【投書】摩訶・私感「4月24日」
投書者:鬼滅の言
日蓮が御勘気を・かほれば天台・真言の法師等・悦ばしくや・をもうらんかつはむざんなり・かつはきくわいなり
開目抄下 御書p.237
-池田先生のご勇退が発表された日-
昭和54年(1979年)4月24日(火)
その日の夕方、帰宅すると母が部屋に入って来て
「池田先生・ご勇退のニュースがテレビで流れた」と教えてくれました。
当時の私は池田先生を深く理解できていたわけではありません。
しかし、先生がこのような目にあって「それ見たことか」と笑っている人がいる。喜んでいる人がいる。そう思うと、口惜しくて、口惜しくて、涙がとまりませんでした。
学生部員であった私は寺に行くこともありませんでしたし、第一次宗門事件も何が問題なのかも知りませんでした。
ただ、当時は学会に対する批判、更には池田先生に対する猛烈な批判の嵐が吹き荒れていました。
電車に乗るたびに学会を批判する週刊誌の広告を目にしました。
「創価学会・最高幹部の手記」との見出しを覚えています。
その最高幹部が誰なのか?
それを知ったのは後年のことです。
「名誉や利害でついた戦友は最後は皆だめだった。理想と純愛とをもってひきつけた人びとのみが最後の味方たりえるのだ」
人間革命10巻・跳躍の章
戦友の裏切りにあい敗れたナポレオン。その心情を吐露した言葉です。
名聞の教学部長、そして名利の弁護士。彼らが裏切り宗門と結託するという反逆によって池田先生は辞任に追い込まれたのです。
4月24日の当日、開目抄の一節が浮かんだわけではありません。後年、池田先生のご勇退と開目抄の一節が重なったのです。
2014年1月・小説 新・人間革命「正義」の章の連載が始まりました。
昭和54年に何があったのか?これで詳しい経緯が分かると思い読み進めましたが、池田先生ご勇退の詳しい経緯は明かされませんでした。
「忘れまじ4.24座談会」-4月度・自活座談会のテ-マです。
以前のアンケートに「昭和54年、池田先生ご勇退の経緯を知りたい」との声がありました。
私も同じ思いです。今回の座談会では「4.24について・研究発表」も予定されているようです。
4月24日・一体何があったのか?
その真相を少しでも知ることができれば幸いです。