座談会御書「寂日房御書」2023年(令和5年)11月度
〈御 書〉
御書新版1270㌻1行目~2行目
御書全集903㌻7行目~9行目
〈本 文〉
かかる者の弟子檀那とならん人々は、宿縁ふかしと思って、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり。法華経の行者といわれぬること、はや不祥なり、まぬかれがたき身なり。
〈通 解〉
このような日蓮の弟子檀那となる人々は、宿縁が深いと思って、日蓮と同じく法華経を弘めるべきである。(末法の悪世で、あなたたちが)法華経の行者といわれていることは、もはや(世間の基準からいえば)不運なことであり、免れがたいみである。
〈講 義〉
寂日房御書は2008年11月号大白より池田先生の講義が掲載されていました。
その池田名誉会長の講義は「希望の経典(御書)に学ぶ3」に収録されています。
また、寂日房御書は以前の講義内容が「自活サイト」にも掲載されています。サイトの方には寂日房について掘り下げた話や御本尊の話もされています。
池田先生の講義以上のものはないと思いますので、本日は、本文の前後も入れて、池田先生の講義をもとにまとめさせていただきました。
〈背 景〉
本抄は、弘安2年9月16日、日蓮大聖人が58歳の御時、身延に於いて、安房方面、現千葉県南部に住む門下のために認められ、弟子の寂日房に託されたお手紙・御消息です。
御書の内容から、お手紙を頂いた人は、大聖人の御両親との縁(えにし)がある女性門下であると推定されます。
その縁故からさらに推察すると、この女性は、大聖人故郷の安房の人である可能性が高いと言えます。また、本抄の最後には「此のご本尊こそ冥途のいしやうなれ」と言われて、御本尊の現当二世にわたる功徳を説かれています。
このことから、大聖人は御本尊を女性門下に授与されるに際し、本抄を送られたと拝察することができます。
この弘安2年当時は、熱原の法難も激しさを増していた時。この熱原の法難は前年弘安元年頃から本格化しています。
そうした中で大聖人は門下の一人一人を励ましに励ましておられたのであります。
身延に入られてからの御生活も決して「隠棲」などという消極的なものではありませんでした。
何十人もの門下に対して法華経、魔訶止観等の講義をされるかたわら、膨大な数の論文・御消息を執筆して法門を残され、きめ細かく激励されています。
身延におられた8年4か月の間に書かれた御書は約三百編にものぼるといわれます。
夫を亡くした門下の方には、「いざとなったら、幼い子どもたちの世話も、私がしよう」とまで、深き慈愛をそそがれている。この、限りなき優しさ、あたたかな人間性にこそ、大慈大悲の大聖人の仏法は脈動している。いわゆる権威のかけらすら見られない。すばらしいことである。1990 と池田先生。親が早くに先立ってしまった若い門下の方には「あなたのご心中を推し量ると、私は涙を抑えることができない」またある門下の方には「どんなに遠く離れていても、あなたとの間には何のへだたりもない。」など全魂を込められた門下の方々への大慈大悲のお心の御消息、激励の数々であります。また「あらゆる人々の種々さまざまな苦しみは、すべて日蓮ただ一人の苦しみでもある」の御文をひかれて、池田先生は御本仏の大慈大悲に差別や境界などない、平和と安穏の楽土を実現するため、日蓮大聖人は、全人類の苦悩をことごとくを一身に受けようと仰せである。あたかも中天に輝く太陽のように、慈悲の光であまねく大地を照らしてゆくーーそれが大聖人の仏法なのである。また大聖人は、全世界を、この地球を、大宇宙から見下ろすような大境涯であられた。そして全人類に妙法という「幸福の秘宝」を教えてあげたいとの大慈大悲であられた。
本抄の前半部分から…
私たちが人間としてうまれることが、いかに稀(まれ)なことであるかという点から説き起こされています。
大聖人はこう言われております。
「あなたは、すでに受けがたき人身を受けられた」
「しかも、あひ難き仏法にもあわれた」
「そして、仏法の中でも、南無妙法蓮華経を唱え弘通する『題目の行者』になられた」
そして結論として、こう仰せです。
「妙法を唱え弘める『題目の行者』の人生は、過去十万憶の諸仏に供養した果報であることは間違いない」
「題目の行者」とは、自行化他にわたる題目の実践で、我が生命を「常楽我浄」の尊極の生命へと鍛え上げていく人です。
本抄では「題目の行者」としての人生を全うしていくためには「法華経の行者」であり「上行菩薩」の出現に当たる日蓮大聖人を師として」、師弟不二の信心を貫くべきであることを教えられていきます。
また池田先生は法華経の智慧の中で、「この大宇宙には無数の生命がある。地球にも、いな小さな庭ひとつとってみても、そこには数えきれないほどの「生命体」がある。そのなかで、幸運なことに人間に生まれることができた。また千年、万年、億万年にもあいがたき御本尊を拝することができた。しかも今、世界広宣流布のまっただ中に生を受けたのが我々です。どれほど宿縁が深いか。どれほどの使命があるか。仏法に偶然はないのです。」
御本尊には、大聖人が成就された常楽我浄の尊極の生命があらわされています。
この御本尊を人生の根本として拝し、師である大聖人の勝利の御生涯を鏡とし、拠り所としていくところに、師弟不二の信心があります。
師弟不二の信心を教えられるにあたり、大聖人はまず「日蓮は日本第一の法華経の行者なり」と仰せられ、御自身の正しき実践を示されていきます。
これは「師」とは、自らが実践する人であることを教えておられると拝することができます。
次に、大聖人が御出現された仏法上の意義が上行菩薩の御使として明かされていきます。しかし、その内容は「御使」というよりも、大聖人こそが、末法における法華経弘通の先駆者であられ、主体者として法華経に予言されていた上行菩薩その人に他ならないと仰せです。
上行菩薩の果たすべき使命は何か?
それは太陽と月が一切の闇を照らす光明を放つように、末法万人の「衆生の闇」をてらすことであると仰せなのです。
「衆生の闇」とは「無明煩悩の闇」のことです。人間社会における一切の迷いと不幸の根源となります。
誰もが胸中に、この無明を持っています。
この「無明煩悩の闇」を晴らしてこそ、はじめて末法の人々を救済することが可能となります。衆生の闇を照らす光とは仏の智慧です。
の仏の智慧の光源こそが南無妙法蓮華経であり、今日は三世諸仏の成仏の根源であり、万人成仏の法です。ゆえに、一切衆生の無明の闇を照らす大光なのです。
【本 文】
「かかる者の弟子檀那とならん人人は 宿縁ふかしと思うて 日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事 はや 不詳なり まぬがれがたき身なり」
【通 解】
このような日蓮の弟子檀那となる人々は、宿縁が深いと思って、日蓮と同じく法華経を弘めるべきである。(末法の悪世で、あなたたちが)法華経の行者といわれていることは、もはや(世間の基準からいえば)不運なことであり、免れがたいみである。
〇仏法の師弟は三世の宿縁
『ここで「宿縁ふかしと思うて」と言われております。
あらゆる魔性に打ち勝ってこられた日蓮大聖人との「宿縁」に目覚めなさいと呼びかけられているのです。そして「法華経の行者」として立ち上がれ!仏勅の広宣流布に不惜身命で戦い抜け!上行菩薩とともに法華経の会座に列なって、末法弘通を誓った地涌の菩薩としての使命を思い起こせ!と促されているのです。
しかし、何よりも大事なことは「日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」との仰せです。
宿縁の深さの自覚とは、決して過去に浸ることではありません。
師と同じ実践に、今この時、勇んで立ち上がること以外の何ものでもありません。
大切なのは「今」です。「今」「何を」実践するかです。「師とともに、今の時に敵った実践に真剣に取り組んでいるかどうか」です。
ゆえに大聖人は、門下が、今、立ち上がる勇気を持てるように「法華経の行者といはれぬる事はや不詳なりまぬかれがたき身なり」と仰せです。
「不詳」とは「不運」という意味です。
世間一般の価値観から言えば「法華経の行者」の実践に立ち上がることは苦難の連続かもしれません。
しかし、仏法のうえから宿縁の深さを考えたときには、地涌の菩薩として、大聖人とともに戦う以上に名誉なことはないではないか。それは、まぬかれようのないことであり、心を定めよと、呼びかけられているのです。
「まぬかれがたき身」とは、言い換えれば、避けて通ることのできない「使命深き身」という意味です。
この激動の時代にあえて「まぬかれがたき身」として、久遠の使命を果たすために願って躍り出た私たち一人一人です。
この御本尊を人生の根本として拝し、師である大聖人の勝利の御生涯を鏡とし、拠り所としていくところに、師弟不二の信心があります。
そして、私たちは師匠池田先生の、200年先まで手を打っているとの御指導を鏡として、広布のため平和のために戦うこと、悪との闘い、師匠を裏切っている増上慢たちを倒す戦いをしていくことが師弟不二の信心だと思います。
○広布に励む人こそ最高に尊貴な存在
本当に偉大な人とは「法」に徹して生き抜く人です。
最高の法である仏法を持ち、仏が説いた如くに実践する人です。
「持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」持妙法華問答抄
大事なことは「法」を持ち弘通している仏法の師匠と、どこまでも、我が「心」を合わせることです。
大聖人は御書の中でも「日蓮と同じく」「日蓮が如くに」と繰り返し強調されています。
師匠と同じ共戦の行動を貫いてこそ、真の法華経の行者となります。そうなれば、大聖人と同じ尊極なる御生命が我が胸中に湧現するのです。私たちの立場で拝すれば、決定した仏法の師匠と同じ人生の目的と使命と行動を共有した時に、自身の人生が最大に荘厳されると捉えることができます。
今月の座談会御書
「かかる者の弟子檀那とならん人人は 宿縁ふかしと思うて 日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事 はや 不詳なり まぬがれがたき身なり」
師匠池田先生のご講義の、「あらゆる魔性に打ち勝ってこられた日蓮大聖人との「宿縁」に目覚めなさいと呼びかけられているのです。そして「法華経の行者」として立ち上がれ!仏勅の広宣流布に不惜身命で戦い抜け!上行菩薩とともに法華経の会座に列なって、末法弘通を誓った地涌の菩薩としての使命を思い起こせ!」を引用して、組織が選挙を頑張っていくことが大事!なんて話になっていかないことを願います。
今の公明党は、武器輸出解禁・集団的自衛権行使容認・安保法案・現代の治安維持法、共謀罪を閣議決定させるなど、池田先生の平和思想・政治への思いとは真逆を突き進んでいると思います。軍拡に突き進んでいるとしか思えないです。国民の生活は、どんどん苦しくなってくるような、政治だと思います。そしてここにも大勢の方が、また全国にもいらっしゃると思いますが、組織から活動停止・会員接触禁止・会館出入り禁止処分、会員をスラップ訴訟するなど、御本仏の「心こそ大切なれ」先生の「一人を大切に」の心など微塵もないことが現実におこっています。学会をカットした日顕のように、反逆者扱い、除名処分、村八分も…
大聖人様、師匠池田先生に、何も恥ずかしいことなどしていないので、これからも堂々と胸中の師匠池田先生と対話しながら御指導を胸に、どんな状況になっても前をむいて、希望をもって、勇気をもって、おかしいことはおかしいと言っていきたいと思います。
池田先生は1991年のスピーチで、「「現実」を離れて仏法はない。ただの理屈でもない。観念でもない。「人間性」を離れて仏法はない。権威でもない。格好でもない。ゆえに、現実に一人の信徒を大切にすることもできないで、仏法者の資格はないであろう。
このことを、大聖人が、身をもって教えてくださっている。この尊き御姿、御振る舞いに違背し、似ても似つかぬ傲慢と無慈悲の末弟がいたとしたら、明らかに大聖人に対する師敵対であると私どもは信ずる。御本仏に敵対する者は、仏敵である。仏敵に従っては、大謗法となってしまうであろうことを、私たちは恐れる。」また別のスピーチでは、「抑圧の組織は伏せられた器、一般的にも、組織もまた一つの器といわれる。上が下を抑えつける組織は、器が伏せられ、下を向いているようなものである。あるいは、蓋で覆っている状態に似ている。新しいものは、何も入らない。一見、まとまりがあるように見えて、中は暗く、発展性も、もはやない。
上に立つ人がいばったり、ことなかれ主義で皆の意見を抑えつけたり、要領よく現状を維持させることだけを考えたり――それでは器が″転倒″しているような姿である。
命令で人を使い、権威で人を従わせるのが指導者なのではない。よけいな、抑圧の″蓋″になっては断じてならない。器を転倒させてもならない。ともあれ、中身のために器がある。会員のために学会の組織はある。」と御指導されています。
最後に寂日房御書の池田先生の御指導を通して…
「法」を持ち弘通している御本仏大聖人様、師匠池田先生と、どこまでも、我が「心」を合わせて、お題目根本に前を向いていく決意です。
以上です。ありがとうございました。
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