佐渡期の外部批判(2)・私論
投稿者:鬼滅の言
或る人日蓮を難じて云く機を知らずして麤義を立て難に値うと
寺泊御書 御書p.953
衆生の機根を知らずに、難解な法華経第一の教義を立て弘教をしたが故に難にあったのである(意訳)
寺泊御書に記された日蓮大聖人に対する外部批判の1つめである。
人々が何を求めているのか、その機根を知らずして難解な法華経を弘めていった。
故に難にあったのであるとの批判である。
この批判に対し佐渡期の御書で大聖人はどう答えられているのか?
開目抄の御文を見てみます。
権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者・法華経をつよくほめあげ機をあながちに下し理深解微と立て未有一人得者・千中無一等と・すかししものに無量生が間・恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ権経より小乗経に堕ちぬ外道・外典に堕ちぬ結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり
開目抄上 御書p.200
仏法を極めつくしたような、道綽・善導・法然等。悪魔の身に入った者が、法華経は素晴らしい経であるとほめ上げ、しかし今の人々の機根は下劣であり、法華経のような難解な経では成仏できないと説き「法華経は難解であり、ほとんど理解できない」「法華経によって一人も得道した者はない」「千人の内ただの一人も法華経で得道する者はない」などと言ってだましてきた者に、無量生の間、数え切れないほどだまされて、ついには法華経を退転して権経へ堕ちた。さらに権経より小乗経へ堕ち、外道や外典に堕ち、結局は悪道へ堕ちてしまった。それを深く知ったのである(意訳)
「理深解微」-念仏者たちは法華経は素晴らしい経であるが「難解で末法の衆生の機根・レベルではほとんど理解できない」と説き、多くの人々を悪道に堕としていった。
それが真実であり、それを知ったが故に大難をも覚悟の上で折伏行に邁進したのであると大聖人は説かれている。それが「機を知らず」との批判に対する答えであると思います。
さらに開目抄では、念仏者たちが天台法華宗の檀那である国王・大臣・婆羅門・居士等に向かって「理深解微」を説いてきた結果、天台宗の高僧たちも「理深解微」等の邪義を証伏している。故に日本国にはただ法華経の名のみあって、得道の人は一人もない。それは天台宗の堕落によるものである(開目抄下 御書p.229)と説かれている。