【投書】なんだかな~

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投書者: 独り遊びの老人

 下半期の活動は現実には7月から始まっている。先生の会長就任60周年記念映像の上映会である。

そこで、さまざまな試みをやったのだが、実質的な下半期の書類は7月におりている。

愕然とする事は下半期の活動のメインが選挙と財務であったことだ。世間は、すわ創価学会が動き始めたと、総選挙近しと騒いだ。

聞くところでは、折伏と聖教啓蒙は各自の自覚でと確認されたとのこと。

いよいよ我が創価学会は政治団体となり、宗教団体では無くなっていくのかな。

上映会についても書いておかねばならない。

なぜ7月10日から動き始めたのか。それは、明らかに政府が7月10日からイベント制限を解除したからだ。全てが政治主導の判断なんだな。

その方が無難であり、何かあっても(例えば会館で感染者が出るとか…)責任の所在が別に向くかもしれないが、仏法の眼で、宗教的感覚で判断できないのだ。

すでに6月末には7月の上映会は決定しているのだから、どうして「7月3日」からの上映会では無いのか。私はそう思うのだが…。

東京では、さらに混乱していたようだ。結果、ほとんどの総区で上映会は中止となったようだが。

医学的見地から中止を主張するドクター部と来年の都議選を考えれば何としても集めたい幹部との間で喧々諤々だったと聞いている。

結局、原田会長も判断を放棄、萩本総東京長も放棄、総区長に任せることになった。

一番に中止を決定したのは新宿であったようだが、その中止を会長が知ったのは2週間後であるという。

はたして、今の創価学会にあってガバナンスはいきているのか。この危機的世情の最中にあって、最も正しいことを発信すべき我が学会がこの現状である。

 また、上映会の記念映像についても少し疑問が残る。

全体の内容は良かった。しかし、資料的にも貴重な映像があり、興味深かったが、以前から主張している通り、どうしても「電通」の色合いが強いあのドラマ仕立てが私には理解できない。

今回は、会長就任の前夜の先生の様子がドラマ仕立てになっていた。あれを見て最初“こんな話はあったかな?”と思った。

少し調べて分かったことは、この内容は2015年5月度の本部幹部会への先生のメッセージ(2015.5.10付 聖教)に書かれている。

さらに少し調べて分かったことは、先生の側近にはこのような内容のお話を聞いた方がおられるようだ。

事実であることは間違いないが、あのドラマにする必要は無い。メッセージから引用して、キャプションを付ければよい。

しかも、あのドラマには若干の嘘がある。あのドラマの場面で先生は木刀を振っているが、本当は真剣である。

戸田先生が亡くなられた直後に形見分けとして青年部の最高幹部に何振りかの刀が分けられたという。

先生も数振りの刀を賜ったようだが、後年富士美術館に寄贈されたようだと伺っている。

故に、あの場面での刀がどの刀か特定できなかったことで、あの場面は「木刀」にしたのだろうか。

そのような配慮が必要なら、最初からあんなドラマに仕上げる必要は無い。その脚色が、 何か大事な事を薄めているということが分からないのか…。

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