妙法曼荼羅の形相の起源をめぐって~明恵房高弁と日蓮 2

【 明恵房高弁 「三宝礼の名号本尊」への信仰 】

高弁は「摧邪輪」「摧邪輪荘厳記」を著した後、紙の中央に「南無同相別相住持仏法僧三宝」と文字を書き、左右に八十華厳(巻二十七)十廻向品にある菩提心の異名二十種より「万相荘厳金剛界心、大勇猛幢智慧蔵心、如那羅延堅固幢心、如衆生海不可尽心」を選んで書き入れた「三宝礼の名号本尊」を作り、それを栂尾の練若台の草庵にかけて、自行として日に三回、三返ずつの礼拝を行いました。

本尊の図様は中央に「南無同相別相住持仏法僧三宝」と認め、拝して右上より「万相荘厳金剛界心、大勇猛幢智慧蔵心」、左上より「如那羅延堅固幢心、如衆生海不可尽心」と配列し、上部には横一列に三宝を梵字で並べます。

三宝と菩提心を文字に顕しそれを本尊として礼拝するのは密教の思考で、自らに厳しい戒律を課し、華厳教学と真言密教を習い極めてその復興に尽力した高弁の顕密兼学の思考と源空の専修念仏に触発された教理的結実が「三宝礼の名号本尊」といえるのではないでしょうか。彼は自ら礼拝するだけでなく、信奉する人々にも礼拝することを勧めています。

建保3年(1215)11月25日には「三時三宝礼釈」を著して「三宝礼の名号本尊」への礼拝に意味合いを持たせ、源空の専修念仏に走った人々を呼び戻すかのように「三宝礼の名号本尊」への信仰が易行であることを強調します。(高山寺蔵・明恵自筆消息断簡には、「三宝礼の名号本尊」を15枚書いて授けたことが記されています)

「三時三宝礼釈」~部分

以下の現代語訳は高橋秀栄氏の「三時三宝礼釈」訳文(「大乗仏典〈中国・日本編〉第二十巻」1988 中央公論社)より引用

「 礼拝の仕方は、合掌し、身体をまっすぐに伸ばしてお唱えするものです。

南無同相別相住持仏法僧三宝(なむどうそうべっそうじゅうじぶっぽうそうさんぽう)

生生世世値遇頂戴(しょうじょうせぜちぐうちょうだい)

万相荘厳金剛界心(まんそうしょうごんこんごうかいしん)

大勇猛幢智慧蔵心(だいゆうもうとうちえぞうしん)

如那羅延堅固幢心(にょならえんけんごとうしん)

というところまでは立ったままで唱え、このあとの句の『如衆生海(にょしゅじょうかい)』と唱え始めるのと同時に身体を地面につけて礼拝(五体投地)しますと、『生生世世皆悉具足(しょうじょうせぜかいしつぐそく)』というのと同じに礼拝が終わります。(礼拝を)始めるなり、すぐに立ち上るようなことはしてはいけません。(そのようなのは)礼拝とはいえません。仏教の経典に説かれている礼拝の仕方は、すべて端身正立(たんしんしょうりゅう)ということです。

中略

愚僧は、練若台と名づけた草庵の学文処に、(仏法僧の)三宝と菩提心の名号(の掛軸)をかけ、三時(早朝・日中・日没)における念誦のときとか、お堂を出たあとなどに、かならずこの名号を唱え、一度につき三返の礼拝をおこなっています。合わせると三時(一日)で、九返の礼拝になります。

その礼拝のことばは、次の通りです。

南無同相別相住持仏法僧三宝

生生世世値遇頂戴

万相荘厳金剛界心

大勇猛幢智慧蔵心

如那羅延堅固幢心

如衆生海不可尽心

生生世世皆悉具足   」

「 男の人が問うていう。

私どものような在家の者は、清浄であるとか不浄であるとかえりわけをしないで、この名号にむかって、まごころこめた礼拝や供養をすべきでしょうか。

答えていう。

まことにそのとおりです。前に引用した『起信論大意記』にも、朝夕に『敬礼常住三宝』と唱えることが示されています。それは四部の弟子が朝夕に礼拝し恭敬する仕方なのです。ただ手を洗い清め、口をすすいで、朝夕に礼拝供養して、何度生まれかわろうとも、いつでも仏の教えにめぐりあいたいものだ、という願いを発すがいいでしょう。たとえ、ほかの修行のつとめがないとしても、この一行に励むと、二つの利益がもたらされるはずです。ただし、この名号を掛けようとするときに、室内が狭すぎて、魚や鳥を焼く煙がもうもうとたちこめるようなところでしたら、あえて文字を開かなくとも、ただ口の中で(名号を)唱えて礼拝するだけでも十分です。また財宝にめぐまれず、仏画(図絵ノ仏像)を手に入れることができない人は、この名号にむかって、わずか一体の仏や一体の菩薩の姿を心に思い浮かべるだけでもいいのです。それだからといって、(仏の救済に)漏れるというようなことはありません。

男の人が問うていう。

その行儀は、法師がなさっておられるように、必ず三時につとめるべきでしょうか。

答えていう。

たしかに愚僧の場合は、三時に道場に入って、顕密の行法をつとめるついでに修しておりますが、なにがなんでも同じようにつとめなさいというのではありません。一日に三返も礼拝することもあれば、あるいはただ名号だけを唱えたり、あるいはただ香花だけを供えたり、あるいは飲食の際に供養するだけでもよいのです。

後略 」

引用文中、注目すべきは男の人(俗人)が、

「我等ガ如キノ在家ノ人等。浄不浄ヲキラハズ。此名号ニ向ヒ奉テ礼供ヲナスベシヤ。」

私どものような在家の者は、清浄であるとか不浄であるとかえりわけをしないで、この名号にむかって、まごころこめた礼拝や供養をすべきでしょうか。

と問いを発したのに対し高弁が、

「縦ヒ余行ナクトモ。此一行ニ二利ヲ円満セム。」

たとえ、ほかの修行のつとめがないとしても、この一行に励むと、二つの利益がもたらされるはずです。

と他の経教によらなくても、「南無同相別相住持仏法僧三宝」の一行に功徳があると答えていること。また、

「又財宝ニ貧キヤカラ。図絵ノ仏像ヲマウケ難カランニ。此名字ニ向ヒ奉リテ、一仏一菩薩ヲ念シ奉ランニモ。更ニモレ給ヘルハ有ベカラズ。」

また財宝にめぐまれず、仏画(図絵ノ仏像)を手に入れることができない人は、この名号にむかって、わずか一体の仏や一体の菩薩の姿を心に思い浮かべるだけでもいいのです。それだからといって、(仏の救済に)漏れるというようなことはありません。

と経済的理由から図絵の仏像が入手できない(そこには「作れない」の意もあると思うが)人は、「三宝礼の名号本尊」を礼拝して一仏一菩薩を念じるだけでも、一人も漏れなく救われるとしている、というところでしょうか。

同書では続けて、在家の男女は「南無三宝後生タスケサセ給ヘ」と唱えて、粗末な供物であっても三宝に捧げてから用いることが大事であることを説いています。翌建保4年(1216)10月5日にも「自行三時礼功徳義」(三時三宝礼釈略本)を著して、三宝信敬による菩提心の大事、西方往生を求める者が三時三宝礼を修すれば上品上生の業にあたり、信心決定して行を成せば他行の必要はないことを説示するのです。

【 源空・高弁・日蓮~実践法の方向性の類似 】

「三時三宝礼釈」「自行三時礼功徳義」での主張を見ると、高弁は「摧邪輪」で源空を激しく批判しながら、一方では貴族から民衆の間に広まった易行・選択・専修を特徴とする源空の教説より学び摂取して、自らの教理解釈を展開しているようです。

批判しながら相手の修行法・実践手法を取り入れて結果、教理面の異質性に反して実践法の方向性が類似化するということは、先方の実践展開が世の大方に受け入れられていて、批判者もそれを認めざるを得なかったことになります。同時に自らの教説を世に問うに当たって、批判対象者の作った方軌を追随したともいえるでしょう。

それは源空が仏教を大別して、華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃・大日等は時機不相応なものでありこれらは「聖道・難行・雑行」になるとし、浄土三部経(阿弥陀経・観無量寿経・無量寿経)と専修念仏は末法の世に相応しい「浄土・易行道・正行」であるとした教えが、時代性と衆生の機に合致し、社会の各層に遍く広まっていたことを意味します。 既存の顕密仏教の諸師も、源空とその弟子によって耕された世の精神空間に合わせながら布教展開しなければならなかった、また源空以降の諸師はそのことを十分認識していたと考えるのです。源空に対抗する既成仏教、彼に続く諸師は教理的立場を異にしながらも、「易行・選択・専修」という「前提」条件をクリアーした故に批判・賛同されながら自らの教説は世に受け入れられ、広まったのではないでしょうか。

                      林 信男