【投書】摩訶・私感「北風と太陽」

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投書者:鬼滅の言

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる
妙一尼御前御消息

御書p.1,253

あまりにも有名な妙一尼御前御消息の一節です。

昔、昔といいましても何十年も前ですが、大白蓮華にこの御文について、婦人部の方が一文を寄せていました。

要約しますと、
「信心には冬の信心と春の信心があります。冬の信心、そして春の信心を考えた時、ある意味、春の信心の方が難しいといえるかも知れません」
そのような内容であったと記憶しています。

この文章を読み私はイソップ物語の「北風と太陽」を連想しました。

物語は旅人の上着を脱がすことで北風と太陽、どちらが強いかを競うという話しですが、私は北風を冬の信心、太陽を春の信心、そして旅人の上着は信仰または御本尊であると捉えたのです。

苦難や逆境という北風(冬の信心)が吹く時は、上着(御本尊・信仰)を握りしめてはいるが、苦難や逆境という北風が去り、暖かな太陽(春の信心)が出た時、上着(御本尊・信仰)を脱ぎ捨てるように信仰からも離れていく-そう感じたのです。

「法華経は冬の信心ではないですか!」(新・人間革命 北斗の章)

池田先生は「法華経は冬の信心」であると述べられています。

私自身も生涯をかけて戦わなければならない宿業を感じています。とするならば、冬は長い方がよいと私は思っています。北国の春のように、春は短くてもよいのです。

「冬の信心」でもうひとつ話したいことがあります。それは佐渡期の御書についてです。

私は佐渡期の御書は冬にこそ拝すべきであると思っています。

佐渡に於ける日蓮大聖人を偲ぶならば夏、クーラーの下で拝すべきではないと個人的には思っています。

冬将軍の到来です。今こそ、大聖人を偲んで佐渡期の御書を拝しましょう!!