安房国清澄寺に関する一考 7

清澄寺大衆中 ④

本文

法華経と申す御経は別の事も候はず。我は過去五百塵点劫より先の仏なり。又舎利弗等は未来に仏になるべしと。これを信ぜざらん者は無間地獄に堕つべし。我のみかう申すにはあらず。多宝仏も証明し、十方の諸仏も舌をいだしてかう候。地涌千界・文殊・観音・梵天・帝釈・日・月・四天・十羅刹、法華経の行者を守護し給はんと説かれたり。されば仏になる道は別のやうなし。過去の事、未来の事を申しあてて候がまことの法華経にては候なり。

日蓮はいまだつくし(筑紫)を見ず、えぞ(西戎)しらず。一切経をもて勘へて候へばすでに値ひぬ。もししからば、各々不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給ふべしと申し候はたがひ候べき歟。今はよし、後をごらんぜよ。日本国は当時のゆき(壹岐)対馬のやうになり候はんずるなり。其後、安房の国にむこ(蒙古)が寄せて責め候はん時、日蓮房の申せし事の合たりと申すは、偏執の法師等が口すくめて無間地獄に堕ちん事、不便なり不便なり。

正月十一日 日 蓮 花押

安房の国清澄寺大衆中

このふみは、さど(佐渡)殿とすけあさり(助阿闍梨)御房と虚空蔵の御前にして大衆ごとによみきかせ給へ。

意訳

法華経という御経は何か別の事を説いているのではない。「我は過去五百塵点劫より先の仏である。また舎利弗等は未来に仏になるであろう」と。「これを信じない者は無間地獄に堕ちるのである。私一人だけがこのように言うのではない。このことは多宝仏も証明し、十方の諸仏も舌を出してこのように言っている。地涌千界の菩薩、文殊菩薩、観音菩薩、大梵天王、帝釈天、日天、月天、四天王、十羅刹女らは法華経の行者を守護することであろう」と説かれている。故に仏になる道は別のものではない。過去の事、未来の事をいい当てているのがまことの法華経なのである。

日蓮はいまだ筑紫を見たことはない、蒙古のことも知らない。一切経により考え言い続けてきた、自界叛逆難と他国侵逼難が既に起きているのだ。もしそうであれば、清澄寺の大衆が皆不知恩の人となるならば無間地獄に堕ちることであろう、と申したことがはずれることがあるだろうか。今はよいとしても、後のことを御覧なさい。日本国は今の壱岐・対馬のようになることだろう。その後、安房国に蒙古が攻め寄せてきた時、日蓮房のいっていたことは的中したと言いながら、誤った教えに執着した法師等が口をすくめて無間地獄に堕ちゆくことは不憫でならない。

正月十一日   日 蓮 花押

安房の国清澄寺大衆中

この手紙は、佐渡殿・日向と助阿闍梨御房とが、虚空蔵菩薩の御前で大衆ごとに読み聞かせなさい。