【投書】功徳は出ます

JIKATSU投書アイキャッチ

投書者: 石楠花

人生やって何が面白いかって、御本尊のあまりの凄さに呆れてモノが言えないという体験をすることだ。

実際、私はそういう体験を数え切れないほどさせて頂いた。

しかし、功徳とは信心している者だけに出るのではない。信心していなくても、広宣流布を助けてくれた人にも,厳然とある。

博士論文を助けてくれた先生は、H大学の准教授だったが、H大がいやでいやで仕方がなかった。

しかし、突然、名古屋大学教授に抜擢。今でも、何かある度にいつも助けてくれる。

大学着任後,陰に陽に助けてくれた数学者は、万年助教授だったのに、突然教授に昇格。

余裕ができたので、汚い教員宿舎を出て、立派な新築マンションを買ったら、奥さんと彼の両方の親がお金を出してくれて、現金で購入。

いつも味方になってくれる言語学者は、なんというか、筋は通すけれど、筋だけの書生みたいな青い人で「こんなんじゃ、一生、嫁さんは来ないな」と思っていたら、とっても素敵な野菊のような女性と恋に落ち、2か月後に結婚。

数学の先生と同じ、立派なマンションに入居。思い通りの温かい家庭を築いている。

大学に着任したばかりで科研費の調書の書き方など全然知らなかった私に、ある助手さんが手取り足取り教えてくれた。

御蔭で文系教員の私が3件で約3000万獲得できた。

しかし、その助手さんはすべて不採択。私の採択を心から喜んでくれて「自分のことのように嬉しいです」と。

「心こそ大切なれ」きっとこの人は次に取れるな、と思っていたら、翌年、1億5千万とって,准教授に昇格。

そして、今私を毎日助けてくれている方のご主人は,研究で内閣総理大臣賞を受賞

その人にとって、一番必要なものが功徳として出てくる。

おこがましい言い方ではあるが、自分が法華経の行者でありつづければ、諸天善神にも普く大功徳が出るということを御本尊は示して下さった。

然るに釈迦仏は 我を無量の珍宝を以て億劫の間 供養せんよりは 末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は百千万億倍 過ぐべしとこそ説かせ給いて候に

南条殿御返事 御書全集 p.1578

信心しても題目上げても、ちっとも変わらない、功徳が出ないと言っている人たちが不思議、かつ残念でならない。どこかギアが合っていないのだろう。

本人が納得する形で、功徳は必ずあります。

要諦は師弟と広宣流布。

私はこれからも、御本尊の凄まじい功徳を驚き呆れるほど、見せて頂きます。