安房国清澄寺に関する一考 4
3 日蓮大聖人の書簡からわかること
【 清澄寺大衆中 】
ここまで見てきた日蓮大聖人の法脈と窪田氏の指摘=寂澄・法鑁の事跡を踏まえれば、大聖人が生きた時代の清澄寺は「台東両系の修学者達も混住していた」(窪田P329)、東密・台密の修学がなされた寺院・山林修行の霊場であったということになるでしょう。ただし、「混住」の意味するもの、実態としては、それぞれの房舎に居住していたというものではないでしょうか。
そこで想起されるのが書簡にある「このふみは、さど(佐渡)殿とすけあさり(助阿闍梨)御房と虚空蔵の御前にして大衆ごとによみきかせ給へ」(建治2年または文永12年、1月11日・清澄寺大衆中)との記述で、これは「この手紙は、佐渡殿(日向)と助阿闍梨御房とが、虚空蔵菩薩の御前で大衆ごとに読み聞かせなさい」というものですが、「虚空蔵の御前」に集まる清澄寺の「大衆ごと」の意味としては、「房舎ごと」というもの、またそこには「台密、東密などの大衆ごとに」との意が含まれていると読み解くことができると考えるのです。
「清澄寺大衆中」の東密・台密批判は、清澄寺大衆の信仰の内実、人物の構成がどのようなものであったかを知る手がかりになると考えます。
以下、本文について順を追って確認していきましょう。
清澄寺大衆中
新年の慶賀自他幸甚幸甚。去年来らず、如何。定めて子細有らん歟。抑そも参詣を企て候ば伊勢公の御房に十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等の真言の疏を借用候へ。是の如きは真言師蜂起之故に之を申す。又止観の第一第二御随身候へ。東春・輔正記なんどや候らん。円智房の御弟子に観智房の持ちて候なる宗要集かし(貸)たび候へ。それのみならず、ふみ(文)の候由も人々申し候し也。早々に返すべきのよし申させ給へ。今年は殊に仏法の邪正たださるべき年歟。浄顕の御房・義城房等には申し給ふべし。
意訳
新春を祝えること、自他ともの喜びであり幸せなことである。
去年、来られなかったのはどうしたことだろうか。様々な事情があったのだろう。身延山へ参詣されるならば、伊勢公の御房から「秘密曼陀羅十住心論」(真言密教の体系書)、「秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく・十住心論の要綱をまとめ示した書)、「弁顕密二教論」(顕教と密教を対比、密教の勝れる所以を示した書)等、真言の注釈書を借用し持参して頂きたい。これらは真言師が騒がしくなってきた故に依頼するものである。
また、「摩訶止観」の第一、第二の巻を携えてきてほしい。「天台法華疏義纉」(唐代の天台僧・智度の著)、「法華天台文句輔正記」(唐代の天台僧・道暹[どうせん]の著)等もあるだろうか。円智房の弟子である観智房が持っている「宗要集」(天台のものか?)も、お借りしたい。
それだけではなく、観智房は文書(文書が何であるかは不明)を持っていると、人々は言っていた。早々にお返しするので借りてきて頂きたい。(真言師が騒がしくなってきたこともあり)今年はことに、仏法の邪正が正されるべき年になることだろう。浄顕の御房、義城房等にはそのように伝えてほしい。