令和2年 11月 座談会御書 異体同心事
2020年11月 座談会御書
異体同心事
(御書1436頁5行目~7行目)
“日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ。此の一門も又かくのごとし。”
“日本国の人々は、多人数ではあっても体同異心であるから、何事も成就することは難しい。日蓮の一門は異体同心であるから、人数は少ないけれども大事を成就して、必ず法華経は 広まるであろうと思うのである。悪は多くても一善に勝つことはない。例えば、多くの火が集まっても一水によって消えてしまう。この一門もまた同様なのである。”
(大白蓮華11月号より引用)
本抄は、御執筆の時期や与えられた人が不明です。今回のご文は、最も大切なのは「異体同心」の団結であり、日蓮が一門は少数であっても「異体同心」の団結で前進すれば、大事を成し遂げ、法華経を弘める事が出来ることを断言されています。
まず「異体同心」で大切なことについての池田先生のご指導を引用します。
“「異体同心」の前進のために、一番、肝心なことは何か。それは「師弟不二」で生き抜くことだ。「師弟不二」こそ、「異体」を「同心」たらしめる要諦である。それが絶対勝利の4原則の第4点である。(中略)一人一人が、師と心を合わせ、広宣流布に前進する決意を深めていった時に、初めて異体同心の団結が固まる。そこにこそ、妙法の功力が燦然と発揮されていくのである。”
(第二総東京代表幹部会/2008.4.5 スピーチ)
“何でも語り合える、和気あいあいとした仲良き集いこそ、真実の仏法の世界である。その異体同心の団結の根幹が、師弟である。「華果成就御書」には断言なされている。「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず」。ともあれ、師弟不二の心がなくなったら、勝利はない。派閥ができ、団結が崩れる。もはや力は出ない。そうなれば、我見と増上慢で仏罰を受けてしまう。”
(SGI代表研修会/2010.3.9 スピーチ)
池田先生が仰られるように「異体同心」に肝心なのは「師弟不二」の信心であり、「師弟不二」が無くなれば「勝利は無く、派閥ができ団結が崩れ、力が出ない」。その結果、仏罰を受けてしまう、と。私たちは創価の「永遠の師匠」である三代会長と「師弟不二」の団結、そして「祈りして叶わざるはなし」御題目で「妙法の功力」を燦然と発揮させていく日々でありたいと感じました。
次は「善」「悪」についてのご指導を学びたいと思います。
“この現実社会で、悪と戦い、社会の善を実現していく変革の行動こそが、日蓮仏法の真髄である。悪と戦わない宗教は、それ自体、悪世の濁流の中に呑み込まれてしまう。これが「末法」という時代の本質である。これまでも、何回も拝してきたが、「御義口伝」には「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云う」と御指南されている。生命の濁りを滅し、清浄な生命を生じるのが「功徳」である。唱題に励み、悪と戦ってこそ、その「功徳」もわいてくる。戸田先生もよく、「敵と戦わない人間は信用できない」と厳しく言われた。さらに大聖人は、「悪は多けれども一善にかつ事なし」と言い切っておられる。「一善」とは、「善」を実現するために、心を合わせて戦う大聖人の一門である。それは、末法今時においては、創価学会しかない。この崇高な、仏意仏勅の創価学会を利用したり、破壊しようとする「一凶」とは、断じて闘争せねばならない。我らには「異体同心」の団結がある。これに勝るものはない。「正義の精神」「破折の精神」、そして「広宣流布の精神」を燃え上がらせて、痛快に戦い、勝ち抜いてまいりたい。”
(全国総県長会議/2001.5.22 メッセージ集)
「一善」とは「善」を実現するために心をあわせて戦う「師弟不二の弟子」であり、そのために「民衆を不幸にする悪とは徹底して戦え!」との御指導です。そして「一凶」、「悪」とは立正安国論で言われているとおり「悪い坊主」いわゆる聖職者であり、権力者と結託する人間のことです。この「悪」に対して戦う心を燃え上がらせるひとり一人でありたいと思います。
庶民を蔑ろにする「悪」は多いけれども、それを見破る「善の眼」を磨き、常に「我が心」を師匠の御指導と照らし合わせ、「師弟不二」の心と「異体同心」の団結で、「自身の発迹顕本」「我が家の発迹顕本」を目指し、前進してまいりましょう!