座談会御書 四菩薩造立抄 2022年(令和4年)4月度

〈御 書〉

御書新版 1341㌻3行目~4行目
御書全集 989㌻11行目~12行目

〈本 文〉

総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は、日蓮が如くにし候へ。さだにも候はば、釈迦・多宝・十方(じっぽう)の分身(ふんじん)・十羅刹も御守り候べし。

〈通 解〉

総じて日蓮の弟子といって妙法を唱え法華経を修行する人々は、日蓮のように妙法弘通に励み、不惜身命の信仰を貫いていきなさい。そのようにするならば、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、十羅刹も、必ずや守護されることでしょう。

〈講 義〉

今回学ぶ範囲は、
師匠に直結して活動に励むところに仏法の正道があり、そこに生命力が漲り、諸天善神の加護がある、ということを明快に述べられた御文ではないかと思います。

本抄は、弘安2年(1279)5月17日、日蓮大聖人が58歳の時、身延から下総(千葉県)の富木常忍に送られた御返事になります。

御書の題名にありますように、富木常忍が「法華経本門の久遠実成の釈尊と四菩薩が造立される時期について」質問したことに対して、「末法今の時が久遠実成の釈尊と四菩薩造立の時である」ことを示されています。

一瞬、「えっ?日蓮大聖人は仏菩薩の像を造ることを?勧められたのか?」と誤解されそうですが、これは門下の機根を踏まえての対機説法であることに注意を要すると思います。

同じ富木常忍にあてた観心本尊抄では妙法の曼荼羅本尊の本義を示され、末法においては、日蓮大聖人が図顕した曼荼羅本尊に妙法を唱えて成仏を期すべきことを、各地の弟子檀越に教示されています。

しかしながら、正法時代、像法時代を経過しての大聖人の御在世、鎌倉時代では、本尊といえば仏菩薩の木像、絵像が当然のように拝まれていました。
阿弥陀如来、薬師如来、大日如来や観音菩薩等に手を合わせてお救い頂くというおすがり信仰が当たり前になっていた衆生の機根です。
そのような中で、大聖人が主張する法華経最第一に目覚め、妙法を唱えるようになった人々ではありますが、前時代からの信仰感覚で仏像への執着、というものがありました。
大聖人は門下の信仰の状態、機根を鑑みて、法華経と題目の信仰に目覚めたことをよしとして、法華経の教主たる釈尊と脇士たる四菩薩の像に関しては認めたのだと拝察されます。

いわば、妙法の曼荼羅本尊という法の最高位へ至る、下段の段階でもあるといえるでしょう。

さて、このような仏菩薩像と曼荼羅本尊に対する理解だけではなく、法華経の迹門と本門の関係について、一部の門下は「迹門である方便品は読まなくてもいい」という理解があったようです。

これに対して大聖人は本抄で、「本門と迹門の浅深、勝劣、与奪、傍正は仏法流布の時と機根とによるのです」として、「末法の今の時は、正には本門であり、傍には迹門です。ゆえに迹門無得道と主張して迹門を捨ててしまい、本門ばかりを信じている人々は、いまだ日蓮の本意の法門を知らないのであり、もってのほかの僻見(びゃっけん)であります。日蓮の大事な法門を、ねじ曲げて考えてしまう人は、ひとえに天魔波旬がその身に入り替わって、他人と自身と共に無間大城に堕としてしまうのです。実に愚かなことです」と厳しく戒められています。そして今回の学習範囲へと続きます。

「日蓮が如くにし候へ」の短い表現には、日蓮大聖人の万感の思いが込められているのではないでしょうか。
大聖人の、この教示のままに、妙法弘通に励んだのが日興上人でした。

駿河の国・富士川流域の天台宗寺院を舞台にして活発な折伏・弘教を展開。多くの人々が題目を唱えるようになり、それに対する既成仏教と権力の反発が熱原の法難へと至っていくわけですが、師匠の存命中に「師匠の如くに」と生き抜いた真実の弟子の姿が、そこにはあったのではないかと思います。

そして師匠が亡くなった後に「日蓮が如くにし候へ」を身で読んだのが、日興上人ただ一人であり、連なる人々であったわけであります。

このことは、「師匠の如くにと生き抜くところにこそ、真実の弟子の道がある」ということを、今日の私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

■御書講義 動画サイト

https://www.youtube.com/watch?v=4npEYY4FKGA

御書研鑽しよう会

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――戸田第二代会長命日――
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 第12巻 寂光

――第三代会長辞任――
1979年(昭和54年4月24日)

■桜の城
 嵐の「4.24」断じて忘るな! 学会精神を(1999年4月27日)

4月度座談会御書履歴

座談会御書 「兄弟抄」2000年(平成12年)
座談会御書 「聖人御難事」2001年(平成13年)
座談会御書 「顕仏未来記」2002年(平成14年)
座談会御書 「日眼女造立釈迦仏供養事」2003年(平成15年)
座談会御書 「乙御前御消息(身軽法重抄)」2004年(平成16年)
座談会御書 「崇峻天皇御書」2005年(平成17年)
座談会御書 「三三蔵祈雨事」2006年(平成18年)
座談会御書 「日眼女造立釈迦仏供養事」2007年(平成19年)
座談会御書 「寂日房御書」2008年(平成20年)
座談会御書 「報恩抄」2009年(平成21年)
座談会御書 「開目抄」2010年(平成22年)
座談会御書 「聖人御難事」2011年(平成23年)
座談会御書 「兄弟抄」2012年(平成24年)
座談会御書 「立正安国論」2013年(平成25年)
座談会御書 「諫暁八幡抄」2014年(平成26年)
座談会御書 「日眼女造立釈迦仏供養事」2015年(平成27年)
座談会御書 「兄弟抄」2016年(平成28年)
座談会御書 「立正安国論」2017年(平成29年)
座談会御書 「如説修行抄」2018年(平成30年)
座談会御書 「日眼女造立釈迦仏供養事」2019年(平成31年)
座談会御書 「上野殿御返事(刀杖難事)」2020年(令和02年)
座談会御書 「諌暁八幡抄」2021年(令和03年)