開目抄・要文 3

投稿者:鬼滅の言

【第21章・難信の相を示す】

日蓮案じて云く二乗作仏すら猶爾前づよにをぼゆ、久遠実成は又にるべくも・なき爾前づりなり、其の故は爾前・法華相対するに猶爾前こわき上・爾前のみならず迹門十四品も一向に爾前に同ず、本門十四品も涌出・寿量の二品を除いては皆始成を存せり

御書p.198 4行目〜6行目


【第22章・法相宗の謬解を挙ぐ】

されば法相宗と申す宗は西天の仏滅後・九百年に無著菩薩と申す大論師有しき、夜は都率の内院にのぼり弥勒菩薩に対面して・一代聖教の不審をひらき・昼は阿輸舎国にして法相の法門を弘め給う
御書p.198  9行目〜10行目
尸那国の玄奘三蔵・月氏にいたりて十七年印度百三十余の国国を見ききて諸宗をばふりすて此の宗を漢土にわたして太宗皇帝と申す賢王にさづけ給い

御書p.198 11行目〜13行目

日本国には人王三十七代・孝徳天皇の御宇に道慈・道昭等ならいわたして山階寺にあがめ給へり
御書p.198 13行目〜14行目
此の宗の云く始め華厳経より終り法華・涅槃経にいたるまで無性有情と決定性の二乗は永く仏になるべからず、仏語に二言なし一度・永不成仏と定め給いぬる上は日月は地に落ち給うとも大地は反覆すとも永く変改有べからず

御書p.198 14行目〜16行目


【第23章・華厳・真言の謬解を挙ぐ】

華厳宗と真言宗は法相・三論にはにるべくもなき超過の宗なり、二乗作仏・久遠実成は法華経に限らず華厳経・大日経に分明なり

御書p.199 3行目〜4行目

随つて華厳経には「或は釈迦・仏道を成じ已つて不可思議劫を経るを見る」等云云、大日経には「我れは一切の本初なり」等云云、何ぞ但久遠実成・寿量品に限らん

御書p.199 6行目〜7行目

汝但寿量の一品を見て華厳・大日経等の諸経をしらざるか、其の上月氏・尸那・新羅・百済等にも一同に二乗作仏・久遠実成は法華経に限るというか。

御書p.199 8行目〜9行目


【第24章・滅後の難信を結す】

又、但在世計りならば・さもあるべきに滅後に居せる論師・人師・多は爾前づりにこそ候へ、かう法華経は信じがたき上、世もやうやく末になれば聖賢はやうやく・かくれ迷者はやうやく多し
御書p.199 11行目〜12行目
仏涅槃経に記して云く「末法には正法の者は爪上の土・謗法の者は十方の土」とみへぬ

御書p.199 16行目〜17行目

世間の罪に依つて悪道に堕る者は爪上の土・仏法によつて悪道に堕る者は十方の土・俗よりも僧・女より尼多く悪道に堕つべし。

御書p.199 18行目〜御書p.200 1行目


【第25章・末法法華経行者の所由】

此に日蓮案じて云く世すでに末代に入つて二百余年・辺土に生をうけ其の上下賤・其の上貧道の身なり、輪回六趣の間・人天の大王と生れて万民をなびかす事・大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず、大小乗経の外凡・内凡の大菩薩と修しあがり一劫・二劫・無量劫を経て菩薩の行を立てすでに不退に入りぬべかりし時も・強盛の悪縁におとされて仏にもならず、しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか久遠五百の退転して今に来れるか、法華経を行ぜし程に世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者・法華経をつよくほめあげ機をあながちに下し理深解微と立て未有一人得者・千中無一等と・すかししものに無量生が間・恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ権経より小乗経に堕ちぬ外道・外典に堕ちぬ結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり、日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。
  これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば・慈悲なきに・にたりと思惟するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし、王難等・出来の時は退転すべくは一度に思ひ止るべしと且くやすらいし程に宝塔品の六難九易これなり、我等程の小力の者・須弥山はなぐとも我等程の無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ。

御書p.200 2行目〜16行目


【第26章・略して法華経の行者なるを釈す】

既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり二度は・しばらく・をく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ

御書p.200 17行目〜18行目

秀句に云く「代を語れば則ち像の終り末の始め地を尋ぬれば則ち唐の東羯の西・人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉・況滅度後・此の言良に以有るなり」等云云

御書p.201 17行目〜御書p.202 1行目 


【第27章・経文一一に符合するを明かす】

されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし、定んで天の御計いにもあづかるべしと存ずれども一分のしるしもなし、いよいよ重科に沈む、還つて此の事を計りみれば我が身の法華経の行者にあらざるか

御書p.202 8行目〜10行目

而るに法華経の第五の巻・勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずば・ほとをど世尊は大妄語の人・八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし

御書p.202 11行目〜12行目

「諸の無智の人あつて・悪口罵詈等し・刀杖瓦石を加う」等云云

御書p.202 12行目〜13行目

「悪世の中の比丘は・邪智にして心諂曲」

御書p.202 14行目〜15行目

「白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如し」

御書p.202 15行目

当世・法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん

御書p.203 5行目

経文に我が身・普合せり御勘気をかほれば・いよいよ悦びをますべし、例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して・つくりたくなき罪なれども父母等の地獄に堕ちて大苦を・うくるを見てかたのごとく其の業を造つて願つて地獄に堕ちて苦に同じ苦に代れるを悦びとするがごとし、此れも又かくのごとし当時の責はたうべくも・なけれども未来の悪道を脱すらんと・をもえば悦びなり。

御書p.203 6行目〜10行目


【第28章・疑いを挙げて法華経行者なるを釈す】

但し世間の疑といゐ自心の疑と申しいかでか天扶け給わざるらん、諸天等の守護神は仏前の御誓言あり法華経の行者には・さるになりとも法華経の行者とがうして早早に仏前の御誓言を・とげんとこそをぼすべきに其の義なきは我が身・法華経の行者にあらざるか、此の疑は此の書の肝心・一期の大事なれば処処にこれをかく上疑を強くして答をかまうべし

御書p.203 11行目〜14行目


【第29章・二乗の法華深恩を論ず】

季札といひし者は心のやくそくを・たがへじと王の重宝たる剣を徐君が墓にかく~此等は賢人なり恩をほうずるなるべし

御書p.203 15行目〜16行目

況や舎利弗迦葉等の大聖は・二百五十戒・三千の威儀・一もかけず見思を断じ三界を離れたる聖人なり

御書p.203 17行目

而るに四十余年が間・永不成仏と嫌いすてはてられて・ありしが法華経の不死の良薬をなめて?種の生い破石の合い・枯木の華菓なんどならんとせるがごとく仏になるべしと許されて・いまだ八相をとなえず・いかでか此の経の重恩をば・ほうぜざらん

御書p.203 18行目〜御書p.204 2行目

【第30章・昔の弾呵を引証す】

諸の声聞等は前四味の経経にいくそばくぞの呵嘖を蒙り人天大会の中にして恥辱がましき事・其の数をしらず

御書p.205 6行目〜7行目

例せば世尊・提婆達多を汝愚人・人の唾を食うと罵詈せさせ給しかば毒箭の胸に入るがごとく・をもひて・うらみて云く「瞿曇は仏陀にはあらず我は斛飯王の嫡子・阿難尊者が兄・瞿曇が一類なり、いかにあしき事ありとも内内・教訓すべし、此等程の人天大会に此程の大禍を現に向つて申すもの大人・仏陀の中にあるべしや、されば先先は妻のかたき今は一座のかたき今日よりは生生・世世に大怨敵となるべし」と誓いしぞかし

御書p.205 9行目〜13行目