国に流布する所の法の邪正

仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり

諸経と法華経と難易の事

仏法が世間に顕れ、世間の相は仏法の鏡ともなっている。

『これほど分かりやすい御書が、これほど現実世界に顕れている時代』というのは、歴史上そうはなかったように思います。

残酷なまでの天災地変・疫病による惨状に、何かしら気がつかないと本当に手遅れになってしまうのではないかと危惧するのです。

どうして

おかしい

何故か

何かが違う

等々・・・

日蓮大聖人は、明確に教示しています。

天瞋るは人に失有ればなり

法華取要抄

では、その失とは何でしょうか?

大集経の文の如くならば~国に流布する所の法の邪正を直さざれば、国中に大風・旱颰・大雨の三災起りて万民を逃脱せしめ王臣定めて三悪に堕せん

守護国家論

朝晩、大御本尊の中の『南無妙法蓮華経 日蓮』を拝している私たちであれば、毎年、いや毎月のように起きている「国中に大風・旱颰・大雨の三災」を被る身となり、狂ったような天の働きによる被害の凄まじさを知れば、見えざるところにあるその因は「国に流布する所の法の邪正を直」していないが故である、と理解できるのではないかと思います。

ということは、この文から読み取れる『いま、この国に流布するところの法の邪正をただすのです』との日蓮大聖人の訴えをそのまま実行することこそ、信仰者として「成すべきこと」ではないでしょうか。

『国に流布するところの法の邪正』

最もこだわり、徹底究明すべきはこの一点だと思うのです。

                      林 信男