【投書】去って去らず!

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投書者:カナリア

池田先生がご逝去された。何人かの同志と話したところ、異口同音に「覚悟はしていたが寂しい・・」との受けとめをしていた。先生は更賜寿命によって、大切な同志諸氏の悲しみ・衝撃を少しでも和らげようとして、時を下さったのかも知れない。

他方、創価学会執行部は、最後まで会員に本当の事を知らせず、直前まで「お元気な先生・奥様!」とまやかしの大本営発表を続けていた。現執行部のこの無責任、不誠実な対応は、決して許す訳にはいかない。また、ご家族に触れることは本意ではないが、ご長男で主任副会長でもある博正氏が、執行部の言いなりになっているのは、誠に残念な事である。

話は代わって『釈尊入滅直後に現れた前兆』として、教団の堕落と権威主義化の傾向は、釈尊入滅直後にすでに現れていたという。釈尊の直弟子たちが書き残した「テーラ・ガーター」(中村元訳〔仏弟子の告白〕には、その兆候を嘆いている箇所があるので、以下抜粋する。

『その結果、修行僧たちは、「腹が膨れるほどに食べ」「目が覚めると雑談をし」遊女のように装い飾り、王族のように権威的に振舞い、奸詐なる者、欺瞞する者、偽証する者、放埒なる者どもであって、多くの術策を弄して、財を受用する」・・という堕落ぶりを露呈する』

先生の「更賜寿命」の十年余によって、仏勅の学会を崩しに崩した現執行部の正体は、既に暴き出されていると言えまいか。言うまでもなく、現学会の権威主義・組織主義・形式主義は、池田先生の人間主義とは、全く正反対なものなのである。

入滅を間近にした釈尊は「法帰依」「自帰依」を説き、「法」が釈尊の後継者であり「師」であり、拠り所であるとした。今後の私たちも同様であるべきと思う。

2010年5月以降、病に倒れられた池田先生。動けぬ先生をいいことに、「お元気な先生がご承認されている」と言い募り、2014年の教義改悪、2017年の会憲制定、2023年教学要綱など、次々強引に進めてきた原田執行部。しかし、最早偽りは通らない。「先生を軽んずるのは止めよ!」と言いたい

先生は「去って去らず」なのである。あとは弟子がどう生きるか?であろう。本物の弟子と、偽物の弟子。仏法の厳しい因果からは誰人も逃れることは出来ない。

師のご指導に学び、師の精神をいかに継承していくか。新しい幕は切って落とされた。

【投書】去って去らず!” に対して1件のコメントがあります。

  1. 久保田哲 より:

    カナリア様 いつもありがとうございます。

     カナリア様のおっしゃる通り、冒頭から最後まで全くおっしゃる通りだと思います。池田先生がこれまで残してくださった膨大なご指導を改めて学び直し一つずつ実践していく人生を誓います。

     今後も先生の人間主義の思想を護り、拡大するためにも真の池田門下の皆様と連携し、弟子として胸を張っていける残りの人生を送ります。

    1. カナリア より:

      ご同意いただきありがとうございます。
      頭のいいバカな執行部の面々。いつか、完全なボロを出すと思います。
      一人でも多くの学会員が、気付いて欲しいと思います。
      今後ともよろしくお願いいたします。

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