師匠と共に~富士日蓮法華衆の心意気
四十九院申状 弘安元年三月
寺務二位律師厳誉の為に日興並に日持・承賢・賢秀等、所学の法華宗を以て外道大邪教と称し、往古の住坊並に田畠を奪い取り、寺内を追い出さしむる謂れ無き子細の事。
日興上人の教導により、駿河国富士川流域での妙法弘通が活発化し、「富士日蓮法華衆」ともいうべき一門が誕生します。。
四十九院では日持、承賢、賢秀
熱原滝泉寺では日秀、日弁、日禅
岩本実相寺では筑前房、豊前房
彼らが一門に加わります。
天台系寺院内で広まる妙法の声。
寺院当局の取った対応は、まさに大聖人が受けたような「仏法の正論に対して、問答無用の権力で追い出す」というもの。
「お前は外道大邪教だ!」「外道のきさまに田畠も住坊もいらぬ」「出てけ!」と。
普通なら驚きたじろぐところでしょう。
がしかし、日持、承賢、賢秀らは「処分」の不当を鎌倉幕府に訴え、堂々と厳誉との公場対決を主張するのです。「悪いのはお前だ!」と。
熱原滝泉寺一帯では、日秀、日弁、日禅の布教はますます活発化して、それは後の熱原法難へと至ることになります。
何故、彼らはここまで強かったのか?
建治元年の「法蓮抄」では、日蓮大聖人自らが
「当に知るべし此の国に大聖人有り」
と記しています。
日本国を一切衆生を思い祈り続ける師匠の存在というものを感じますが、日興上人を通して大聖人のことを伝え聞いた人々には、「私達には日蓮大聖人がいるんだ」という師とのつながり、師の心に包まれる安心感があったのではないでしょうか。
また日興上人より伝えられたであろう
「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御義口伝)
のままに、人界に生を受け初めて唱える妙法の喜びがあらゆるものに勝った、ともいえるでしょうか。
富士を仰ぎ見る地で、信仰者として生き抜いて宗教的権力と相対した人々が教えてくれたこと。
『師匠に直結する』
ここに一切の原動力があったと思うのです。
林 信男