私論「折伏について」(2)

投稿者:鬼滅の言

仏法を習う身には必ず四恩を報ずべきに候か、四恩とは心地観経に云く一には一切衆生の恩、一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し

四恩抄 御書p.937

仏法を習う人は必ず四恩を報ずべきである。その四恩とは心地観経では、一つには一切衆生の恩とある。一切衆生がいなければ衆生無辺誓願度の願いを起こすことはできないからである。(意訳)

前回は、”衆生無辺誓願度の願いが成就しなければ、無上菩提誓願証の願も成就しない” つまり、人々を幸せにできなければ、自身の人間革命もあり得ない。その点について述べました。

今回は恩の上から折伏を考えてみます。

(1)悩める友の存在が無ければ、その友を救うとの願いを立てることができません。故に私たちは、一切衆生からの恩があると日蓮大聖人は説いています。

(2)衆生無辺誓願度の願いを立てるためには、悩める友の存在が必要であり、私たちは友人・知人に恩を感じなければならないのです。

(3)衆生無辺誓願度の願いは、自分一人ではできません。友人や知人がいるから折伏に取組めるのです。仏法対話ができるのです。誓願ができるのです。

「四恩を報ずべき」と説かれた大聖人。

悩める友の存在に感謝し、その恩に報いるために仏法対話に取り組む、そこに折伏の意義があると思うのです。

次回は自行・化他の観点から折伏について考えたいと思います。