私論「折伏について」(4)
投稿者:鬼滅の言
されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし
開目抄上 御書p.202
日蓮大聖人の法華経に対する智解は、天台・伝教には、千万が一分もおよぶことはないけれども、難を忍び慈悲の勝れていることは、天台・伝教も恐れをいだくであろう。(意訳)
自行のために題目を唱えた天台・伝教。
自行・化他にわたる題目を唱え実践した日蓮大聖人。
大聖人と天台・伝教は一体、何がどう違うのか?また、大聖人は何が凄いのか?
今回は、その点について考えてみます。
(1)天台・伝教は理論闘争の人であり、大聖人は民衆救済の人・実践の人であるということです。
その大聖人は何が凄いのか?
「難を忍び慈悲のすぐれたる事」が勝れていると説かれています。
自身のためだけに題目を唱えた天台・伝教に対し、自行・化他にわたる題目を唱え実践した大聖人。
「難を忍び慈悲のすぐれたる事」は当然であると思います。
(2)私たちの活動でも同じことが言えます。
例えば、折伏に取組んでいない私と、折伏に取組んでいるAさんを比べてみれば分かります。
折伏に取組んでいない私には何の困難も起こりません。友の幸せを祈ることもありませんので、その生命には慈悲の一分もないのです。
しかし、折伏に取組んでいるAさんは様々な困難に直面し、さらには批判もうけながら、それでも友の幸せを祈り、対話を重ねていく。そのAさんの実践を考えるならば、慈悲の生命が勝れているのは明かであると思います。
自行・化他にわたる題目を唱え実践する人は”慈悲”が勝れている!
折伏の本義はこの一点にあると思います。
次回は慈悲の観点から折伏について考えたいと思います。