同苦・私論
投稿者: 鬼滅の言
一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし
御義口伝巻下 御書p.758
一切衆生のさまざまな苦しみ。その苦しみを分かち合い、同苦することができるのは、日蓮大聖人唯お一人であり、大聖人お一人の苦なのである。(意訳)
日蓮大聖人の仏法で何故、難を乗り越え、悩みが解決するのか?
私にとって、その答えとなったのがこの一節です。
私が感じた点を箇条書きにします。
大聖人は私の悩み苦しみを分かってくれる。
同苦してくれる。そう感じました。
大聖人は一切衆生に対し同苦できると説かれています。逆に大聖人にとって、同苦できない人はいないということです。
同苦するとは、相手と同じ苦しみか、それ以上の苦しみでないと同苦はできません。
一切衆生の誰よりも苦しまれたのが大聖人であるということになります。
一切衆生の誰よりも苦しまれたのが大聖人であるならば、大聖人の仏法の立脚点は私の悩み苦しみよりも深い次元にある。一切衆生の悩み苦しみよりも深い次元にあるということです。
御義口伝の別の御文には
一心の源底を顕す
御義口伝巻下 御書p.791
とあります。
生命の奥底を説き顕されたのが大聖人の仏法です。生命の奥底に立脚した教えが大聖人の仏法です。生命の奥底からの変革であるが故に、個々の悩み苦しみは根本的に解決するのではないでしょうか。
なぜ難を乗り越えられるのか?
それは日蓮大聖人が大難を乗り越えられたからであると思います。
大聖人の大難から比べるならば私の悩みや苦難は小さいものです。一切衆生の苦難すら小さなものになってしまう。
大難すら乗り越える信仰である。小さな難は当然乗り越えられる。それが大聖人の仏法ではないでしょうか。
三代の会長も同じだと思います。
会員の誰よりも苦しまれたのが三代の会長です。
会員のどんな悩み苦しみにも同苦し激励の手をさしのべました。
会員の悩み苦しみに同苦出来なければ、宿命に泣く会員を救うことはできないのです。
私はそう思います。