開目抄について⑤

2023(令和5年)5月度オンラインスタディで講義して頂いた内容を、ご本人の了承のもと掲載させて頂きます。


グリグリ著

開目抄について⑤

皆様、こんばんは。それでは始めさせていただきます。

開目抄を通して「五重の相対」を学んできましたが、今日は最後の相対である「種脱相対」について解説していきたいと思います。その前に、前回の「本迹相対」について、若干のおさらいと補足をしたいと思います。

(1)本迹相対の概要とまとめ

法華経二十八品は、前半十四品を迹門とし、後半十四品を本門として、本迹ともに「一念三千」が説かれていますが、本迹相対はこの迹門と本門に説かれた「一念三千」を相対して勝劣を判定します。
大聖人も「迹門は二乗作仏が本懐なり」(新版371㌻)と述べられているように、迹門は、開三顕一や二乗作仏による「十界互具・十如実相」等によって、ほぼ一念三千が明かされました。しかし、迹門で説かれた一念三千は、ただ理論上で説かれたのみで、厳密に言えば「百界千如(十界互具・十如是)」です。しかもそこに成仏の「本地や実体」があるわけではなく、仏の身に即して説かれたわけではありません。したがって、迹門は「理の一念三千」と呼びます。
これに対して、本門は「久遠実成」が明かされ、三妙合論(本因・本果・本国土)が示されたことによって、釈尊自身が「いつ、どこで、どのような原因」で仏になったかが明確になります。さらに二乗をはじめ、当時の衆生と釈尊の関係がどうなっているのかなどの全容も明らかになりました。したがって、本門で説かれた一念三千のことを「事の一念三千」と呼びます。
大聖人は開目抄の中で「百界千如は有情界に限り、一念三千は情・非情に亘る」(新版124㌻)と教えられています。これは、迹門・理の一念三千、いわゆる百界千如は、有情の成仏に限定されるが、本門・事の一念三千は、宇宙一切の森羅万象の成仏に亘ることを意味します。
釈尊が本当に説きたかった「真実の教え」とは、本門寿量品で説かれた久遠実成、いわゆる「三妙合論」ですが、この三妙合論(久遠実成)こそが仏教の根本の教えとなります。
もし、釈尊がこの実義を説かなかったとしたら、誰も釈尊が仏になった本因も、本果も、本国土も知らないまま、ただ自分自身に仏界が具わっているという理論だけで終わっていたと思います。釈尊が本門寿量品において発迹顕本を示し、久遠実成(本地)を明かしたことによって、仏と衆生の関係も明らかとなり、九界の衆生たちを久遠以来、三世にわたって化導(成熟)し、最後に寿量品をもって仕上げる(脱益)という、釈尊一代五十年の説法、いわゆる「釈迦仏法(脱益仏法)」は一往完結したと言えます。
別の言い方をすれば、迹門はインドに生まれた釈尊が今世で始めて成道した「始成正覚」の立場で説いていますが、本門は悟りをそのまま体現している「久遠実成」の立場で説いています。
天台が法華玄義の中で、本門を天空に輝く月「久遠実成の釈尊」、迹門を池に映った月「始成正覚の釈尊」に譬えて、天月と池月の関係をもって法華経の前半・後半を区別し明確にしたのは有名な話です。したがって「始成正覚」は権仏(垂迹仏)が説いた迹門の法門であり、「久遠実成」は本果仏が説いた本門の法門であると両者を立て分け、迹門は本門に劣ると定義したのが「本迹相対」の結論です。

ここで気付く人は、もう気付いていると思いますが、権実相対の教判の在り方は「約智約教」であり、一切経を仏の「智慧」に約し、「教」に約して勝劣を判定しますが、本迹相対は「約身約位」です。すなわち仏の身の因果に約し、国土世間に約して勝劣を判定します。
ではなぜ、権実と本迹は「約し方が違うのか」という疑問が出てきますが、それはまた別の深い意味があり、今日の本題ではないのでその話ははぶきます。興味のある方は、まずは自分で勉強していくことをお勧めしたいと思います。

ちなみにこれは余談ですが、教学を勉強している人の中に「迹門は釈尊の本心ではなく、中途半端な教えであり、まだ教えの極意には達していない」と教理的なことを言う人がいますが、それは間違いです。迹門は十界互具――いわゆる「仏界即九界・九界即仏界」を理論上ですが、正確な設計図として示したものであり、迹門もちゃんと理論は網羅していて、本門と同じく釈尊の極意の教えです。だけどそれはあくまでも「理論のみですよ」ということです。
だから「迹門は釈尊の本心じゃない」のではなく、迹門はしっかり論理立てて説いた釈尊の本心です。本心だけど「理」ですよ「事」じゃありませんよということです。これが迹門の意義です。

(2) 種脱相対の基準と教判
それでは今回学ぶ「種脱相対」は、何の相対であり、何に約して勝劣を決定するかと言えば、釈尊の「事の一念三千」と大聖人の「事の一念三千」との相対であり、教判の在り方は、本迹相対と同じく「約身約位」です。
――しかしここで疑問が出てきます。
種脱相対は両者の「身と国土」に約して勝劣を決定するのに、どうして「下種と脱益の相対である」と表現されるのでしょうか。まずは、ここから考えていきたいと思います。

【種熟脱の法門】

三つの利益 ―― 仏が衆生を教化し、成仏に導く方法。
1. 下種益 ―― 仏が衆生に初めて成仏の法を教えることを下種という。
2. 熟  益 ―― 仏の教化によって衆生が成熟していくことを調熟という。
3. 脱 益 ―― 成仏することを得脱という。
※ 種熟脱の三益は、法華経で初めて説かれた法門である。

【開目抄】

(新版90㌻)
真言・華厳等の経々には種・熟・脱の三義、名字すらなおなし。いかにいわんや、その義をや。
(中抜)種をしらざる脱なれば、趙高が位にのぼり、道鏡が王位に居せんとせしがごとし

【要点】

・「種・熟・脱」の三義を教えない(知らない)宗教は、インチキ宗教。
・いつ、いかなる仏法を種として修行したかわからなければ何の役にも立たない。
・「成仏の根本」となる経典は、いずれの経典か。
・「成仏の種子」とは何かを知ること。

仏が衆生を教化し、成仏に導く方法として「三益」というのがあり、これを「種熟脱の法門」といいます。この法門は衆生教化の始めから終わりまでを作物の生育過程になぞらえた「三つの利益」のことを意味します。すなわち仏が衆生に初めて成仏の法を教えることを下種といい、その利益を「下種益」といいます。次に仏の教化によって衆生が成熟していくことを調熟といい、その利益を「熟益」といいます、そして最終的に成仏することを得脱といい、その利益を「脱益」といいます。この「種熟脱の三益」は法華経で初めて説かれた法門です。
大聖人は開目抄の中で「真言・華厳等の経々には種・熟・脱の三義、名字すらなおなし。いかにいわんや、その義をや。(中抜)種をしらざる脱なれば、趙高が位にのぼり、道鏡が王位に居(こ)せんとせしがごとし」(新版90㌻)と述べられました。
要するに、化導の終始たる「種熟脱の三義」を教えない、また知らない宗教はインチキ宗教だということです。大聖人は「いつ、いかなる仏法を種として修行したかわからないで、即身成仏や功徳の姿ばかりを論じても、それは何の役にも立たない」と述べられています。
世に存在するあらゆる宗教は、成仏するための「修行法」やその修行で得る「功徳の姿」を説いていますが、私たちが信仰する上で一番の問題とすべきは、いずれの経典が「成仏の根本」となり、何が「成仏の種子」となるのかを知ることが重要な問題ではないかと思います。

【成仏の根本となる経典】

・釈  尊 ―― 法華経
・天  親 ―― 法華経 ―― 種子無上
・天  台 ―― 法華経 ―― 一念三千
・大聖人 ―― 法華経 ―― 文底下種の本種 ・ 南無妙法蓮華経

【本因・下種仏法】

大聖人の化導法は、本種たる「南無妙法蓮華経」を衆生の心田に植えるのが目的。
※本種である南無妙法蓮華経は、「仏種」とも表現する。

【本果・脱益仏法】

釈尊の化導法は、植えられた仏種を熟させ、実を結ばせ、得脱させることが目的。

・釈迦仏法 ―― 法華文上・本門
・日蓮仏法 ―― 法華文底・独一本門

釈尊はその根本となる経典を「法華経」とし、天親はその法華経を「種子無上」と立て、天台は「一念三千」と説きました。そして大聖人は、文底下種の本種「南無妙法蓮華経」を即身成仏の基本とされました。

さて、大聖人の化導法は本種である「南無妙法蓮華経」を衆生の心田に植えるのが目的ですから「本因・下種仏法」と名付けます。ちなみに、本種である南無妙法蓮華経は、衆生が成仏するための「本因の種」ですから、これを「仏種」とも表現します。
その反対に釈尊の化導法は、植えられた仏種を熟させ、実を結ばせ、得脱させることが目的なので「本果・脱益仏法」と名付けます。
このように、衆生を化導する方法の違いから「下種」と「熟脱」を相対するという表現がなされているのです。この他にも大聖人と釈尊の本門を立て分ける言い方としては、釈迦仏法を「法華文上・本門」、日蓮仏法を「法華文底・独一本門」ともいい、いずれも両者の本門を区別したものです。
種脱相対の中心軸は、あくまでも釈尊の「文上本門・事の一念三千」と大聖人の「文底独一本門・事の一念三千」の相対ですが、種脱相対のもう一つの目的は、末法の衆生を救済する大法は、釈尊の脱益仏法ではなく、大聖人の下種仏法であることを問うたものです。

【観心本尊抄】

新版139㌻
在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。ただし彼は脱、これは種なり。
彼は一品二半、これはただ題目の五字なり。
・迹門の「理」は一つ。(成仏に至る設計図)
・本門の「事」は二つある。(文上脱益・文底下種益)

【釈尊の化導】

種を植えずにただ「熟・脱」の教化だけで下種の化導はしていない。
【大聖人の化導】
最初の「仏種」を植えることから始め、今世の内に「熟脱」して即身成仏するように
促している。――これを「直達正観」という。

【結論】

・両者の「事の一念三千」の本質は同じ。
・末法今時から見れば、大聖人の「事」が本門。
・釈尊の「事」は迹門となり、理の一念三千となる。

大聖人は観心本尊抄の中で「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。ただし彼は脱、これは種なり。彼は一品二半、これはただ題目の五字なり」(新版139㌻)と述べられています。
この御文は、釈尊在世の本門と末法の初め――つまり、大聖人の本門は、同じ法華経であり、同じ円教であるが、釈尊の法華文上は脱益の法門であり、大聖人の法華文底は南無妙法蓮華経を衆生の心田に植える下種益の法門であるという意味です。
別の言い方をすれば、成仏に至る設計図――すなわち迹門の「理」は、どこまでいっても一つですが、本門の「事」は二つあるということです。

そうすると、衆生を教化する「種熟脱」の観点から見れば、普通は種を植えて、水をやり、世話をして、最後に果実を収穫するというのが自然の道理です。
しかし釈尊の化導は、種を植えずにただ「熟・脱」の教化だけで、仏種となる南無妙法蓮華経を衆生の心田に植える化導はしていません。その証拠に、寿量品で「過去久遠からすでに仏であった」とは説いていますが、釈尊が何を修行して仏になったのか――つまり釈尊が成仏した根本の「仏種は何なのか」は説いていないのです。
その反対に大聖人の化導は、最初の「仏種」を植えることから始め、今世の内に「熟脱」して即身成仏するように促しています。これを「直達正観」といいます。
法華経の中心軸はあくまでも「本門寿量品」ですが、大聖人は「一念三千の法門は、ただ法華経の本門寿量品の文の底にしずめたり」(新版54㌻)と述べられ、寿量品の中に「文上脱益」と「文底下種」の二つの法門があることを示されています。
大聖人は法華文上を前提としながらも、末法の衆生を救済する大法は「文底下種仏法」であることを主張しました。
結論から先に言えば、両者の「事の一念三千」の本質は同じものですが、末法今時から見れば、大聖人の「事」が本門であり、釈尊の「事」は迹門となり、理の一念三千となります。これが種脱相対の結論です。
ではなぜ、そうなるのか――せっかく釈尊は本地(実報土)を明かして「事の一念三千」を示したにも関わらず、どうして大聖人の事から見れば、釈尊は「理の一念三千」となり「迹門だ」と言われ、「理仏だの」「迹仏だの」と言われなければならないのでしょうか。

その根拠を明確に示しているのが日寛教学です。日寛上人は六巻抄や文段等でそれを詳しく解説しています。しかし多くの人はそれを読もうとしないし、学ぼうともしません。そして、「久遠元初」とか、「自受用報身如来」とか、自分が理解できない言葉が出てくると、やれ「日寛は宗門人だから学会は日寛教学を用いない」とか、「日寛教学は学会の人間主義に反する」とか、「日寛教学を捨てて新たに二十一世紀版の学会教学を構築すべきだ」と訳のわからないことを言う人がいます。
しかし、大聖人が説く教法を解説した日寛教学は、まさに究極の人間主義に立脚しています。そもそも「久遠元初」や「久遠の自受用身」と言う言葉は、凡夫の尊厳を説いているのであって、人間生命の尊厳を明かした言葉です。それを丁寧に解説しているのが日寛教学です。そのことを一番理解していた戸田先生だからこそ、先生は「教学は日寛上人の時代に帰れ」と叫ばれたのではないでしょうか。

それはさて置き――今度は、末法から見た場合、なぜ釈尊の「事」が「理」となり、迹門となるのかを考えていきたいと思います。

(3)国土世間と脱益仏法

【種脱相対の教判のあり方】

約身約位(身に約し、位に約す)
身・位 = 身・土(国土)

【国土世間】

私たち凡夫が住むのは「同居穢土」です。
国土世間は衆生の果報に即して、四つに分けられる。

寂光土  ②実報土  ③方便土  ④同居穢土   =  四土

【四土】

・事土 ―― 実報 ・ 方便 ・ 穢土 (娑婆ともいう)
・理土 ―― 寂光土は単独で存在する現実世界ではなく、必ず「三土」に即して現れる理想
世界なので 「理土」 として理解してもよい。

※ 「娑婆即寂光」、「地獄即寂光」という表現をするのはそのため。
「娑婆即寂光」の原理とは、「事土」に即して「寂光土」が現出されるということで、
「身」で言えば、「九界即仏界・仏界即九界」と同じ原理。
国土は「事土 ・ 理土 ・ 迹土 ・ 本土 ・ 三土 ・ 四土」と様々に表現されることがある。

本題に入る前に、先ほど種脱相対の教判は「約身約位」と言いましたが、この「身・位」とはまた「身・土」のことでもあります。従って、「位に約す」は国土世間に約して考えると分かりやすいので、はじめに国土世間について、若干の説明と確認をしたいと思います。
国土世間は衆生の果報に即して「寂光土・実報土・方便土・同居穢土」の四つに大きく分けられます。私たち凡夫が住むのは「同居穢土」です。この四土のうち、「実報・方便・穢土」を「事土」といい「娑婆」とも言われます。
一方、寂光土は単独で存在する現実世界ではなく、必ず三土に即して現れる理想世界ですので「理土」と理解して頂ければよいと思います。よく「娑婆即寂光」とか、「地獄即寂光」という表現をするのはそのためです。

要するに、釈尊が示した「娑婆即寂光」の原理とは、「事土」に即して「寂光土」が現出されるということで、「身」で言えば、「九界即仏界・仏界即九界」と同じ原理です。このように、国土は「事土・理土・迹土・本土・三土・四土」と様々に表現されることがありますから、国土世間をよく理解しておくことが大切です。

それでは「本迹相対」でも若干述べましたが、再度、法華経の「あらすじ」を見ていきながら話しを進めていきたいと思います。
釈尊は、迹門の方便品で「仏の生命の中にも九界があり、九界の衆生の中にも仏界がある」という仏界即九界・九界即仏界を説きましたが、その説法を聞いて直ちに理解したのは舎利弗ただ一人だけでした。
他の多くの衆生は「仏と衆生とは別の世界であって、俺たちの中に仏がいるとか、仏と同じ生命があるなんてとても信じられない」と思っていました。
また釈尊の説法を理解した舎利弗にしても「九界の中に仏界がある」という理論を理解しただけで、実際に舎利弗の身の上に「九界即仏界の仏」の姿が表れたわけではありません。逆にそれが出来たら、舎利弗はもうすでに「仏」です。
このように、九界の姿を通して仏界を示すことはできませんから、釈尊は「仏界即九界」を我が身で示す必要があったのです。でなければ、誰も釈尊の言うことなんて信用しないし、ただ哲学上の話だけで終わっていたと思います。
たとえば、いくら「広宣流布のために、池田先生のために、俺は戦っている」と勇ましく人に訴えても、我が身でその行動を示さなければ、誰も信用しないし、相手には伝わりません。それは単なる口先だけの理屈です。
こういうのを「決意上手の実践下手(ベタ)」といいます。我が身の行動と体験に裏打ちされた言葉が、一番、人々の心に響くのはそのためです。「迹門の理は本門の事に劣る」というのは、そういう意味です。

そこで釈尊が本門で何を苦労したかというと、「何としても私の本地の姿を見せて九界の衆生に悟らせたい」ということでした。
しかし、釈尊の説法を聞いている衆生の国土は「穢土」ですから、釈尊の本地である「実報土」を穢土の衆生に見せるのは無理です。なぜ無理なのかというと、自分の身と国土は不二の関係ですから、身が穢土なら国土も穢土であり、身が実報土なら国土も実報土になります。これを「依正不二」といいます。もともと「穢土」と「実報土」は次元の違う世界ですから、穢土の衆生が実報土を見ることは無理なのです。

要するに、「穢土の衆生にどうやって私の本地たる実報土を見せようか」――そこに釈尊の苦心があったのです。そこで登場するのが「虚空会」です。
釈尊は、穢土の衆生に自身の本地を見せるために国土世間を変えて、いわゆる三変土田して、釈尊の本地である実報土に即した娑婆世界を示し、「本有無作・三身の姿」を見せたのです。この一連の出来事を三妙合論(本因・本果・本国土)といいます。

【十法界事】

(通解、新版371㌻)
聖人と凡夫が同居する国土に影の姿として実報土・常寂光土を仮に立てたのである。
【意味】虚空会は現実の世界そのものではなく、映像(映画のスクリーン)のようなものだけど、
釈尊は同居穢土に住む衆生に事実として虚空会の世界を見せたということ。

【彼等が虚空会を見れた理由】
・仏(釈尊)には、衆生に虚空会を見せる力があった。
・歴劫修行のおかげ。
※ある意味、在世の衆生はその見る力を養うために歴劫修行をしてきたとも言える。

【雖脱在現・具騰本種(すいだつざいげん・ぐとうほんしゅ)】
等覚の菩薩 ―― 自分の本地を覚った人。
妙覚の菩薩 ―― 過去に釈尊から本種たる南無妙法蓮華経を下種された「名字即の凡夫」の自覚の人。※脱益は現(虚空会)にあるように見えるけれども(雖脱在現)、
根本下種に立ち還って自分自身の本地を自覚し悟る(具騰本種)という意味。

大聖人は「聖人と凡夫が同居する国土に影の姿として実報土・常寂光土を仮に立てたのである」(通解、新版371㌻)と述べられています。つまり、虚空会は現実の世界そのものではなく、映像(映画のスクリーン)のようなものだけど、釈尊は同居穢土に住む衆生に事実として虚空会の世界を見せたのです。
なぜ彼らは虚空会を見れたのかというと、一つは仏(釈尊)には、衆生に虚空会を見せる力があったということと、もう一つは歴劫修行のおかげです。ある意味で、在世の衆生はその見る力を養うために歴劫修行をしてきたともいえます。
しかし、穢土の衆生はそこでは悟れないし、得道することはできません。なぜかといえば、虚空会は影現(ようげん)の世界であり、現実の世界ではないからです。
もし虚空会で得道したならば、それはもはや穢土の衆生ではなく、実報土の衆生になってしまいます。あくまでも釈尊から説法を受けている衆生は、穢土に住む衆生ですから虚空会では得脱できないのです。
ではどうやって彼らは得脱したのかというと、釈尊から示された実報即娑婆の虚空会の世界を見、釈尊の本地の姿を垣間見たことで、自分の本地を悟ることができたのです。そして彼等は「ああ~そうか、大昔に釈尊から根本下種を受けた時、凡夫である自分も仏であると素直に信じればよかったんだ」ということを自覚します。

ちょっとむずかしい表現になるかも知れませんが、
彼らは歴劫修行をして「脱益」を目指していたから自分の本地が分かるのです。そこを悟った人が「等覚の菩薩」です。ところが、悟ってみれば一転、過去に釈尊から本種たる南無妙法蓮華経を下種されていた「名字即の凡夫」だったことを思い出します。この自覚が妙覚です。これを「雖脱在現・具騰本種」といいます。つまり、脱益は現(虚空会)にあるように見えるけれども(雖脱在現)、根本下種に立ち還って自分自身の本地を自覚し悟る(具騰本種)という意味です。
現代風に言えば、彼等が長い間、成仏を目指して修行し、やっと最後に悟ったものは「原点に戻らなければいけない」ということです。それを彼等は心の底から自覚したのです。法華文上の教相ではこういう理屈になっています。

さて、そもそも釈尊は何でこんなややこしい演出をして、手間をかけなければならなかったのでしょうか。その答えは、九界の衆生側に問題があったからです。
どういう問題かというと、在世の衆生は釈尊から最初の根本下種を受けた時に「凡夫である自分が実は仏だったんだ」という九界即仏界を信じることが出来なかった衆生たちなのです。

【衆生のタイプ・二種類】

本巳有善 ( ほんいうぜん ) ―― すでに根本下種された衆生のこと。
本未有善 ( ほんみうぜん ) ―― まだ下種を受けていない衆生のこと。

【本未有善はいつ生まれるか】

法華経では「五濁悪世の末法時代」だと釈尊は説いている。

【種脱相対のもう一つのテーマ】

・正法・像法から末法時代に移る仏教界の大きな転換点。
・脱益仏法から下種仏法に変わる革命的な転換。
・本未有善の衆生に、下種する仏とは一体誰なのでしょうか。

もともと九界の衆生には、二種類のタイプが存在します。
一つは、彼等のようにすでに根本下種された衆生のことを「本巳有善」の衆生といいます。もう一つは、まだ下種を受けていない衆生のことを「本未有善」の衆生といいます。
繰り返しになりますが、九界即仏界を信じられない本巳有善の衆生たちに、普通の凡夫の姿をした仏が「南無妙法蓮華経を信受すれば、貴方はそのままで仏なのですよ」と言っても聞き入れるわけがありません。
そこで釈尊はどうしたかというと、三十二相八十種好という色相荘厳された仏の姿を見せたのです。ここで注意しておきたいことは、釈尊の本土である実報土においては、釈尊はあくまでも事の一念三千であり、無作三身の仏ですが、その姿で登場し「凡夫も立派な仏ですよ」と説いても彼らは信じないので、敢えて彼らに色相荘厳した仮の姿を見せたということです。
そういう立派な姿をした本果の仏を見、その仏が法門を説くことによって、彼らは「そうか、仏ってこんなにすごいのか」と信じるわけです。
このように長い歴劫修行を経て、最後の寿量品でやっと自分自身の本地穢土で「九界即仏界」を自覚し得脱することができたというのが、文上脱益のクライマックスです。釈尊の本門が「文上・脱益仏法」と言われる理由は、化導する対象が「本已有善」の衆生だったからです。したがって、釈尊が改めて彼等に下種する必要はなく、「熟・脱」の化導法で彼等を成仏に導くことが出来るのです。
その反対に末法に生まれてくる衆生は、まだ根本下種を受けていない「本未有善」の衆生であり、しかも釈尊とは全く縁の無い衆生たちです。この「本未有善」の衆生を救済するには、まず成仏の法たる本種「南無妙法蓮華経」を下種しなければなりません。

ではこの本未有善の衆生は、一体いつの時代に生まれてくるのかというと、釈尊は「五濁悪世の末法時代」だと法華経で説いています。
この正法・像法から末法時代に移る仏教界の大きな転換点――脱益仏法から下種仏法に変わる革命的な転換が「種脱相対」の最後のテーマです。
では「本未有善」の衆生に下種する仏とは一体誰なのでしょうか。今度はそれを考えていきたいと思います。

(4)上行菩薩と久遠実成

ここからは非常に大事なところなので、あくまでも法華経から離れず、法華経を前提として話しを進めていきたいと思います。
釈尊は衆生を得脱させるために、順序として寿量品を説く前に、まず涌出品で崇高なる地涌の菩薩、いわゆる上行菩薩をはじめとする四菩薩を呼び出し、聞き入る弟子たちの元品の無明を揺り動かして「動執生疑」を起こさせます。
なぜそんなことをしたのかというと、釈尊自身(仏身)の常住を示すためです。地涌の菩薩が色相荘厳の姿で虚空会に出現した意味の一つはここにあります。
涌出品で地涌の菩薩が出現したのを見て、在世の衆生はおおいに驚き、彼等は「この地涌の菩薩たちは、どこの国から来て、何という仏の弟子で、どのような仏法を修行したのか」と釈尊に質問します。釈尊はその質問に対してこう答えます。
「われ今、実語を説く。汝らは一心に信ぜよ。我久遠より已来(このかた)、これ等の衆(地涌の菩薩)を教化せり」と説きます。すなわち地涌の菩薩こそ自分の一番弟子であると説いたのです。これを「略開近顕遠」といいます。

【略開】(りゃっかいごんけんのん)

近 ―― 始成正覚のこと。
遠 ―― 久遠実成のこと。

近 (始成正覚)を開いて、遠 (久遠実成)を明かすという意味。
略開近顕遠とは、仏身の常住を明かした言葉。

【広開】(こうかいごんけんのん)

一切世間の者は、皆釈尊が「この世で出家して成仏した」と思っているが、実は自分が成仏したのは五百塵点劫という過去久遠であるという意味。

「近(ごん)」とは始成正覚のことで「遠」とは久遠実成のことです。つまり、近(こん)(始成正覚)を開いて、遠(おん)(久遠実成)を明かすという意味であり、「略開近顕遠」とは仏身の常住を明かした言葉になります。

涌出品でこの釈尊の答えを聞いた衆生たちはさらに驚きます。そして「釈迦仏は成仏してより、いまだ四十余年にしかならないのに、どうしてこれほどたくさんの弟子を教化することができたのか」と再び質問します。
この質問に対して説かれたのが、寿量品の「広開近顕遠」です。すなわち一切世間の者は、皆釈尊が「この世で出家して成仏した」と思っているが、実は自分が成仏したのは五百塵点劫という過去久遠である――と説きました。これによって仏身の久遠常住が事実として顕れ、その仏界には無始の九界が具わり、また九界にも無始の仏界が具わっているという、いわゆる「仏界即九界・九界即仏界」を示して「本因本果の法門」が明かされました。これが「広開近顕遠」という意味であり、釈尊の「発迹顕本」の内容です。
もし、寿量品が「法身の常住」などという華厳のような理屈だけの話であれば、誰も信解することはできないし、ましてや「動執生疑」などは起こり得なかったでしょう。逆に言えば、もし「仏身の常住」を信じさせることができなければ、真実の成仏の道は閉ざされてしまいます。

【開目抄】

(新版87㌻)
されば、仏この疑いを晴らさせ給わずば、一代の聖教は泡沫にどうじ、
一切衆生は疑網にかかるべし。寿量の一品の大切なるこれなり。

【上行菩薩が虚空会に出現した目的】

① 釈尊の化導を助けるため。
② 釈尊の発迹顕本を助けるため。

※これは、あくまでも在世の衆生を得脱させるための説法であり、
これが法華文上の限界です。

大聖人は開目抄の中で「されば、仏この疑いを晴らさせ給わずば、一代の聖教は泡沫にどうじ、一切衆生は疑網にかかるべし。寿量の一品の大切なる、これなり」(新版87㌻)と述べられているのは、そういう意味です。
いくら釈尊が言葉たくみに弁舌をふるっても、上行菩薩の涌出がなかったら誰人も釈尊の過去常住を信じなかったと思います。
上行菩薩の出現によって釈尊の過去常住が証明されれば、未来常住も決定し、初めて「仏身の無始無終」は確固たるものになります。すなわち釈尊の発迹顕本たる「久遠実成」は地涌千界の出現という事実をもって示されたということです。

この事実を通して上行菩薩の存在を考えていけば、上行菩薩が虚空会に出現した目的は明確となります。すなわち、上行菩薩の虚空会出現の目的は二つあり、一つは釈尊の化導を助けるため、もう一つは釈尊の発迹顕本を助けるためです。
しかしこれは、あくまでも在世の衆生を得脱させるための説法であり、これが法華文上の限界です。

今度はその法華文上を前提として、釈尊の久遠成道を証明した上行菩薩とは「いったい如何なる存在なのか」という内実に迫っていきたいと思います。まず結論から先に言うと、釈尊は寿量品の中で「我は久遠より地涌の菩薩たちを教化した」と述べているように、釈尊が久遠ならば上行も久遠でなければならず、上行が久遠だからこそ、釈尊の久遠が証明できたのです。しかも上行菩薩は久遠からすでに南無妙法蓮華経を所持した九界の菩薩です。

【撰時抄】 (161㌻)

一念三千は九界即仏界・仏界即九界と談ず。

九界の代表たる上行菩薩等の地涌千界を久遠から呼び寄せ、
釈尊は自身の仏界即九界を示しているから、理論としては
「仏界即九界・九界即仏界」は成立している。
しかし末法から見れば、それはまだ「理論」の話。

【釈尊の事と理】

釈尊のの一念三千 ―― 仏界即九界のこと。
―― 九界即仏界はまだ「理」のまま。

【結論】

仏界即九界は「事」となるが、九界即仏界はまだ「理」ということ。
いくら九界の衆生の中に仏界があると言われても、それが「事実の姿」として示されなければ、やはり理論の話。

大聖人は「一念三千は九界即仏界・仏界即九界と談ず」(161㌻)と述べていますが、論理的な意味合いから言えば、九界の代表たる上行菩薩等の地涌千界を久遠から呼び寄せ、釈尊は自身の仏界即九界を示していますから、理論としては「仏界即九界・九界即仏界」は成立しています。しかし末法から見れば、それはまだ「理論」の話です。

このように説明すると、よく分かっていない人は「仏の身の上に説かれたのだから理じゃなくて事じゃないか」というのですが、それは釈尊という仏側から示した仏界即九界の「事」であって、普通の人が仏界を示した実例はまだ無いし、「九界即仏界を事で顕した人はまだ誰もいないでしょう?」という話をしているのです。

要するに、仏界即九界は「事」ですが、九界即仏界はまだ「理のままだ」ということです。いくら九界の衆生の中に仏界があると言われても、それが「事実の姿」として示されなければ、やっぱり理論の話です。

法華文上は、どこまでいっても釈尊が中心ですが、その法華経の文底にもう一つの「事」があります。それが九界即仏界の「事」です。そしてその九界即仏界をはじめて「事」で示したのは、末法に出現した日蓮大聖人だけです。もっと正確にいうと、同居穢土の娑婆世界を「本地」とする九界の凡夫が、九界即仏界を事実の姿で示したのは、法華経身読を通して発迹顕本された日蓮大聖人だということです。

ちょっとむずかしい話になるかも知れませんが、
先ほど、「上行菩薩は久遠よりすでに南無妙法蓮華経を所持した九界の代表」といいましたが、逆に言えば、仏に成ったという果があれば、仏に成るための因があるのは当然です。すなわち仏に成ったというのは、根源の法を覚り、実践したということですから、その根源の法の存在を当然の前提としなければ「本因・本果」は成り立ちません。
大聖人はその根源の法が本門寿量品の本因初住――つまり不退転の位を意味する御文「我本行菩薩道(我は本菩薩の道を行じて)」の文底に秘沈されていると主張し、「三大秘法の南無妙法蓮華経」を明らかにされました。

ここは大事なところなので、何回も繰り返しますが、もう一度、法華経の「あらすじ」を通して話を進めます。

まず釈尊は、在世の衆生たちのための説法と成仏の授記を終えた後、釈尊滅後にこの経を受持し、読誦し・解説し、書写する功徳がいかに大きいかを述べられ、「我が滅度の後、能くひそかに一人のためにも、法華経の一句を説く人は、如来の使いであり、如来の所遺として如来の事を行ずる人である」と法華経を説く人を讃えます。
さらに、十方の諸仏を集めて二仏並座した後、釈尊は大音声をもって「誰か能くこの娑婆国土において、広く妙法華経を説かん。今まさしく是れ時なり。如来久しからずして、まさに涅槃に入るべし。仏この妙法華経をもって付属して在ること有らしめんと欲す」と四衆に告げます。
ここから以降の展開は、仏の呼びかけに応じて弟子や菩薩たちが「どう答え」それに対して、仏は何を説き示したのかということになるのですが、有名な勧持品の二十行の偈も、迹化の菩薩たちが「滅後の世は三類の強敵が競い起こり、幾多の苦難に遇うけれども、私たちが身をもって法を弘めます」と誓った言葉の中で述べられたものです。ところが釈尊は、そうした迹化の菩薩たちの決意と誓願を一切跳ね除け、「止みね善男子」と制止します。つまり釈尊は「お前たちに滅後の弘教なんて出来ないよ、無理だよ」と言ったのです。
なぜ釈尊は止めたのでしょうか――せっかく彼らは「法華経を弘める」と誓いの言葉を述べたのに、どうしてその誓願を制止したのでしょうか。
しかも釈尊は、その誓願を退けてすぐに「地涌の菩薩」を久遠から呼び寄せます。
そして「この地涌の菩薩たちは久遠から私の一番弟子である」と言ったことから疑問が起こり、始成正覚を打ち破って久遠実成を明かす寿量品の説法が始まりました。
その後、神力品で地涌の菩薩に法華経を四つの要法にまとめて「付属」し、嘱累品でその他の衆生へ付属が行われ、虚空会の儀式のメーンイベントは終了します。

この一連の流れを見ていくと、そこに描かれているのは、一貫して「滅後にこの法を弘める人は誰であり、その人はどのような資格を持ち、どのような苦難に遇うのか」という「弘教の人」――つまり、法華経の行者の問題が描かれていることがわかります。
釈尊がなぜ「身をもって法を弘める」と誓った迹化の菩薩たちを制止し、その役割を地涌の菩薩たちに託したのかというと、そもそも在世の衆生――いわゆる本巳有善の衆生は、釈尊によって久遠に下種されたにも関わらず、それを忘れ、怠けて修行もせず、退転していった人たちです。だから彼らは何回も何回も「生まれては死に、生まれては死に」を繰り返して、ずっと釈尊から説法教化を受け、理屈ばっかり叩き込まれて、最後の最後に寿量品の講義を聞いてやっと得脱したという――言ってみれば落第生のような人たちです。そんな落第生が「五濁悪世の末法」の世に生まれて、大難に遭いながら「法華経」を説き弘めるなんて、所詮、無理な話なのです。
釈尊はそれが分かっていたから、彼らの誓願を制止して、地涌の菩薩を呼び寄せ、久遠からすでに南無妙法蓮華経を所持した上行菩薩に法華弘通を託したのです。

しかし、法華文上では「上行菩薩がどのような法を弘めるのか」という、末法の衆生に下種する法体についてはまだ何も示されていません。
古来、多くの人は常識的に考えて弘教する法は「法華経そのもの」と考えてきましたが、それでは「釈尊の脱益仏法では末法の衆生は救えない」という根本的課題は解決しません。なぜなら末法の衆生は、釈尊とは縁の無い本未有善の衆生であり、まだ成仏の種子を下種されていない衆生だからです。
例えば、浄土思想などは「釈迦仏によっては救われない」とする末法思想に対応して、釈尊とは別の「阿弥陀仏」にすがる形で台頭した宗教とも言えます。
しかし「釈迦仏がダメなら阿弥陀仏に…」というのは、あまりにも短絡的な考えであり、法華経を浅く見た思想です。
「大慈大悲」を持ち合わせているのが「本当の仏だ」というならば、当然、釈尊は自身の法門が無力化した先のことも心配し、何らかの準備をしていたと思うのが普通ではないでしょうか。
それなのに「釈迦仏がダメなら阿弥陀仏」、「阿弥陀仏がダメなら大日如来」――また「日蓮本仏論では世界広布が無理だから釈迦本仏論でいくんだッ」という発想の人間は、結局「法華経の説こうとしたものとは一体何なのか」を理解していない人であり、法華経の真意をくみ取れていない人だと思います。
大聖人は開目抄の中で、このような人間のことを「生き眼くらの者・邪の眼を持つ者・片眼の者・自らを師と思う者・偏った考えの持ち主等」(趣意、新版94㌻)と述べられ、このような者は経典が見えていない者であると破折しています。

さらに大聖人は「万難をすてて求道心のある者にその記しを留めよう」(同)、また「我が一門の者のために記す。他人が信じないのは逆縁の者と思いなさい」(趣意、新版100㌻)と述べられ、厳しい寒さの中で開目抄を執筆されました。
原田執行部は、この大聖人の心を無視して学会の基礎教学から「五重の相対」を隠し、戸田先生の「教学は日寛上人の時代に帰れ」という厳命をも捨てたのです。このことによって、近い将来、学会内に自分の好き勝手な「我見の日蓮教学」が横行することは目に見えています。その原因を作った原田執行部は、必ずや「日顕」よりもっとひどい大罰を受けることは間違いないと断言しておきたいと思います。

さて、話をもどします。
先ほど「釈尊は滅後末法の世を心配して何か準備をしていたのか」という疑問を述べましたが、誰よりも心配していたからこそ、釈尊は「誰かこの娑婆国土において広く妙法華経を説く者はいないか」と宝塔品で呼びかけ、準備をしていたからこそ、神力品で「地涌の菩薩に一切を託して」入滅したのです。
もし釈尊滅後の悪世末法において、釈尊に代わる「偉大な正法は何なのか」を求めようとするならば、誰よりも滅後の後を心配し、末法に法を弘める「人」まではっきりと定めている法華経の中に求めるのが当然の道理ではないでしょうか。それを法華経以外に求めようというのは、筋違いも甚だしいと思います。

佐渡流罪以降、大聖人は一貫して「法華経の説かれた通りに身読し、法華経に説かれた通りの大難を受けたのは日蓮である」ことを強調しています。
例えば、聖人御難事には「日蓮が末法に出なかったならば、仏(釈尊)は大ウソつきの人である」と叫ばれ、「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言(みこと)を助けたる人、ただ日蓮一人なり」(新版1619㌻)と述べられ、顕仏未来記には「もし日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん」(新版609㌻)と述べています。そのほか同様の言葉を御書の中から拾い上げれば、数限りなくあります。
釈尊から委託を受けて滅後末法に「正法を弘める人」――すなわち釈尊よりその使命を託された上行菩薩の姿は、法華経を身読することによっておのずと証明されます。
だから大聖人は開目抄で「法華経の行者は誰なのか」を徹底的に検証され、暗に「法華経を身読したのはまさしくこの日蓮ではないか」と断言しているのです。
別の言い方をすれば、法華経で説く「釈尊滅後に如来の事を行ずる人」――いわゆる「事行の一念三千」の姿を顕したのは、日蓮大聖人ただ一人だということです。
したがって在世から見れば、仏界即九界を顕した釈尊は「事の一念三千」であり、九界即仏界は「理」になりますが、末法から見れば、九界即仏界を顕した大聖人は如来の事を行ずる「事行の一念三千」であり、仏界即九界の事は「理の一念三千」となります。

それでは一度話を整理します。
末法に生きる私達にとって、本当の「事の一念三千」と言えるのは、大聖人が竜の口で発迹顕本された九界即仏界の「事」であり、大聖人の建立した三大秘法――いわゆる下種仏法が「本門」となります。それに対して、釈尊という仏側から示した仏界即九界の「事」は、私たちにとっては「理の上の法相」、つまり「理の一念三千」であり、釈尊の脱益仏法は「迹門」となります。これが仏教界における一大転換であり、革命的な転換だという理由です。これは、大聖人以外は誰も説いていません。
だから大聖人は「いくら釈迦の仏像を信仰の対象にして拝んでも、それは仏界即九界を表した仏像であって、末法の私たちには何の関係もありませんよ。理上の法相だよ(趣意)」と御書の各所で表明しています。先ほども述べましたが、法華文上ではそれが限界なのです。

さて、法華経の話にもどりますが、大聖人から見れば、在世の教化はすでに涌出品の動執生疑前のところで終わっています。しかし、「略開近顕遠の説明だけでは、滅後の人たちはきっと疑いを持つから、もう一度、寿量品で詳しく説明してください」と弥勒菩薩は懇願し、「その寿量品を滅後の人たちが読めば、ああ~なるほど、寿量品は滅後の人のための教えだったのかと信じるはずだ」と頼んだので、釈尊は寿量品で「広開近顕遠」を説いたというのが法華文上の理屈です。
大聖人は、その法華文上に則り「観心」を大事にしつつも、単なる主観で説いたわけではないのです。ところが、中古天台や教相を無視した「観心」というのは、単なる「ダルマ(法)」でしかありません。
大聖人の場合は、教相を捨てることなく、教相の上に立って、そこから一ミリも外れることなく、「観心」を示したところに大聖人の偉大さがあるのです。これがなかったら単なる我見になってしまいます。
だから大聖人は、わざわざ法華文上の教相を示して「大事なのは法華経だよ、法華経なんだよ、それを誹謗すれば、罰が当たるよ」と何回も弟子に教え、「でも法華経の中でも本門が大事なんだぞッ」と、耳にタコができるくらいにくどくど言って、その本門から「文底」を導き出すという段取りを外しませんでした。
したがって末法の衆生は、釈尊の事の一念三千(仏界即九界)を対境(本尊)とするのではなく、日蓮大聖人の事の一念三千(九界即仏界)を対境(本尊)とし、妙法を唱えることによって境智冥合が可能となり、私たちの生命に九界即仏界の「事」を顕すことが出来るのです。これが種脱相対の結論です。
しかし、ここで一つの疑問が残ります。
それは何かというと――確かに釈尊はどのような法を修行して仏に成ったのかは説かず、またその「根源の法」がどんなものかは示していません。
「だから大聖人がその根源の法たる三大秘法を建立したのだ」と言われても、その具体的内容は、大聖人が勝手に決めて、勝手に作ったものではないのか――という疑問です。

最後にこの問題を考えて終わりたいと思います。
まず、釈尊滅後の末法において「一大事の秘法」たる根源の法を弘通する主役は上行菩薩です。そのことは釈尊も法華経・神力品の中で「上行菩薩に末法の衆生を救済する法体を四句の要法として付嘱した」と述べています。
大聖人はそれを受けて「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」(新版1924㌻)と述べています。
……これを読むと、「だから日蓮が勝手に作ったものだ」という主張はある意味、当然の疑問かも知れませんが、それは違います。
大聖人は「この御本尊は、在世五十年の中には八年、八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕れ給うなり」(新版2086㌻)と述べられ、「これ全く日蓮が自作にあらず。多宝塔中の大牟尼世尊、分身の諸仏、すりかたぎたる本尊なり」(同)と断言されています。
先ほども述べましたが、本化地涌の菩薩の登場は、涌出品第十五から虚空会の儀式が終わる属累品第二十二までの八品です。大聖人は「この八品が御本尊の相猊をあらわしている」と述べられています。しかし、根源の法たる御本尊の相猊、すなわち法体の相猊は顕していますが、法体の生命そのものはまだ顕していません。この本因たる「法体の生命」そのものが秘沈されていることを「文底秘沈」と言います。
では、法体の生命そのもの――言い換えれば、日蓮大聖人の「事」とは一体何かというと、それが「日蓮が魂」であり、その名号が南無妙法蓮華経です。
日寛上人はそれを教えるために、大聖人の事(本尊)と境智冥合すれば、我が身に「仏性が顕れる」とは言わずに、「妙法を信受する力用によって大聖人と顕れる(趣意、文段)」と表現したのです。
成仏の本因の「種子」そのものである南無妙法蓮華経それ自体は、あくまでも「文底」に秘沈されていますが、それを末法の衆生に受持できるものとして顕された御本尊は「全く日蓮が自作にあらず」です。
別の言い方をすれば、釈尊はあらゆる仏が覚っている究極の法理を「虚空会の儀式」の形を通して表現しました。大聖人は「虚空会の儀式」を衆生が直ちに受持し、帰命すべき本尊として建立しました。
この御本尊について明かした「観心本尊抄」は、冒頭、天台・摩訶止観の一念三千の依文から説き起こされ、その結論として「一念三千を識らざる者には、仏、大慈悲を起こし、五字の内にこの珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けしめたもう」(新版146㌻)と述べられています。
これは、法華経で説かれた究極の法を天台は一念三千と表現し、その一念三千を大聖人は「南無妙法蓮華経の御本尊」として顕し、それを受持することによって誰もが成仏できるようにされたということなのです。

最後になりますが、インドに誕生した釈尊の立場は「熟・脱」の法門を説く「脱益・本果妙の教主釈尊」ですが、大聖人の立場は「種・熟・脱」の三義を示し、末法の衆生を直達正観させる即身成仏の法門を説き示す「下種益・本因妙の教主釈尊」です。これが日蓮大聖人の本地です。
大聖人は「人法一体にして、即身成仏なり」(新版1129㌻)と述べられ、「日蓮がたましいをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給え。仏の御意は法華経なり、日蓮がたましいは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(新版1633㌻)と述べられています。
これは、大聖人が建立した末法の一大秘法たる「本門の本尊」は、それ自体、大聖人の生命そのものを、一幅の大曼陀羅として顕したものであるという意味です。
法に即して人、人に即して法であるがゆえに、法華経の説かんとしたところの法門は、大聖人の一身に顕れ、大聖人は久遠初住の仏としての生命をそのまま御本尊として顕されました。
私たちが御本尊を「人法一箇の御本尊・人法一箇の御当体」と名付ける理由は、まさにここにあるのです。

以上で「種脱相対」の講義を終わります。ありがとうございました。