座談会御書 開目抄 2022年(令和4年)5月度
〈御 書〉
御書新版 117㌻7行目~9行目
御書全集 234㌻7行目~9行目
〈本 文〉
我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし
〈講 義〉
皆さんよくご存じのように、この「開目抄」は流罪の地、佐渡において書かれました。
大聖人の教えを知る上で、佐渡に流される前の教えと後の教えでは大きな違いがあって「佐渡以降が本意であり、重要だぞ」ということを、大聖人ご自身が「三沢抄」という御書に明確に述べられています。
文永八年九月十二日の深夜に起きた「龍口の法難」によって、お命を狙われた大聖人でしたが、諸天の働きによってその絶体絶命の危機をのがれ、佐渡島に流罪となりました。
伊豆流罪に続き二度目の流罪という、幕府の徹底的な弾圧を受けた大聖人は、最大最悪の苦難の中で自らの使命と存在意義を、より強く深く大きく開いていかれました。
大聖人の佐渡流罪という事件は、弟子門下の人々にも当然大きな衝撃をもたらしました。自分たちが信頼し、信奉してきた師匠が、一度ばかりか二度までも、今度は生きて帰れるかどうかもわからない佐渡に島流しになってしまったのです。加えて一部の出家弟子たちも土牢に入れられてしまいました。門下の動揺は測り知れないものでした。多くの人が退転していきました。「幸せになれると信心したのに。仏になれると信心したのに、現世安穏だと言われたのにおかしいではないか」と。
当時の様子を大聖人は「千人の内、九百九十九人が退転してしまった」と言われています。
そのような中、自らが覚知されたご自身の使命を基として、「この法難の意義とは」、「真の幸福とは」、「真の成仏とは」、を門下一同に教えられたのがこの「開目抄」であります。極寒にして劣悪な環境の中で、生涯で最も長く重要な御書を執筆されたのです。そうした経緯を本抄の中でご自身次のように述べられています。
「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月、雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくてをそろしからず。みん人いかにをぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国の当世をうつし給う明鏡なり、かたみともみるべし」と。意訳すれば、「日蓮と名乗っていた人間は、去年九月の夜中に頸をはねられてしまった。その魂が佐渡の国に来て今雪の中でこの「開目抄」を書いている。これを縁ある弟子たちに送れば、きっと恐ろしくも思い、不思議にも思って皆驚きおびえるだろう。しかしこの書は、釈迦・多宝・十方の諸仏が、未来の日本、すなわち今の末法の世を映し出された鏡である。私の形見とも思いなさい」と。
竜口の首の座、大聖人にとってこの時実際に頸が切られたか切られなかったかは問題ではなかった。妙法の故に命を奪われるというその現実の瞬間を経験し、その最後の瞬間を不退不動の覚悟で莞爾として受け入れた自らの魂は、何があろうと何処にあろうと既に永遠に不動不変の魂であり、そのことを確信し得たことこそが重要であったのです。その見地から弟子たちに対し、おべんちゃらでも誤魔化しでもなく、また上辺だけの励ましや建前でもない、本当の成仏、本当の幸福、本当の喜び、本当の人生の意味を教えようと、遺言の如く書かれたのが本抄であります。
さて、今回の該当箇所を見ますとその直前に、まず次のような御文があります。
「諸経は智者猶仏にならず。此の経は愚人も仏因を種(う)ゆべし『不求解脱、解脱自至』等云々」と。つまり、
「法華経以外の経典では智者でさえも仏になることはできない。しかしこの法華経はどのような愚人であっても仏種を得ることができる。それは先に引用した涅槃経に『敢えて求めなくても自ずから解脱に至る』とある通りである」と。
この涅槃経の『不求解脱、解脱自至』とはどういう事かといえば、「ある貧しい一人の女性が病気や飢えに悩まされながら、ある宿屋で一人の赤子を産んだ。しかし、宿の主人が無情にも彼女と子供を追い出してしまった。乳飲み子と共に各地をさまよい歩くうちにガンジス川に出た彼女は、赤子を抱いて渡ろうとしたが、川の流れが速すぎて二人共川に飲まれてしまった。しかし彼女は決して赤子を離すことはなかった。この慈しみの心によって彼女はその後梵天に生まれたのだ。この貧しい女性が赤子を護ろうとしたように、身命を捨てて仏法を護れば、解脱を求めなくとも解脱には自ずから至るのであって、それはあの貧しい女性が願い求めたのではないのに自然に梵天に至ったのと同じである」と説かれているわけですが、その経文を受けての今回の拝読箇所です。
「我れ並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ、現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すてけん。つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし」
解説の余地のない明瞭な御文です。「諸難」こそが成仏の要因であるぞと。いかなる時も「信」の一字こそ成仏の要因であるぞと。
人生にはそれぞれに様々な「まことの時」があるかと思います。より具体的に言えば、「信心を疑いたくなるような出来事に遭った時」「信心を捨てたくなるような出来事に遭った時」ということになるかと思います。立ちすくんで進退窮まれりと思った瞬間こそ、この大聖人の言葉を思い出さなくてはなりません。無疑曰信、以信代慧の門より不惜身命の信念に住さなくてはなりません。本抄では「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし」とも言われています。私たちは平穏な時は不退転の決意を口にできますが、調子の良い時や、思わぬ苦難に遭遇した時は忘れがちになります。これは本来の自己の姿を知らず、その尊さを自覚していないために、状況に支配されるからであります。自己の真の姿と使命と目的を知れば、安楽と苦難の意味は全く変わってまいります。妙法の確信に生きるとき、苦は苦として厭うべきものでもなく、楽は楽として執すべきものでもなく、苦楽共に感激と価値を生んでゆくことができるのが正に「信心」であります。
命を張って妙法に生きれば、恐るべきものは一つもない、唯一恐るべきものは「己の弱い心」であります。
「我れ並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」
生涯心の底に据えておきたい御文です。
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