安房国清澄寺に関する一考 16
【 本尊問答抄 】
故郷の法兄・浄顕房に宛てた「本尊問答抄」(弘安元年[1278]9月)でも空海・円仁・円珍を批判し、題目・法本尊を教示するにあたって、やはり東密・台密批判を展開しています。
其後弘法大師真言経を下(おと)されける事を遺恨とや思食しけむ。真言宗を立てんとたばかりて、法華経は大日経に劣るのみならず華厳経に劣れりと云云。あはれ慈覚・智証、叡山園城にこの義をゆるさずば、弘法大師の僻見は日本国にひろまらざらまし。
彼両大師華厳法華の勝劣をばゆるさねど、法華真言の勝劣をば永く弘法大師に同心せしかば、存外に本伝教大師の大怨敵となる。其後日本国の諸碩徳等各智慧高く有るなれども彼三大師にこえざれば、今四百余年の間、日本一同に真言は法華経に勝れけりと定め畢んぬ。たまたま天台宗を習へる人人も真言は法華に及ば不るの由存ぜども、天台座主・御室等の高貴におそれて申す事なし。
然らば日本国中に数十万の寺社あり。皆真言宗也。たまたま法華宗を並ぶとも真言は主の如く法華は所従の如く也。若しくは兼学の人も心中は一同に真言也。座主・長吏・検校・別当、一向に真言たるうへ、上に好むところ下皆したがふ事なれば一人ももれず真言師也。されば日本国或は口には法華経最第一とはよめども、心は最第二最第三也。或は身口意共に最第二三也。三業相応して最第一と読める法華経の行者は四百余年が間一人もなし。
是くの如く仏法の邪正乱れしかば王法も漸く尽きぬ、結句は此国他国にやぶられて亡国となるべきなり。
然而日蓮小智を以て勘えたるに其故あり。所謂彼真言の邪法の故也。僻事は一人なれども万国のわづらひ也。一人として行ずとも一国二国やぶれぬべし。況や三百余人をや。国主とともに法華経の大怨敵となりぬ。いかでかほろびざらん。
以上、確認してきました「善無畏三蔵抄」「聖密房御書」「清澄寺大衆中」「報恩抄」「光日房御書」「法蓮抄」「種種御振舞御書」「本尊問答抄」では、一部で師匠・道善房の浄土信仰を破する記述があり、禅・南都諸宗も批判しています。
ですが、日蓮大聖人の批判の矛先は東密・台密にあり、多くの紙数を費やすものとなっています。
故郷の法兄らに宛てた日蓮大聖人の書簡は「清澄寺大衆中」は当然として、他の書においても宛先の人物だけではなく周囲が読むであろうことを念頭に書いたものと考えられ、そこに特定の人物(善無畏・空海・円仁・円珍ら)・教理(東密・台密)を挙げて継続して批判し法華勧奨をなすところに、その人物を崇敬し、教えを信奉する者が清澄寺には多かった、即ち東密・台密の修学・修行者が清澄寺に居住していたと読み解くことができるのではないでしょうか。