【投書】魂の出会い

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投書者:無名の人

 近くにいても、何も感じ取らない人がいる。遠くにいても、全てを受けとる人もいる。

織田・豊臣の時代。天正遣欧少年使節に選ばれた4人のメンバーの一人だった中浦ジュリアン。(ジュリアンは洗礼名)

1582年(天正10年)に海を渡り、当時のローマ教皇グレゴリウス13世に謁見した。

教皇は熱病を患ったジュリアンのために医者の手配や、病状を心配して何度も見舞いを遣わしたという。そしてジュリアンのことを最後まで心配しながら、会見の何日か後に教皇自身が亡くなってしまう。

中浦ジュリアンは帰国し、その後日本はバテレン追放令などが始まり、キリシタンは弾圧される。

禁教令のなか二十数年の地下活動の後、ついに捕らえられ、最後は「穴吊るしの刑」

穴吊るしの刑では全身の血が頭にたまり、こめかみから数滴ずつ垂れていくため、すぐに死ねずに苦しみもがくという惨刑

(Wikipedia フリー百科事典より)

によって殉教。65歳だった。

池田先生は中浦ジュリアンについてスピーチでこのようにいわれている。

「中浦ジュリアンは耐え抜いた。彼の心の中には、若き日に焼きついた、あの教皇の『慈愛』と『最後まで信仰に身を捧げた姿』が生き続けていたのであろうか。

『一少年の私に、あれほどの真心を示してくださった』 彼はその恩を忘れなかった。思い出すだけで、いつも感動が蘇った。五十代の彼の手紙にも、そう書いてある。

中浦ジュリアンは、少年の日の誓いを絶対に裏切らなかった。『半世紀』を戦い抜いて、壮絶な殉教を遂げた。」

第38回本部幹部会、第10回東北総会 池田大作全集第90巻


中浦ジュリアンはたった一度の出会いを生涯忘れなかった。

生涯を貫くような出会いをもった人は幸せだと思う。反対に何度も会っているようでいて、魂が出会うことのない人は不幸だ。

さらにはその感動なくして、ただ他人を動かすためだけに立場を背景にしてものをいうような人もいる。その人には決して本当の安心立命は訪れないし、その不誠実はやがて「魂の破綻」を迎えるだろう。

 さて、中浦ジュリアンは最後に「私はこの眼でローマを見た中浦ジュリアンだ!」といって殉教したといわれる。

この最後の瞬間、自分自身の信念の道を、権威ある偉い人がジャッジしてくれるわけではない。大勢の人が肯定してくれるわけでもない。自分自身しかない。なぜなら、あの「魂の出会い」にしか真実はないからだ。

自分自身と師との出会いよりも、立場の偉い人のほうが本当のことを知っていると思うのは「幻想」だと思う。本当の真実は自身のなかにある。

あの日の生命が震えるような出会いのなかにこそ師はいらっしゃる。それは直接会ったとか会わなかったとかは全く関係ない。

 池田先生が表に出られなくなって10年が過ぎた今、池田先生との「魂の出会い」をもった無名の人々が、「私はこの眼で、耳で、心で先生をみた自分である!」と誇り高く叫ぶ時が来たと思うのである。

池田先生との「魂の出会い」をもった人々がそれを語らなければ、先生の「真実」が消え去ってしまうことを憂える。

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