教上最も大切な「本尊」をいともあっさり、否定してしまったのである。

同時に、創価学会(会長)が御本尊を認定すると勝手に決めてしまったが、その後、何ら「認定」など出来ていない。そして昨年2023年、「教学要綱」で、仏・法・僧の三宝まで勝手に変更。池田先生監修とぬけぬけと偽り、三代会長の築かれた「学会教学」を無残に破壊した。

日蓮大聖人は災難対治抄で、以下のように仰せである。

『答えて曰く仁王教に云く:三宝を護る者にして転た更に三宝を滅し破らんこと、獅子身中の虫の自ら獅子を食うが如し外道には非ず』(御書全集p.81)

宗門と離別した今、スーツを着た坊主を擁する信濃町こそが内道の本家なのではないか?学会執行部は、この一節をどう読むのか?

また、日蓮仏法にあって、僧宝である日興聖人を消し去ることなど、あってはならない。「文底仏法」を否定し、「人法一箇」を否定することは、人本尊開顕の重書、「開目抄」を否定することに繋がる。念の為以下、開目抄の有名な一節を引用する。

『一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知ってしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり』(御書全集p.189)

先日、ある区・圏幹部と話したが、彼は三宝が変更されていることも知らなかった。
区・圏幹部と言えば、支部長も本部長も経験してきたはずだ。会員諸氏の問題意識のなさ、教学力の劣化は、目を覆いたくなるほど酷い。戸田先生が御書発刊の辞で述べられた「剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬」というお言葉は、完全な死語になってしまっている。

現在82歳の原田稔会長の任期は2027年11月。会長の息子原田星一郎氏は現在教学部長。あってはならない話だが、世襲を望まれなかった池田先生に背き、御曹司を次期会長になどと考えていたら、創価学会は本当に北朝鮮のようになってしまう。

宗門は「僧侶が上で信徒が下」という、日蓮仏法とは相容れない邪義で、広宣流布の王道から外れていった。創価学会も「会長が上で会員が下」などとなったら邪教であると、池田先生は言い残されたが、現状その兆候は強まっていると感ずる。

まずは正しい現状認識が必要であろう。会員諸氏の「覚醒」を祈るばかりである。

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