【投書】全体主義との戦い!
投書者:カナリア
昨日行われた衆院憲法審査会において、自民党はロシアのウクライナ侵攻に絡め、憲法九条改憲の必要性を主張。公明党は九条についての直接の言及を避けたとの事。
先だっての「敵基地攻撃能力保持」(反撃力との言葉に変更)の議論についても、「専守防衛」の立場の堅持を、公明党は強く訴えない。「平和の党」としての正念場であることは先日述べた。
仏法・池田先生の平和精神を蔑ろにしておいて、「立正安国の対話」などという虚言を使って、公明党候補への支援を煽る原田執行部。悪しき権力と戦い、市井の庶民の為に命を懸けた、日蓮大聖人のご生涯。権力に迎合する公明党国会議員を選挙に勝たせることが、何故、「立正安国」に繋がるのか?言葉の意味は、真逆なのである。
全体主義の兆候は、言葉の破壊に現れるという。ここで思い起こすのはイギリスの作家、ジョージ・オーウエルの小説「1984年」である。(1949年作)主人公ウィンストンの仕事は公文書の改竄。都合の悪い過去の事実を抹消し、言葉の破壊活動が続けられる。
「強制収容所」は「歓喜キャンプ」と言い換えられ、「平和省」は戦争を推進し、「豊富省」は国民から搾取し、「真理省」は歴史を改ざんして、「愛情省」は尋問と拷問を行う。
戦争は平和なり。自由は隷属なり。無知は力なり。これが党のスローガンである。言葉の定義が破壊されれば、人間は思考することが出来なくる・・。
また、現在の日本国若しくは創価の教団に於いて「支配されたい人々」が存在することを指摘する識者がいる。「自由からの逃走」に見られるように、彼らは自ら考えて選択する重荷から逃げようとして、組織・権威・独裁的指導者等に支配されようとする。
確かに上記、公明党支援に例を取るなら、組織の打ち出しに、黙々と従うコアな会員諸氏はまだまだ多い。これらの人々は、政策や政治状況などについて、本質的な思考はせずに、「組織」に盲従する。支配されることが「楽」なのであろうか?
全体主義との戦いは、皮肉にも、本来対極にあるべき「創価学会」の中に於いても必要不可欠なことになっている。池田先生が一人一人を賢くされることに全力を尽くされたことを思い出さねばならない。個々が考え、自立する事が、今、最重要なのではあるまいか。