【投書】摩訶・私感「新・人間革命のキーワード」

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投書者:鬼滅の言

伸一は、遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気なる同志に、仏を見る思いがしてならなかった。

<新・人間革命> 第10巻 新航路 p.225

使命に生きようとする同志を、仏を敬うがごとく遇するのが、仏法指導者の在り方である。

<新・人間革命> 第11巻 開墾 p.167

伸一は、丁重に彼女たちを招き入れた。皆、身なりも決して立派とはいえなかった。しかし、伸一には、一人ひとりがアメリカを救いゆく尊き仏のように思えた。

<新・人間革命> 第1巻 錦秋 p.188

 伸一は、いわれなき非難と中傷にさらされながら、健気に折伏・弘教に励む学会員が、いとしくてならなかった。彼は、その姿のなかに〝仏〟を感じていた。

<新・人間革命> 第2巻 錬磨 p.145

 それから、メンバー一人ひとりの顔を自分の命に焼きつけるように、じっと眼を注いだ。皆、大事な、大事な使命の人であり、尊い仏子である。

<新・人間革命> 第6巻 波浪 p.248

10年ほど前の話しですが、私は「新・人間革命」を第1巻から読み始めました。当時は24巻まで出版されていましたので、24巻まで読み終えることができました。

読んだといいましても、昼休みの時間を利用しましたので、読み込んだとは言えないのですが、その中で、繰り返し、何度も出てくる言葉に気がついたのです。

それが「仏を見る」「仏を敬う」「尊き仏」等の言葉です。

最近、聖教新聞を電子版に切り替えたのですが、電子版には「人間革命」の検索機能があり、今回、検索してみました。

「仏を見」=20件
「仏を敬う」=21件
「尊い仏」=20件
「尊き仏」=13件
*「仏を見る」「仏を敬う」との言葉は「人間革命」では使われていません。

私たちは池田先生を人生の師匠であると定め、尊敬しています。

しかし、それ以上に池田先生は健気に戦う会員の姿に「仏を見」「仏の如く敬い」そして仏の如く接し励まされているのです。

法華経・方便品には「唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相」とあります。

「唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり」

ただ仏と仏のみが究め尽くしていること
ただ仏と仏のみが知っていること
ただ仏と仏しか知らないこと

それは人は仏である(諸法実相の原理)ということです。

それは仏しか知らない境地であると説かれているのです。

健気に戦う会員の姿に「仏を見」「仏の如く敬い」そして仏の如く接し励まされる人。

その人こそ仏なのです。

創価学会がなぜここまで発展したのか!理解できたように思います。