身延期の書簡に見られる「釈迦仏」との記述の意味は

『松野殿御返事』 建治3年(1277)9月9日

鵞目一貫文油一升衣一筆十管給い候、今に始めぬ御志申し尽しがたく候へば法華経・釈迦仏に任せ奉り候。

『兵衛志殿女房御返事』 建治3年11月7日

今御器二を千里にをくり釈迦仏にまいらせ給へば、かの福のごとくなるべし。

『種種物御消息』 弘安元年(1278)7月7日

このすずのもの給いて法華経の御うえをもつぎ、釈迦仏の御いのちをもたすけまいらせ給いぬ。御功徳ただをしはからせ給うべし。

『芋一駄御書』 弘安元年8月14日

しかれどもかゝるいも(芋)はみへ候はず、はじかみはを(生)ひず。いし(石)ににて少しまもりやわ(柔)らかなり。くさ(草)ににてくさよりもあぢあり。法華経に申しあげ候ひぬれば、御心ざしはさだめて釈迦仏しろしめしぬらん。

身延山に届けられた門下の御供養。

日蓮大聖人の返状の中には、何度も釈迦仏が登場します。

この表現を以て、

・日蓮の信仰が示されている。

・日蓮は釈尊と共に在り、釈尊と師弟の対話を重ねながら生きていた。

・釈尊なき末法に釈尊を顕現した、久遠仏なき時代に久遠仏を顕した導師日蓮である。

・教主釈尊のもとへと導く師匠であり、如来使、日蓮大菩薩である。

という理解があります。

どうでしょうか?

ここでもう一歩立ち入って考えてみると、新たなる発見があるのではないかと思います。

日蓮大聖人の教示から、信仰という不可視的な世界には釈尊が存在することは理解できますが、引用した記述ではまるで可視的世界に釈尊がいるかのような表現をしています。

そうです。身延入山以降の大聖人は度々、釈尊がそこにいるかのような表現をするのです。

どういうことでしょうか?

角度を変えますが、この頃の大聖人は「受持経典の勝劣」と共に「行者の勝劣」ということを強調して、それが最大事であり「一経第一の肝心」と強調するようになります。

「大田殿許御書」文永12年(1275)1月24日

法華経の第七に云く「是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」等云云。~法華経の行者は一切之諸人に勝れたる之由、之を説く。~法華経の行者は須弥山・日月・大海等也。

「四條金吾殿女房御返事」同年 1月27日

法華経の行者は日月等のごとし~所謂此の経文に云く「能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」等云云。此の二十二字は一経第一の肝心なり。一切衆生の目也。文の心は法華経の行者は日月・大梵王・仏のごとし~されば此の世の中の男女僧尼は嫌ふべからず。法華経を持たせ給ふ人は一切衆生のしう(主)とこそ、仏は御らん候らめ、梵王・帝釈はあをがせ給ふらめとうれしさ申すばかりなし。

法華経の行者は一切之諸人に勝れたる

法華経の行者は須弥山・日月・大海等也

法華経の行者は日月

法華経の行者は日月・大梵王・仏のごとし

法華経を持たせ給ふ人は一切衆生のしう(主)一切之諸人に勝れたる、須弥山・日月・大海等、大梵王・仏のごとし、

一切衆生のしう(主)たる法華経の行者たる日蓮。

そうです。

これはもう行者にして教主であり、本仏行者たるの「自己の内観」を顕した宣言ともいえるのではないでしょうか。

前年の文永11年(1274)10月には、かねてから警告していた蒙古が襲来。亡国はまぬがれたものの、人々の不安、動揺が続く中、日蓮大聖人は本格的な台密(天台密教)批判を開始。12月に万年救護本尊を顕した翌、文永12年(1275)1月に「行者の勝劣」を語る中で内観世界を顕し、4月からは本格的に曼荼羅の図顕を始めます。

この曼荼羅が「御本尊集・立正安国会版(20)」ですが、亡くなる弘安5年(1282)6月の曼荼羅が(123)ですから、7年で100体以上(あくまで現存、実際はそれ以上)の曼荼羅を顕す出発点が「日蓮とはどのような人物なのかを示した=行者の勝劣を顕した教示」ではなかったかと思うのです。

いわば「私を知りなさい。さあ、始めますよ」との宣言から、怒涛の本尊図顕と授与が始まったように思われます。

なお、「仏滅後二千二百二(三)十余年之間 一閻浮提之内未曾有大曼荼羅」と意義付けた、末法万年の一切衆生を救済する本尊を顕す人こそが教主たることは、これまで考えてきたとおりです。

冒頭に戻りますが、「種種物御消息」等の釈迦仏とは「日蓮・釈尊・法華経が一体化した教主」のことであり、それは具体的には日蓮大聖人と読み解けますが、門下の信解を考慮しながらの表現として「釈迦仏を文の表にあらわした」といえるのではないでしょうか。

「日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし」(松野殿後家尼御前御返事、弘安2年3月26日)ですから、末法の時代相では万星の光は跡形もなく、東方に昇りし日天が一閻浮提を照らしているのです。

この時にめぐり合えた不思議。まさに妙法の縁、今生人界の思い出なのでしょう。

                                 林 信男